先生は才女なのだ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 先週の金曜日から日曜日に掛けて、先生が主張で名古屋に来ていたらしい。
 先生の日曜日の飯ブログに、撮影し忘れた昼食のメニューの代わりに名古屋城が遠景に映る風景写真が撮られていた。
 市役所辺りから撮ったショットだろうか?
 せっかく名古屋に先生が来ていたのなら会いたかったな。
 いや、会いたいだなんて対等みたいなことを言うのはおこがましい。
 一目でいいからその姿を見かけたかったな。
 まぁ名古屋もこれで案外広いから、いくら先生が名古屋に来ているからといって、街中うろついていれば奇跡の邂逅……というわけにもいかないのだけれどね。

 ……それにしても、最後に先生の姿を見かけて、もう三年の歳月が流れてしまったのだな。
 この先もう二度と先生に会える機会も廻っては来ないのだろう。
 
 これで、先生を偲ぶ機会もまったくなくなれば、次第にその面影も薄れて、ごく自然に忘れてゆけたのかもしれない。
 しかし今の時代はインターネットという、ある意味もう一つの世みたいな世界が存在して、個人が至極簡単に自己を発信できてしまう。
 で、才気煥発な先生も又、ネットを通して自己を積極的に発信しているのだよな。
 実名で。
 または匿名で。

 先生のその発信を日々チェックしていると親しみが弥増すばかりで一向に忘れる事など出来やしない。
 罪な話である。

 特に今年に入ってから先生の匿名ブログに偶然にも辿り着いてしまった事で、より一層親近感が湧いてしまったのだ。
 
 そう、先生が名古屋に居た頃は、確かにその姿を身近に見かけることは出来た。しかし、先生の人となりなど、その雰囲気からあれこれ憶測する事しか出来ず、要するに先生の事を何も知らぬまま、勝手に先生の幻影を自分の胸中に育むことしか出来なかったのだ。
 それが先生が東京に去ってしまい、もう二度と会う事もないであろう今更、先生がどんな人生を歩んできて、どんなことに興味を抱いていて、毎日どんなふうに暮らしを立てているのかを、ネットを通して垣間見ることができる。先生を身近に見かけていたあの頃より、今の方が遥かに先生を身近に感じられてしまう。

 考えてみれば不思議な時代だよね。

 そして先生が小説を書いている事もネットを通して知れた。
 
 そしてその小説を読むことも出来る。

 で、エバーグリーンな味わいだった一作目から間を置かず、早くも二作目の短編がアップされているのに気づいて読んでみれば、これが一作目とはまた味わいの異なる見事な出来映えであった。
 長く交際していた彼氏を不細工な地下アイドルに奪われた三十路女のモノローグで構成された短編なのだけれど、手遊びで書き上げた印象の前作より、今回の作品の方が描写もしっかり書き込まれていて、構成も巧みで、完成度は高い気がする。地下アイドルの娘のファッションを含めた描写も、引っ越した先の中野の街並みの情景や風俗も凄くよく書けている。何より起承転結が素晴らしく、短編は斯く書くべし、という御手本みたいな構成力だ。前作に引き続き落とし処も舌を巻くほどに上手い。学生の頃に向田邦子の作品を読み込んだ事をブログに書いていたけれど、確かに向田邦子の影響が感じられるのかな。向田邦子の短編の巧みさのみを血肉化して、しっかり先生の色に染めて表現されている。あまりの素晴らしさに思わず通して三回も読んでしまったよ。

 こんな短編をさらっと書き上げてしまえる才能があれば、きっと人生豊かになるのだろうな……と思う。だけど独立の準備で忙しい筈なのに、これだけの分量と出来映えの短編を前作からさほど間を置かずに書き上げてしまうって、どれだけのエネルギーを秘めているのだあの人は。