だから毎日のように対峙しなければならない無礼な不良中学生たちに対する憎悪の念は湧く。学校から追放されて行き場所がないからといって、なぜ、ここで預からなければならないのか、なぜ、もっと毅然とした態度で排除してはならないのか、全く理解に苦しむ。ああいう連中に我慢してストレス溜め込んでゆく程の給料も貰っちゃいないだろう……と。
全く割に合わないぜ。
だけど目の前の不愉快な少年に対して覚える感情と理念はまた別だろう。目の前の、そのうち何をやらかすか知れたものではない少年に対する怒りや憎しみの念が、短絡的に少年法の改正の主張に繋がったり、凶悪犯罪を実際やらかした少年をヒステリックに吊し上げる世論の側に回ったりしたら、あまりにもお里が知れ過ぎだ。今まで培って来たものがそんなに薄っぺらいものだとしたら、僕の生きて来た歳月が侘し過ぎちまう。
人間ゆえに日々どうしても咄嗟に湧いてしまう怒りや憎悪の念がある。こればかりは致し方ない。しかし咄嗟に湧く悪感情を理念と結びつけて考えるな……それだけは、いつも自分に言い聞かせている。
凶悪犯罪を犯した少年の経歴や顔写真がネットで簡単に出回って晒される社会。それに安易に同調するマスコミ。僕は絶対そういう正義の名を借りたリンチには加担しない。最近手記を出版した事が話題になっている酒鬼薔薇の行為に遺憾を表明できるのは被害者遺族の方たちだけだ。罪を償って出所して来た以上、彼が自分の人生を生きる権利は当然ある。てゆーか、生きさせてやれよ。お前が生きていること自体が許せぬ、と世の中が全体で潰しに掛かるなら、また犯罪に逃げ込むしかないじゃないか。「死ね!」と罵られて、人間そんなに簡単に死ねるものじゃないぜ。
だけど早いもので、あれから十八年の歳月が流れたか……僕にも、そして元少年Aにも。……僕の人生も、いい加減許しておくれよ。