ニコラス・レイ監督

 

エデンの東」とはジェームズ・ディーン1),音楽のレナード・ローゼンマンつながりです。

 

 

問題を起こしては引越,転校を繰り返す主人公ジム(ジェームズ・ディーン)。家出少女ジュディ(ナタリー・ウッド),子犬を撃ったプレイトー(サル・ミネオ),それぞれが家庭に不満を持った者同士の2日間のできごとを描いたお話

 

 

この映画はまさにジェームズ・ディーンの映画です。

「エデンの東」の反響からジェームズ・ディーンがスターの地位を獲得したことが明らかになりました。

配給会社ワーナーブラザーズは撮影中だったこの映画のアップグレードを決定し,白黒映画の予定だったこの映画をカラー撮影するよう命じたとされています。

 

グリフィス天文台のシーンでのヤンキー,バズ一味たちの人数も白黒映画ではもっと大勢いたようですがカラーになって予算の関係でずいぶん少なくなったようです。

 

 

監督のニコラス・レイはジェームズ・ディーンが若年層の観客を引きつける力があることに気づき,アドリブで演技する自由を与えました。

キャストはしばしば監督からではなく,ディーンからの指示を受けたと伝えられています。

映画の冒頭ジムが地面に落ちているおもちゃを見つけて遊んでいるところもディーンが即興で演じたものです。

 

 

またグリフィス天文台でのナイフで戦うシーンの撮影では,本物のナイフを使用しています。

ディーンが撮影中に流血し,撮影を止めた時は,ディーンは「俺が本気を出しているときにシーンをカットするな」と怒ったそうです。

 

 

 

この映画の主人公たちは自分たちの家庭に不満を持っています

★ジム

母親の言いなりになっている父親がふがいないって思っているのでしょうか。

父親がエプロンをつけて料理を運んだりする姿にジムが苛立つシーンがあります。

スーツの上にフリルのついたエプロンはいかにも情けない格好です。

この当時は男子厨房に入らずの時代だったかもしれませんが,それにしてもこの演出はやり過ぎでしょう。

 

★ジュディ

ジュディとその父親の関係もかわっています。

僕の認識としては通常,年頃の女子にとって父親は「うざい」存在なのではないかと思います。16歳の娘からキスをされてやめろって言ってほっぺたひっぱたくオヤジがいるの?って感じます。

もう少し詳しい説明の映像があったのにカットされたのでしょうか。

 

★プレイトー

プレイトーは両親と別居しており,親からの愛情がないと感じているのでしょう。

ちゃんと養育費を振り込んでいるので最低限の義務は果たしているのではないでしょうか。ただ別居している親の愛情がどうなっているのかはわかりません

 

 

十代が主人公の映画であり,自分が十代の時に見た時は,彼らに共感をおぼえたはずですが,年月を経てから見ると父親目線で見てしまいます。

 

ジムの父親のエプロン姿はちょっとひどいですが,家事を手伝っていると考えれば,いいお父さんでしょう。亭主関白然としてモラハラまがいの態度をとるオヤジなんかよりずっといいと思います。

でもジムがチキンゲームでバズが死んだことを相談したところで,どうしたらいいと聞かれた時はやはりキチンと答えるべきでした。

まあ答えられないからこの映画が成り立っているのですけど。

 

ここでもジェームズ・ディーンの生々しい感情を表現した演技が炸裂しています。

このほか最初の警察署での演技もジェームズ・ディーンですね。警察署で署内の机に怒りをぶつけるシーンでは,本気で殴ったので手にひどい打撲を負ったそうです。

そこまでやるか。

 

 

プレイトーは親がいない分,人一倍孤独感が強いのだと思います。

プレイトーはジムが好きです。同性愛だという説もあります。

ロッカーにはジョージ・スティーヴンス監督の シェーン(1953)で主演をつとめたアラン・ラッドのブロマイドが飾られていました。この当時の人気俳優です。

だからといって同性愛だとは限らないと考えたいですが, "Plato"というあだ名自体が古代ギリシャの哲学者プラトン Platoを示唆しています。プラトンの時代には同性愛は一般的に見られ,プラトン自身も男色者だったと言われています。

 

 

居眠りしたプレイトーを残し,ジムとジュディが頬をすり寄せ合って愛を語り合っていると,プレイトーは何で僕を1人にした,君は僕のパパじゃないと言い,銃を持って外に飛び出していきます

そして最後のグリフィス天文台のシーンになります。

 

 

撮影当時はジェームズ・ディーンが24歳でしたが,ナタリー・ウッド,サル・ミネオは本当に高校生の年齢でした。


この映画のジェームズ・ディーンのファッション

 

マクレガーの赤いアンチフリーズジャケット,白いTシャツ(たぶんヘインズ),Leeのジーンズ101Z Riders,エンジニアブーツ(たぶんチペワ)

 

シンプルだけど様になっています。

1950年代以前,Tシャツは完全にアンダーウエアという認識であり,映画スターはオーダーメイドのスーツを着てスター然としているのが当たり前でした。ジェームズ・ディーンのファッションは当時としては過激であり反抗的なイメージだったのだと思います。

僕も若い頃は同じような格好をしたことがありますが,赤いジャケットはさすがに着られませんでした。ジ-ンズも僕はリーバイス派です。エンジニア・ブーツも持っていませんし,どう見ても履くのが大変そう。完全に真似できたのは白いTシャツだけです。

 

脚を交差させフレミング右手の法則よろしくタバコを持っているポスターは有名ですが,左手の法則のポスターもありました。映画では右でタバコを持っていたので左手の法則はただ反転させただけですね。

 

 

 

 

この映画は1998年AFI(アメリカ映画協会)が選ぶアメリカ映画ベスト100で59位に入っています。

 

 

 

1)   ジェームズ・ディーン

エデンの東(1955),理由なき反抗(1955),ジャイアンツ(1956),3本の映画に出演しましたが,1955/09/30,ポルシェ・550スパイダーの運転中,衝突事故でなくなりました。翌日行なわれるレースに参加するために会場に向かっている途中でした。皮肉にもレース会場は「エデンの東」の舞台となったサリナスです。享年24歳。

「理由なき反抗」は死亡から1ヶ月後に公開されました。

出演映画のうち生前に公開になっていたものは「エデンの東」だけでした。

「エデンの東」,「ジャイアンツ」は彼の死後にアカデミー賞主演男優賞にノミネートされています。

 

この当時,ディーンはロバート・ワイズ監督でロッキー・グラジアノの生涯を描いた 傷だらけの栄光(1956),アーサー・ペン監督のビリー・ザ・キッドの物語 左きゝの拳銃(1958)に出演契約を結んでいました。非業の死を遂げた後,その役を演じたのはどちらもポール・ニューマンでした。

この偶然がポール・ニューマンをスターに押し上げた,とも言えます。

ポール・ニューマンは「エデンの東」でもキャル役の候補になっており,一緒にスクリーンテストを受けています。

 

ジェームズ・ディーンの残したレガシーはいろいろなところにあります

エルビス・プレスリーはディーンを偶像化していました。ディーンへの尊敬の念を語り,ディーンの足跡をたどるために俳優の道に入ったと言っています。

ジョン・レノンも「もしも彼がいなければ、ビートルズだって存在しなかっただろう」と言い,後に一時代を築くロックなどの音楽シーンにも影響を与えたと言われています。

 

またジェームズ・ディーンはジーンズをアメリカのユニフォームにしたとも言われており,アメリカの若者を映画というメディアに初めて登場させた俳優という評価もされています。

彗星の如く現れ,消えていった稀代の青春スター,レジェンドです。

 

 

 

ついでにもう一つ

ウルトラマンのファイティングポーズ

ウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏氏は,「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンが演じたナイフでの決闘シーンの前傾姿勢を参考にしたと言っています。

また全く関係のないところへもジェームズ・ディーンの残したものが息づいています。

 

最後にジェームズ・ディーンの言ったとされる名言

Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.

永遠に生きるつもりで夢を抱け。今日死ぬつもりで生きろ

こんなカッコイイ言葉を24歳の若造が発したの?