日本は4月から新年度という企業が多いので何名かの知人もこの3月末で本帰国という人がいますね。我が社の駐在員も3月末で本帰国になります。彼はここでの生活が気に入っているようで、また将来チャンスがあれば戻って来たいなどと言ってましたが、ちょっと年齢的に無理でしょうね。

さて駐在員といえばかつては花形のように言われていましたが、日本企業は円建てのグロスで給与保証が普通で、いくら手当がつくとはいえこの円安で欧米で暮らすのは大変でしょうね。私がかつて中国に駐在していた頃に日本で政権交代が起きて数ヶ月で一気に2割以上円安になり、日本円で残しておいた日本の手取り分は何も調整していないのにみるみる減っていきました。あの当時から見ても今はさらに円安ですから、ちょっと駐在員には同情したくもなりますが、ほとんどの日本企業は家賃補助もかなり出してくれるし、所得税は現地法人持ちなんてのも結構ありますから本人は気楽で、上記の彼のように考えがちですが、現地スタッフの立場からすると、これだけの給与ならもっと稼いでくれよと思いますけどね。

駐在員絡みで色々見聞きした話を並べると、先ずAさんの場合。単身赴任でしたが家事がほとんどダメで、結局こちらの生活に馴染めず2年弱で本帰国となりました。ドイツ語はもちろん、英語もほとんどできない人だったので何故彼を駐在に出したのか、ちょっとあの企業の考えが分からなかったです。

英語力がほぼゼロで帰国させられたBさんの例はもっと酷く、ご家族も来ることになっていたそうですがご家族が来る前に送還されてしまいました。本人は新天地でやる気があったそうですがその割に準備不足は明らかで、現地スタッフからこれではご家族が来ても面倒見きれないでしょうとダメ出しをされたそうです。驚いたのが駐在なので大体3年前後で本帰国になるにも関わらず、持ち家を手放してしまっていたこと。どうも奥様が海外生活に前のめりで、華の駐在員生活を夢見ていたようですが現実はかなり厳しいものになってしまいました。多くの日本企業は家族同伴は許可しているものの駐在員自身が生活に慣れる半年くらいは様子見とするというルールを設定していると聞きます。このBさんの例はかなり悲惨な例ですね。まぁ本人の問題ですが。

Cさんの場合は本人は馴染んで駐在期間を無事に終えたのですが、彼の奥様が中々のキャラクターで、Cさんが結構困っているのをよく見ました。ある日Cさんが2週間ほどの予定で北欧へ出張に行っていたところ奥様から連絡があり、週末にミュンヘンへ戻って来いとのこと。小さなお子さんがいるので何かあったのかと聞いてみると、徒歩で15分ほどかかるスーパーまで水の買い出しに行って欲しいとのこと。まぁ奥様は車の運転ができないのと、小さなお子さんを連れて徒歩15分の距離を大きな買い物を抱えて歩きたくないというのは分からないでもないですが、流石にこれにはCさんも参ってました。結局奥様とお子さんは旦那さんの駐在員生活にはついて行けず早々に日本へ帰国したのでした。

駐在員の奥様の知り合いはあまり居ませんが、ドイツ人と結婚してお子さんが日本人学校に通っている、あるいは通っていた奥様方には結構知り合いが多いです。このような人たちからよく聞くのは現地人の視点で見た駐在員の奥様方の話。普通は3年、長くて5年程度で本帰国になったり、次の赴任国へ異動になったりするので仕方ない部分もありますが、現地の言葉を覚えるでもなく、現地の生活に馴染むでもなく、かと言って働けないので結局日本人だけで固まって狭い社会で生きていると。中には同じ会社で同じ地域に住んで会社そのままの上下関係の中で窮屈な思いをしている人もいるようです。それでも日本に帰任した時に備えての見栄なのか、英語を勉強しようとする人はいるそうですが、中1レベルにも達していない英会話力で日本で何をするんだろう?と言っていたのは失笑するしかなかったです。

そういえば私の学生時代の友人は私もよく知る先輩と結婚してドイツのとある街に駐在妻として暮らしていました。彼女はアメリカからの帰国子女で英語はペラペラ、金融系で総合職でバリバリ働いていたのですが、旦那の海外赴任のため退職して付いてきたのでした。その街でも前述のような駐在妻の社会があって相当鬱陶しかったそうですが、上の人たちが帰任で1人抜け2人抜けとなってとうとう自分が御局様になった途端、それまでの慣習やくだらないルールをスッパリと変えてしまったそうです。男らしいサッパリした性格の彼女らしい話だなと思いました。