顔の見えない相手。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 人柄と育ちの良さが如実に反映された駄洒落まじりの飄々としたツイートの楽しさと、取り上げる音楽などの趣味の良さに刺激を受けることも多く、最初のアカウントでTwitter登録した当初から、かれこれ2年、毎日のように覗かせてもらっているアカウントがある。憎めない茶目っ気や、微笑ましい毒は時に宿るものの、人から嫌われるような要素など全く感じられない、とてもセンスのよいツイートばかり日々更新しているアカウントだ。
 実際フォロワーさん達からの信頼も篤く、そのアカウントが、様々なフォロワーさん達の交流の中継地になっている印象もある。
 しかし、そんな愛すべきアカウントでも、時折ちょっとした誤解や感情の行き違いが原因で、フォロワーさんと揉めてしまう様を見かけてしまうこともある。あるいは病的に粘着質な相手から鬱陶しい絡まれ方をして困惑している様子も。
 自分も願わくは斯くありたかったと思わせる理想的な同世代の男性像しか浮かんでこないアカウントなのだけれど、こういう粋な大人でもフォロワー数が千五百にも達すると粘着質な相手から不快な思いを味あわされることを思うと、つくづく顔の見えない相手との交流は面倒そうだ。そのアカウントの、日々のフォロワーさん達との交流を覗き見ていると、ちょっと羨ましくなる時もあるけれど、しかし、やっぱり僕にはとても楽しめない世界だなって思う。

 僕はう理さんだけでいいです。う理さんとだけ交流がしたいです。今はツイートが途絶えてしまっているう理さんですが、僕は知っています、う理さんのアカウントが、フォローの数を時おり少し増やしたり、あるいはリムーブをしてみたり、完全に動きを止めてしまっているわけではなく戯れに動いている事を。
 だから、う理さんのツイートも、いつかまた復活する日を期待しています。この際、う理さんが先生でなくても構わない。う理さんからいつかリプライが届く日を夢見て、僕は、う理さんの心の扉を開けるために毎日Twitterに呟きを落としています。
 う理さんの心の鍵穴に、ぴったり嵌まるツイートを落とせば、いつかカチャリと手応えを感じる音と共に、う理さんの心の扉が開いて、その後、なにか素晴らしい事が待っているかのような、あたかも星新一のショートショートみたいな展開を夢見て。

 そう、僕は再びTwitterに呟きを落としている。フォロー数1。フォロワー数0のアカウントにて。

 もちろんフォローしている、たった1人は、う理さん、あなただ。
 そうして、たった1人、あなただけがフォロワーになってくれるのを、僕はずっと夢見ています。