第二次大戦後のニューヨーク,ブルックリンが舞台です。アメリカ南部出身の作家志望の若者の目線で物語がつづられます。
同じアパートのポーランド人の女,その恋人のユダヤ人と交流を深めます。
彼女がアウシュヴィッツ収容所で想像を絶する過去を背負っており,戦争が残した深い傷の重さが浮かび上がりました。
クレーマー,クレーマー(1979)とはメリル・ストリープつながりです。
1947年,ニューヨークブルックリンのピンクのアパートに入居した南部出身で作家志望の若者。
恋もなく,死とは無縁と言っていたスティンゴ(ピーター・マクニコル)部屋の外で男女のケンカの声が聞こえました。
このふたりがネイサン(ケビン・クライン)とソフィー(メリル・ストリープ)でした。
ネイサンが発する言葉が何ともスゴイ
「キミは膿を吹き出す疔,寄生虫,苦しみもがく胆石,ブライト病か脳腫瘍」
ソフィーを泣かせて出ていきました。
ちなみに「疔」とは 毛のう炎のことです。「面疔」は顔にできた毛のう炎です。
「ブライト病」とはよく分りませんが腎臓病のことらしいです。
クラコウに帰れと言っていましたが,クラコウ=クラクフ(Kraków,ポーランドワルシャワに次ぐ第2の都市)です。
ネイサンはちょっとしたことですぐキレる危ない性格です。
ソフィーの父はポーランドの大学教授でナチの脅威を説き続け,迫害を受けているユダヤ人を助けたと説明されました。
翌日,昨日の暴言はすっかり忘れたようにネイサンらがスティンゴをピクニックに誘いました。
この日のネイサンは全く陽気です。
「ユダヤ人がカソリックのポーランド人に恋をした」とスティンゴに説明します。
ネイサンはユダヤ人です。
終戦後,ソ連によってナチの収容所が解放され,入っていたソフィーがネイサンに出会いました。
ソフィーは弱り切っていて,死ななかったのが不思議だったそうです。
ネイサンはハーバード大卒業の生物学者,ファイザー① の研究員。兄が医師と紹介されました。
ソフィーとネイサン,ふたりはラブラブ,スティンゴも加わり,
3人で遊園地に行ったり,楽しく過ごしました。
ネイサンがソフィーを救ったエピソード
ソフィーが通っていた英語教室で紹介されたアメリカの詩人エミール・ディケンズの本を調べようと図書館に行きました。
しかし,そこの職員(司書?)から冷たくあしらわれます。
そんな名前の作家はいない,チャールズ・ディケンズはイギリス人だと。
本当に意地悪なヤツでした。
ソフィーはめまいで倒れ,そこに現われたのがネイサン。
ソフィーの前腕に番号,そしてリストカットの痕を見つけました。
ネイサンはソフィーを介抱し,顔色が悪いのは鉄欠乏だと言い,子牛のレバーを調理。
シャトーマルゴー(CHATEAU MARGAUX)1937年のワインを奮発します。
この1937年のワイン,現在もネットでは15万円前後でで手にはいるようです。
ソフィーがこのワインを口にして言ったセリフ「この世で聖人のように生きて天国で飲ませてもらえるのはこのワインよ」
すごくうまそうに表現していましたが,生産者のテイスティングノートによると「シャトー・マルゴー1937年は,若いうちは非常にタンニンが強く,開くまでに長い時間を要する」ワインだそうです。
ようするに作られてまもない頃は「渋い」ってことです。
ただタンニンは様々な成分と結合して複雑な風味をつくり出す上,骨格がしっかりとし口内で「重たさ(充実度)」を感じると言われています。
抗酸化作用が強いため長持ちするので長期熟成に向いていて,熟成させると味わいがまろやかになります。
ワイン通の知り合いから仕入れた情報です。ボク自身はワインのテイスティングは全くできません。
ネイサンがエミリー・ディキンソン の詩集を出してきました。
ソフィーが探していたのはエミール・ディケンズではなくエミリー・ディキンソンでした。
ここで詩の朗読。 バックに流れる音楽も良いです。音楽は マービン・ハムリッシュ②です。
スティンゴはソフィーに惹かれていきます。
そんなスティンゴにソフィーは「あなたは若くて将来がある才能のある男。本当の悩みなどない人間」だと若かりし頃の話をしていきました。
大学教授の父の教え子の男と結婚していたけれど,父と夫はある日突然ナチに連れられていきザクセンハウゼンの収容所で射殺された。
母は結核で母のためにヤミでハムを手に入れたけど見つかってアウシュビッツへ送られた。
戦後,解放されたけれど神(キリスト)に見捨てられた。
愛する人たちを奪って自分一人を残した。
そして教会で手首を切った。
あなたにはわからない。あなたには話せないいろんなことがある・・・と言って涙
「話せないこと」 はあとで明らかになってきます。
ネイサンがスティンゴの元を訪れ書きかけの小説を読ませろと迫ります。
この時スティンゴに投げたビールはたぶん Rheingold Beer*です。
*: 1950年から1960年までニューヨーク州のビール市場の35パーセントを占めていましたが,1976年には大規模な全国ブランドのビールメーカーとの競争に負けて操業を停止しています。
現在のアメリカのビール売り上げはバドワイザー,クアーズ,ミラー,コロナの順のようです
スティンゴの小説を読み終わったネイサンは大音量でベートーヴェン交響曲9番③の最終章の指揮をしていました。
そして3人はブルックリン橋に行き,ネイサンはシャンパンを開けて演説
「この橋をアメリカの詩人たちが渡った。(ウォルト)ホイットマン,(トーマス)ウルフ,(スティーヴン)クレイン,その神々の神殿にスティンゴも加わる」
ネイサンは「研究の結果が出た,医学の歴史を変える画期的な進歩だ,来年はストックホルム(ノーベル賞)に行く」と有頂天でした。
しかし,夜,ネイサンは酔って帰宅するとまた別人のように荒れました。
ソフィーを散々罵倒し,大げんか,ふたりとも出ていったきり帰りません。
スティンゴはソフィーが心配で,大学に勤務している女友達の所に行っているかも知れないと聞いて,大学に行きました。
そこで衝撃的事実が明らかになりました。
ソフィーの父から,かつて講義を受けた大学教授の話。
ソフィーの父は反ナチどころか親ナチだった。親ナチでもポーランドの大学教授は見境なく処分されたと。
ソフィーが帰ってきたので,なぜ嘘をついたか問いただしました
ソフィーは父親の演説の「ユダヤ人問題」という原稿をタイピングしていた時に,ユダヤ人は抹殺するしかない,「駆除」"Extermination"という語句を使っていたことにショックを受けました。
「駆除」 この言葉は昨年,頻繁に出没する「熊」に対する処置として使われた言葉ですね。
そして子供たちとアウシュビッツへ送られ,生きる人間と死ぬ人間に選別されました。
ソフィーはドイツ語に堪能だったので収容所の所長ルドルフ・ヘスの秘書になりました。
このルドルフ・ヘスは実在の人物です。
この所長宅はアカデミー賞作品賞にノミネートされた 関心領域(2023)で描かれたた所長宅と同じでしたね。
まっとうに食べ物も与えられないユダヤ人たち,一方,贅沢に暮らすドイツ将校。
シンドラーのリスト(1993)の中で描かれたクラクフ・プワシュフ収容所,所長アーモン・ゲートのような残虐行為を行ってはいませんが,ユダヤ人大量虐殺の責任者であり,ルドルフ・ヘスは戦後に絞首刑に処せられています。
ソフィーは所長に息子の命乞いをしましたが,約束は果たされることもなく,生きる気力をなくしたところで出会ったのがネイサンでした。自分はネイサンのために生きていると言い涙します。
スティンゴはそれを聞いてソフィーを抱きしめました。
ネイサンの兄から連絡があり,ネイサンが生物学者だというのは嘘で精神分裂病*の診断されていることを知らされました。
*: 現在は統合失調症と呼ばれています
麻薬をやらなければ少しは望みがあるから見張ってくれと頼まれました。
帰ってみるとふたりはアメリカ南部の夜のコスプレ
そしてスティンゴを介添人として,その前で求婚
しかしネイサンはまたもや異常行動,スティンゴがソフィーと寝たと言い,銃を持ちだしました。
スティンゴとソフィーは逃げました。そして今度はスティンゴがソフィーに求婚しました。
ソフィーは「私は30歳を過ぎている。年の差だけではない」
そう言って,今まで誰にも話したことがないことを告白しました。
アウシュビッツに着いた春の夜の話
ドイツ兵から声を掛けられ,自分はポーランド人でユダヤ人ではない。クリスチャンだと訴えました。
すると,キリストは言っている。「幼き子供らをわが手によこすと良い。子供は一人残して良い。選べ。選択の特典を与えてやる」
I can't choose.と言いながらも,最後は "Take my little girl"「娘を連れて行って」
泣き叫ぶ娘・・・。
究極の選択ですね。これがこの映画の題名"Sophie's Choice"です。
それにしても,このドイツ将校は残酷きわまりない。
その夜,スティンゴは夢に想い続けた女神ソフィーを抱きました。
しかし,朝になるとソフィーは手紙を残してネイサンの元に戻りました。
そして青酸カリ服毒心中
ネイサン
統合失調症からの幻覚や妄想,情緒不安定は映画の中でも感じられる事柄です。
自殺企図はあり得る話ですね。
戦後まもない頃の精神科治療がどんなだったかはわかりませんが,きちんとした治療を受けていれば自殺は避けられたかも。
ソフィー
アウシュビッツでの娘を見殺しにした消えない罪悪感,そこからくる自己の処罰願望。
余りにも悲惨なトラウマを乗り越えられず,彼女にとって未来は希望ではなく,過去の記憶が続いていくだけの時間だったのかも知れません。
そしてネイサンとともに「死」を選択(Choice)したのかも知れません。
ふたりの部屋に置いてあったエミリー・デキンソンの詩集
広い寝台を畏れをもって準備し公正な審判が下る時を静かに待とう
しとねをまっすぐに,まくらは丸く,朝日の黄金色の騒音に乱されぬように
Ample make this Bed ——
Make this Bed with Awe ——
In it wait till Judgment break
Excellent and Fair.
Be its Mattress straight ——
Be its Pillow round ——
Let no Sunrise' yellow noise
Interrupt this Ground ——
ここで言うBedは「眠り」ではなく「死」を意味するんでしょうね。
公正な審判とはキリスト的な最後の審判なんでしょう。
エミリー・デキンソンは敬虔なキリスト教徒でした
まぶしく,通常は希望を持ってながめる Sunriseも死を前には静寂を妨げる存在だということでしょう
最後にスティンゴの独白
ブルックリンに迷い込んだボクの学びの旅は終わった
ソフィーとネイサンの怒りと悲しみ
虐殺され殉死した人々の怒りと悲しみを突き抜けて
僕の目は見ていた
濁った川面に朝の光が差すのを
審判の日ではない。ただの朝だった。
美しく晴れ上がった朝だった
Poemだなぁ
マディソン郡の橋 (1995)でもメリル・ストリープ演じるフランチェスカも選択を迫られていましたが,その時とはまた比べられない,究極の「選択」ですね。
Decisionは「決断」。じっくり考慮して決めることですね。
Choiceは熟慮なく選ぶことです。それにしても自分の子のどちらを選ぶかなんて熟慮しても決められないですね。
ホロコーストを題材とした映画はだいたいが心を締め付けられる映画です。
この映画でのソフィーは戦後,元気になったようにみえました。
しかしそれは表向きの話で自分が選択したことで幼い娘を直接死に追いやった事実から解放されることがなかったのだと思います。
どのようにしても結果は変えられず,悲劇的な最後だったかもしれませんが,自分を納得させることができなかったのでしょう。
監督のアラン・J・パクラはアメリカ人ですが両親はポーランド系ユダヤ人です。
音楽のマーヴィン・ハムリッシュもアメリカ人ですがユダヤ系です。
主人公のメリル・ストリープの出生はユダヤとはまったく関係なく,ただただソフィー役を演じたくてアラン・J・パクラ監督に懇願し手に入れたようです。
そのためもあって彼女の演技が本当にスゴイです。
ポーランド訛りを覚えただけでなく,ポーランド難民の正しいアクセントを得るためにドイツ語とポーランド語の話し方も身につけました。映画制作に携わっていた助手の一人からポーランド語を学んだと伝えられています。
アウシュヴィッツのソフィーはやせ細り,いかにも栄養失調の収容者でした。
マディソン郡の橋(1995)の肥えた体型のフランチェスカと対照的です。
メリル・ストリープはこの映画でアカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
AFI(アメリカ映画協会)が選ぶアメリカ映画ベスト100(10周年エディション,2007)で91位に選ばれていました。
近代映画社SCREEN誌の執筆者が選ぶ日本公開1983年のベストテンでは第1位,読者が選ぶベストテンでは7位でした。
① ファイザー
アメリカの製薬会社です。1941年,ペニシリンの大量生産に成功して一流会社の仲間入りしています。
1928年,フレミングによって発見されたペニシリンは,感染症に対する特効薬として画期的なものでしたが量産ができませんでしたが,ファイザーが大量生産に成功しました。おりしも第二次世界大戦中。ノルマンディ上陸時の連合軍が携帯したペニシリンはほとんどがファイザー社のものだったそうです。
最近では新型コロナのワクチンをいち早く製造,実用化したのもファイザーです。
製薬会社売り上げでファイザーは全世界で第3位です。1位はスイスのロシュ,2位は米メルクです。
ちなみにファイザー社はドイツからの移民によって設立されています。
ドイツと言ってもナチとは関係ないかもしれませんが,ユダヤ人のネイサンの勤務先をファイザーにしたことは皮肉めいている気がします。
② ベートーヴェン交響曲第9番
ベートーヴェンの作品で,年末に良く演奏される「合唱」とか「第九」と呼ばれる有名な曲です。
この曲が1枚のCDに収まるようにCDの記録時間が74分になったとも言われています。
"Alle Menschen werden Brüder." 「全ての人間は兄弟」,という人類愛の歌ですが,ナチ政権下ではドイツ文化の至高の象徴や「偉大なゲルマン精神」を強調され,ナチの国家行事などで演奏された楽曲です。
これをネイサンが昂揚して恍惚的に指揮をしていることもまた皮肉めいてますね。
ネイサンが指揮していたベートーヴェン交響曲第9番のフィナーレを聞き比べる映像はたくさんあります。
③ マーヴィン・ハムリッシュ
7歳で名門ジュリアード音楽院に史上最年少で入学しています。
"The Way We Were"歌曲賞,追憶(1973)の作曲賞,さらにスティング(1973)での作曲・編曲賞(スコット・ジョプリンのラグタイムをアレンジ)と1974年のアカデミー賞音楽部門3部門を一晩で受賞しています。
アカデミー賞,エミー賞,トニー賞,グラミー賞,ピューリッツァー賞の5大賞をすべて受賞した2人目のアーティストです。
ちなみにもうひとりはサウンド・オブ・ミュージック(1965)の作曲者リチャード・ロジャースです。
ほかにも,007/ 私を愛したスパイ(1977),普通の人々(1980),コーラスライン(1985)などの音楽を担当しています。








