若い頃から睡眠時間はそれなりに長い方だった。しかし若い頃は睡眠時間を取りすぎる事に後ろめたさや悔いを覚える程度には、過ぎ去ってゆく時の流れに焦燥感を抱き、流れゆく時を出来るだけ隻止めたい…という心意気は持ち合わせていたと思う。眠って過ごしている間に無駄に過ぎ去ってしまう時間はあまりに勿体ない、とね。
しかし時の流れを持ち堪えようとする意思や気力は年々衰えてゆき、四十歳を過ぎた今は、もうお手上げ。心に白旗を掲げて、垂れ流れるがままに垂れ流れてゆく時の流れを茫然と見送っているしか術はない。
そういう次第で最近は寝過ぎる事に対する悔恨や自己嫌悪を抱く事は微塵もなくなってしまった。若い頃は毎日のように、今日は何時間寝てしまったのだろう…と一々苦に病んだりもしていたが、気づけば、いつの間にかその手の焦燥感からも解放されてしまっている。もちろん仕事のある平日の朝は、まだ寝ていたくても無理やり起きる。しかし休日の、特に約束も用事もない朝は、身体と心が求めるがままに寝て過ごす。無理なく起きられる気力が心身ともに充分に宿った状態になり、ようやく起きる。夜も、あまり早く寝ては勿体ない…とは考えなくなった。眠気が少しでも訪れたら抗う事なく布団かぶってすぐに寝てしまう。洒落でも冗談でもなく、心底、「寝るが極楽である」と思う。
考えてみれば起きている時も、独り自宅で気楽に酒を飲んで酩酊している時間が今は一番好きだし、要するに私は覚醒を生きる事が既に面倒臭くなっているのだろう。
無能無才で不甲斐ない己の身の程は既に否応なく弁えてしまっている。心情的には、この社会からドロップアウトした気分で生きている。理解者とか、人の温もりとか、そんなものも今更もう求めちゃいない。それ故この頃は絶えず侘しさや淋しさに付き纏われるけれど、それと同時に、人生投げた故の気楽さを生きられるようにもなった。
そう、侘しさや淋しさを噛み締め味わいながら、「寝るが極楽」と出来るだけ酩酊と戯れ夢の巷を彷徨ついていればいい。