世界の終わり / 虹色の戦争 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 今更なにを言ってるんだと馬鹿にされそうだけれど、最近、「SEKAI NO OWARI」の楽曲をYouTubeで漁ってよく聴く。いや、おじさんだから数年遅れでその凄さに気づくのは仕方がないだろう。寧ろ、四十歳もそろそろ半ばに差し掛かろうとしているおじさんが、このきらめきに素直に感動できる、その感性の若さをもっと褒めて欲しいものだ。
 まぁ正直に打ち明けると、実は最初は今一つピンと来なかったのだけれどね。なんか毒の失せたフリッパーズ・ギターみたいだな。ルックスとかプロモーションビデオのコンセプトが可愛らしいから受けているだけの子供騙しのバンドに過ぎないんじゃねーの? 大体メンバーの中にピエロが居て、妖精との恋をモチーフにした楽曲があるなんて、あまりにもあざとすぎるじゃねーか……などなど。
 しかし何度か聴いているうちに鈍い僕も次第に気づいて来たのだ、彼らは自分たちの楽曲のコンセプトと世界観をあざとい計算の上に成り立たせている訳ではなく、考えに考え抜いた大真面目なスタンスで、身を削るように表現しているのだ……と。
 そう、彼らは本気なのだ。よく彼らを揶揄するフレーズとして、「中二病」という言葉が使われるけれど、僕はこの言葉を彼らに対する誉め言葉として使いたいと思う。実際、鋭敏すぎるほど感受性豊かで聡明な中学生が青臭く世界の問題に思い悩み、真剣に思い悩めば悩む程、おのれの無力さとちっぽけさにぶち当たってしまう。それでも屈折する事なく、斜に構えるでもなく、あくまでも真っ直ぐな思いを世界に問おうとする意思。その潔癖な意思が、眩しい程にきらめく楽曲の端々から、そして考えに考え抜かれたと思われる言葉の一つ一つから、胸かきむしるような切なさを伴って確かに伝わって来るのだ。

 虫に歌があるなら何を叫ぶのだろう
「平和の解放」の歌を世界に響かせてるだろう
 自由に耳があるなら何が聴こえるだろう
 偽物の平和の歌が爆音で聴こえるだろう
 虫が叫ぶ平和な世界で僕らは愛を歌っている
 虫籠の中で終わりを迎えた「命」は僕に何て言うだろう

 最後の、虫籠の中で終わりを迎えた「命」……というフレーズは、まるで自分の事を歌われているかのようで、あまりにも痛い。最初このフレーズに気づいた時には、虫籠の中で叫ぶ事しか出来なかった自分に思いが至り、「ごめんね…」と少し目元を潤ませて、思わず詫びの言葉を呟いちまったよ。しかし見事な構成の素晴らしい歌詞だと思う。同じく中二病を発露としていたと思われるビートルズ解散後のジョン・レノンの歌が、彼らの歌に比べると物凄く稚拙に思えてしまうほど切れ味抜群で、そして深い。中二病的な感性を発露として、ここまで成熟した表現に辿り着いた存在も早々いないのではなかろうか。彼らは、この潔癖な青臭さを維持したまま、一体どこまで疾走してゆけるのだろうか? 物凄く楽しみである。
 遅ればせながら、ちゃんとCDも買おうと思っている。

https://www.youtube.com/watch?v=od8CNHDkIJA&list=RDw9V3x61D994