かにみそ | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 年末にかにみそを一缶買う。そのかにみそを大晦日の夜から三が日に掛けてちびちび撮みながら酒を飲む。もう二十年以上、これが年末年始の私のささやかな贅沢だ。普段は寿司屋に行けば食べる程度で、日常的に特にかにみそが食べたい欲求が湧くわけでもないので、まぁ惰性の習慣と言えば惰性の習慣のような気もするが、しかし年末年始のこの習慣をやめるつもりはない。実は三年前の年末にうっかりかにみそを買い忘れてしまった事があり、その時は、まぁ仕方ないか、わざわざあらためて買いに行く程のものでもないだろう…と諦めてしまった。しかし、いざ大晦日を迎えると、かにみその味わいと共に新しい年を迎えられない事が妙に口さみしかったのを覚えている。そしてその翌年は一年を通して、あまり良いとは思えぬ年になってしまったのも記憶に新しい。
 そういう次第で縁起を担ぐ意味合いも込めて、かにみそと共に過ごす大晦日、そして三が日の習慣は今後も続けてゆこうと思う。実際、かにみそって、社会的にもぱっとしない四十過ぎの男やもめの年末年始のささやかな贅沢として、その苦味の深みも含めて、ちょうど手頃なアイテムのような気がしないでもない。少なくとも若い頃より近頃の方が、年末年始にひとりで舐めるかにみその味わいの深さが、そこに含まれる人生の悔いや日常の侘しさも込みで、より一層わかるようになった気もする。