私の母は、昭和初期に四国のとある県で生まれました。私が母の実家を訪れたのは、昭和50年が最後で、以後、疎遠となっていました。その母の実家は明治の終わり頃に生まれた長兄の伯父が昭和初期(戦前)に亡くなった祖父から、旧民法の規定により家督相続し、米屋をしながらがんばっておりました。昭和一桁の年に生まれた母は末っ子で、昔のことで子だくさんでしたが、戦前・戦中でもあったことから、母の兄達も数人は疫病や戦争で死亡し、母は、旧民法の規定によって家督を継いだ長兄の伯父さんに育てられたのです。母は女学校を卒業後に神戸市内に嫁いでいた母の姉(長女)を頼り、神戸市内に出て働き、父と知り合い結婚しました。その後、ほとんど帰省することがありませんでした。一方で、母の実家を継いだ伯父さんには、最初に結婚した女性との間に長女(私の従姉)が生まれ、私の母は妹のように接していたのです。しかし、従姉を産んだ母親が病死してしまい。そのあと、後妻に収まった女性が長男を産みました。

 その後。従姉は後妻からの執拗な『いじめ』に遭い、中学卒業後には、私の母同様に神戸市で暮らす伯母を頼り、自活するようになり、二人とも実家とは疎遠となりました。昭和50年以前に母の実家を訪れたのは、母方の祖母亡くなったときに私も両親と共に葬式に参列した記憶があります。その後、伯父さん方とは疎遠になりましたが、平成になってから伯父さん方に変化がありました。その変化とは、平成2年に伯父の一人息子の死亡、平成10年に伯父が死亡ということです。平成10年の伯父の葬式には母が参列したのですが、その葬式で一悶着あったのです。それは、旧民法の規定で全家督を相続した伯父の遺産相続が、更に一人息子のために旧自宅に加え、隣接してもう1棟二階建て住宅を建てていたのです。つまり、614㎡(約186坪)の土地に一般木造住宅住宅2棟が建てられており、これらの不動産に加え、米屋をしておりましたので、その他、それなりの貯えがあったと思いますが、それを含め、伯父の伯父の遺産相続を先妻の従姉と後妻がどう分割するかの話し合いとなり、後妻一族が葬式に集まり、従姉1人に「おまえには相続権は無い。」などと罵倒し、後妻が一族の応援を得て伯父の財産の総取りをしたようです。その後、後妻がぶんどった家に1人で住んでいたようですが、身体の自由が利かなくなって入院し、平成25年頃に後妻が入院先の病院で死去したことの連絡が従姉から母に連絡がありました。

 別段、従姉が後妻一族と連絡を取り合っていたのでは無く、市役所の固定資産税課から実家の土地と家屋二棟の固定資産税徴収のの督促状が届いたのです。従姉にしてみれば自身の実父の葬式で後妻一族が「おまえには相続する権利はない。」と罵倒され、実父が貯めてきた動産を含む財産を総取りされ、それを好き勝手に遣い、解体費などが必要となる古家2棟は、捨て置き、ほったらかしで後は知らん顔という体(てい)になり、これで終われば良かったのですが、役所が先妻の娘と後妻との仲が最悪であったことなど知る由も無く、相続人である先妻後妻が死んで固定資産税の支払いが止まり、もう一人の相続人である従姉が督促状が届いたということです。(以下PART2に続く)