肩の荷が下りたような気分。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 十二年と七ヶ月に渡って勤めて来た職場も、本日、遂に最後の勤務を終えて、現在自宅にて飲酒中。まぁ正直言うと、あまり実感が湧かない……というのが本音だけれど、少しは肩の荷が下りたような気分を味わっているのだろうか?
 この気持ち、久々に味わったけれど、人間関係も含めて、色々な物事を一旦全部チャラにしてしまえたかのような、この清々した気分って、やっぱり悪くはないなって思う。最も、明後日からはまた新たな職場で、新たな人間関係やしがらみに翻弄されながら、あくせくおろおろと生きる事になるのだろうけれどね。
 だから、せめて今夜だけは、束の間の解放感に浸りながら、旨い酒を飲ませてほしい。今夜だけは身の程を弁えずに、ヱビス麦酒を飲んでしまった自分を許してあげたい。
 ま、十二年と七ヶ月の歳月に渡る、あの職場での自分の仕事ぶりを省みれば、口が裂けても、「自分で自分を褒めてあげたい……」という科白は言えないけれど、でも取り敢えず我が影法師よ、
「長い歳月、どうもお疲れ様でした!」

 本日、最後の勤務に当たる僕の頭の中で鳴り響いていた歌はこれだった、泉谷しげる『春夏秋冬』。
https://youtu.be/TM4R9X7jY3Y

 今日ですべてが終わるさ
 今日ですべてが変わる
 今日ですべてが報われる
 今日ですべてが始まるさ

 ……いや、わかっている。今日ですべてが終わったのは事実として、別にそこから何が変わるわけでもなく、ましてや何が報われたわけでもない……という事くらいは。だけど十二年と七ヶ月に渡って勤めて来た日々にピリオドを打ったその束の間くらいは、解放感と共にある程度の余韻に浸ってもバチは当たるまい。そうして、ほんの少しの幻想と戯れさせてくれ。
 だって、どうせ否応なく、すぐにまた新たな始まりに飛び込んでゆかざるを得ないのだから。
 そうして、

 春を眺める余裕もなく
 夏を乗り切る力もなく
 秋の枯葉に身を包み
 冬に骨身を晒け出す

 ような季節の経巡りを繰り返してゆく事になるのだろう、そう、愛のない人たちに蹂躙されて、神経すり減らされてゆくかのような日々を積み重ねながらね。