理念と感情にはきっぱり線を引け。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 私は死刑廃止論者である。いかなる権力も死をもって人を裁く権利を持ち合わせるべきではないと思うし、どんな極悪非道な奴とて、「殺すな!」という立場を取る。
 そう、理念の上ではね。
 しかし日常の折々に理不尽な悪意ぶつけてくる奴、或いは無礼千万でまともな口の利き方を知らぬDQN、こういう連中と係わり合わねばならぬ際に腑を煮え繰り返らせて浮かぶ思いは殺意だ。
「ぶっ殺すぞてめぇ!」とか、「お前なんか生きている価値はねぇ、クズ、死ね!」…とかね。
 これが私の感情だ。
 理念と感情が矛盾する。しかし私はここに後ろめたさも途惑いも覚えない。寧ろ、これが当然だと思う。
 そう、理念と感情は全くの別物なのだ。
 逆に理念と感情を結び付けようとする方が至って危険だと思う。理念をエモーションで構築しようとしたり、咄嗟に沸き立つ感情を理念で解釈しようとする行為だ。
 様々な歴史を紐解いてみれば、上はヒトラーから下は群衆心理まで、突き詰めると、理念と感情の間に意識的な線を引けなかったことで惨劇が繰り返されてきたと知れる。
 だから私は目の前の不愉快な相手に、「殺すぞ!」と思いつつ、普段は、「殺すな!」というスローガンに共感を覚える自分に、人間的矛盾は全く覚えない。矛盾を覚えぬよう、意識的に心がけている。