人が見えなくなる物語は多く存在する。しかし、目に見えなくなる事は本当に可能なのだろうか。それとも、虚構の中でのみ起こりうるのだろうか。
プラトンの「国家」の中でグラーコンと呼ばれる人物が、自分を見えなくする指輪を見つけた貧しい羊飼いのギュゲスの話をしている。ギュゲスは首都へ行き、王を殺し、そして自らが王になる。グラーコンは自分の姿を消す指輪を見つけてしまったら、誰であってもそれを盗みと殺人のために使うだろうといっている。彼は罰せられるのを恐れているので、人々はただ法を守る、と考えている。
最近の有名な目に見えなくなることについての物語では、趣旨がほんの少しだけ違っている。1897年、イギリス人作家のH・G・ウェルズは「透明人間」という小説を書いた。主人公は自分自身に新しい薬の実験をした若い科学者だ。彼は目に見えなくなり、人々を騙すのを楽しむ。徐々に、彼は精神的に乱れていく。彼は自分を助けてくれる古い友人を殺そうとする。二人は戦い、そして透明人間は殺される。ウェルズの伝えたいことは、ことわざを用いるならば、力は人を腐敗させ、絶対的な力は人を絶対的に腐敗させる、ということのように思われる。
H・G・ウェルズはまた、エイリアンの地球侵略についてや時間旅行についての有名な小説を書いていて、そして、目に見えないというようなそれらの発想は多くのSF小説の中で使われている。アメリカの人気シリーズの「スタートレック」にはロミュラン星人と呼ばれるエイリアンの種族が登場し、彼らは姿を隠す装置を持っていた。この装置を使いロミュラン星人は、彼らの宇宙船を隠し、予告なしに攻撃することが出来た。幸運なことに、彼らは少なくとも自分達の兵器を発射するためには、姿を隠す装置をしっかりと切らなくてはならなかった。
姿を隠す装置を持ったその他のエイリアンは、同名の映画の中のプレデターである。この生物は他の惑星から人間を狩るために南アフリカのジャングルにやってくる。彼の姿を隠す装置は、彼が姿を見られずに人を追う事と攻撃する事を可能にした。人間の主人公に対する最後の戦いで、水の中に落ち攻守の立場が逆転する。エイリアンの姿を隠す装置は故障し、一方で主人公は泥にまみれてエイリアンから見えなくなった。
SF以外でも目に見えないことはまた、魔法の話の中において一般的な発想である。シェイクスピアの「マクベス」のなかで、邪悪な魔女は自らを目に見えなくし、そして彼が晩年に書いた「テンペスト」で、善良な精のエアリアルも姿を隠す力を持っている。ハリーポッターの本の中で主人公は透明になれるマントを与えられるが、そのマントは見た目と感触は水のようで、彼が大きな危険を回避するのを助けるのだ。
プラトンからハリポタまで、目に見えなくなることは奇妙にも強力な発想である。しかし、近いうちにこのアイデアが実現することは可能なのだろうか。人間は自らを目に見えなくすることは本当に出来るのだろうか。
目に見えなくなるために、私達はメラニン(肌の黒色を濃くしたり、薄くしたりする)とヘモグロビンの2つの主要な人間の肌の色素をなくさなくてはならないだろう。メラニンは、太陽光の紫外線から私達を保護するのを助ける。もしあなたが休日日焼けして帰ってくるならば、それはより多くのメラニンを肌に持っているからである。もしあなたにしみ、そばかすがあるならば、それもまたメラニンである。
メラニンは色々な場合、私達にとって便利であるが、生命に関わるものではない。なくても私達は生存できるだろう。他方では、ヘモグロビンは私達がする全ての呼吸に不可欠である。血中のヘモグロビンは肺で酸素と結びついて(赤くなる)、そして体中に酸素を運ぶ。貴重な酸素がそれを必要とする細胞に届けられた時(酸素を失うにつれて青くなる)、ヘモグロビンはもっと酸素をとるために肺に戻る。このために、静脈(心臓へ向かう)は青く、もう一つの動脈(心臓から血液を運ぶ)は赤いのである。
確かに、多くの透き通った深海生物がいて、それどころかヘモグロビンを使わずに酸素を運ぶ、魚の一種「氷魚」さえいる。しかし、自分を透明にするのは私達人間には決して出来ないように思われる。私達はカラフルなヘモグロビン無しでは生きられないのだ。
それなら、もしウェルズのような化学的方法が不可能で、また魔法も認めないならば、何かの隠す装置が私達が見えなくなる唯一の手段のようだ。当然、軍隊はこの発想に大変興味を持っている。それは完璧な迷彩服だろう。アメリカの「透明兵士」と呼ばれる研究計画では、色を変えられる一種の毛布かポンチョのようなものを作ろうとしている。緑色の森では緑色になるだろう。砂だらけの砂漠では黄色になるだろう。センサーや携帯コンピュータを使いながら、この種の自発的な迷彩服は、兵士の動きに伴い、タコの表面のように色を変えるだろう。または、もしある兵士が見てもらいたいならば、自発的な迷彩服は逆に働くことが出来る。救出を待つ傷ついた兵士は、自分の迷彩服をまぶしいオレンジ色をぴかっと光らせるように設定することが出来るだろう、一例を挙げるならば。
自発的な迷彩服の一つの問題点は動力である。液晶画面のついた携帯コンピュータを考えてみなさい。さて、画面があなたの周りを全て包むのに十分な大きさのしなやかな毛布であると想像しよう。ある兵士が何ヶ月も、あるいは何週間もずっと戦場にいたとしても、今の時点ではバッテリーはほんの数分しか動力を供給できないだろう。
もう一つ別の問題は有効範囲である。あなたがレンガの壁から10mのところに立っているのを想像してみよう。その距離では、レンガの間の線はあまり人目を引かず、そうして単純な赤茶色のカモフラージュはたぶん成功するだろう。しかし5mなら、この単純なカモフラージュはおそらく失敗するだろう。そのカモフラージュが始まるところで、レンガの間の線が途切れるのはとても目立つだろう。
3つ目に、液晶画面は熱を発する。毛布大の画面は、それにいくつかの新たな表示技術を使わない限り、発する熱のせいで赤外線センサーによって着用者の姿を丸見えにさせてしまうだろう。
しかし、これらの問題は全て解決できるようにみえる。より良いバッテリー、小さくて処理が早いコンピューター、熱を発しないで作動するディスプレーはいつか全て解決できるだろう。30~50年後、その時、透明兵士―そして、目に見えない戦車や戦艦や戦闘機―は実現するのだろうか。目に見えない銀行強盗は、人々が家に帰るまで銀行の中で簡単に待っていられるだろうか。目に見えない暗殺者は、総理大臣官邸か大統領執務室にこっそり入れて、そしてまた、見られないでこっそり行ってしまうことが出来るのだろうか。
そんな発想は現実離れした世界のもののように思えるかも知れないが、しかし、アーサー・C・クラーク曰く「全ての十分に発達された技術は、魔術と見分けがつかない」。おそらく、私達は皆、透明人間を警戒した方がいいのかも知れない!
動物達は情報を送り、また受け取る必要がある。特に重要な4つの情報がある。
1.どうすると、つがいとなる相手が見つけられるか。(種の生存を確保するため)
2.どこで食べ物や水が見つけられるか
3.周り危険か
4.どうすれば縄張りに、その正当な所有権が他人に知られることができるように印がつけられるか
いくらかの動物は自分達でその情報を見つけるが、しかし、お互い助け合う協力の例がいくつもある。
たいてい、手助けは同種類の動物から来るが、違い種類のものから来ることも可能である。
“つがいとなる相手を見つける”
動物達にとって、視覚的情報はつがいとなる相手を見つける過程で、とても重要な役割を
果たすことができる。しばしば、オスがメスよりも色鮮やかで、メスに自分が彼女にふさわしいの
だと納得させるために、彼の印象的な外見を利用する。しかし、特に鳥や魚では、
その外見が複雑な踊りのような手の込んだ儀式によって補強されている。例えば、
カンムリカイツブリのつがいはお互い水上で顔を合わせると、トサカを持ち上げ、
上下左右に頭を動かす。
この種の行動は、一度つがいになる相手が突き止められてしまえば、完成する。
しかし、出会いが起こりうる前、パートナーは、あるいは鬱葱としたジャングルで、
あるいは熱帯雨林の天蓋のなかで、まず初めにお互いを見つけなくてはならない。
多くの生物にとって音は大きな役割を果たす。カエルや鳥は遠くまで届くとても大きな音を
出すことができる。多くの哺乳類は自らの存在を知らせる特別な鳴き声を持っている。
ふさわしい相手を見つけるためにオスは積極的にメスを探すが、メスはつがいになる準備が
できた時には、特別なにおいを放つことでオスが捜すのに協力するだろう。
そのにおいにはフェロモンと呼ばれる、相当の距離を越えてオスに見つけられることのできる
物質を含んでいる。この過程はガやアリのような虫を含め、多くの動物によって使われている。
これは、種の生存を確実にするために使われている、最も強力な技術である。
動物がつがいになって子孫を産む時、彼らは遺伝子情報を受け渡す。遺伝子は完全な生き物を
形作るための指令を伝達する、長い化学的な暗号の連なりである。生まれた子供は、
半分母親の、そして、半分父親の遺伝子を受け取る。動物がつがいになる時、最も生存率の高い
子孫を残せそうな特徴を持ったパートナーを持つことは、好都合なのである。
“植物が相手を求める”
植物は自らの種の存続を確かのものにするために繁殖しなくてはならないが、動物達と違い、
彼らは相手を見つけるために動くことはできない。この問題を解決するために、植物は、
オスの性細胞を含む花粉を、同種の他の植物に運ばせる、多くの巧妙な手段を発展させてきた。
そうして、メスの性細胞が受粉できるのだ。植物は自らの花粉を得る多くの手段を発展させてきた。
花粉はオスの性細胞に入っていて、同種の他の植物に運ばれると、メスの性細胞が受精させることが
できる。
いくらかの植物は、ある花のオスの個体から、別のメスの個体へ花粉を運ぶのに風を頼っている。
この仕事を虫たちが行うのを確実にするため、植物はいくつかの手段で自らの存在を知らしめ、
ある種の報酬を与えなくてはならない。
色彩は虫にとって、花の内側から採集するのに、甘くて美味しい飲み物が(外見上、無料に見え)
手に入る、という事実を宣伝するのによく使われる仕掛けのひとつである。
一度虫は花に降り立つと、自らの体へ花粉を拾い上げ、それを次に訪れた花へ渡す。
いくつかの花は紫外線に反射し、これはある種類のガにとって魅力的である。
においはもう一つの魅力を虫達に与えている。そのため、いくつかの花はとてもいいにおいがする。
花のにおいは人間に喜びを与えるよりも、虫を引きつけるように発達した可能性がはるかに高い。
もちろん、それは私達が享受するおこぼれでもあるのだが。
“食べ物を見つける”
ほとんどの動物は生き残るために食べ物を見つけなくてはならない。時には、彼らはそれを他者と
分けるのに避けるため、どんな努力も惜しまないだろう。しかし、動物の中には彼らが食べ物を
探す中で、協力して、情報を伝えようとするものもいる。
ハチ達は食べ物のある場所についての情報を伝達するとても精密な仕組みを発達させてきた。
群れの中で特定の方角で動いている間中、入念に指示された、自らの体をくねらせる踊りを彼らは見せる。
この踊りを使い、彼らは他のハチに対しえ太陽を基準として一定の方角の
ところに美味しい飲み物の豊富に供給される花があることを伝えられる。彼らの動きはまた、
どれだけ遠くに供給源があるのかという事も指示する。
“危険な周辺”
多くの動物は危険が訪れたとき、群れの他のメンバーに警告する特別な鳴き声を持っている。
これは特に鳥にあてはまり、彼らはとても大きな警戒音の声を発することが出来る。
飛行場の近くでは、録音した鳥の警戒音の声が、飛行機を邪魔する恐れのある鳥の群れを
追い払うために、よく再生されている。飛行場では、人は鳥を危険とみなす。しかし、
鳥にとって飛行機は脅威なのだ。
警告を与えるために、他の動物の警戒音に耳を澄ます動物もいれば、番人が危険を探して、
その群れの残りのメンバーに危険を知らせるものもいる。そんな風にして、他のメンバーは
安全に食べたり飲んだりすることが出来る。ミーアキャットはこんな感じだ。危険が近づくのを
発見するために、彼らはほぼ垂直に立ち上がって、幅広い視野で頭を回転させることが出来るのだ。
“印を残す”
動物は色や動きや音を駆使し、コミュニケーションしようとするかもしれないが、しかし、
彼らは時に、もう少し長く残る伝言を残す必要がある。
多くの生物は獰猛に縄張りを守ろうとし、そして、侵入者から自分の区域を守るためにどのような
ことでもしようとする。しかし、縄張りを示すために、彼らは何らかの手段でマーキングを
しなくてはならない。人はフェンスを設置し、看板をたてる。もちろん、他の動物は縄張りに
マーキングする違った方法を必要とする。群を抜いて最も共通しているのは、においによる
マーキングである。
人はキレイでいい匂いがするのを好む。それで、なぜそんなに多くの動物が最もにおいのするものを
見つけてごろごろ転がることを楽しんでいるように見えるのか、理解するのは難しい、
と彼らはしばしば気が付く。しかし、動物にとってにおいは、情報を運ぶ名刺の
ようなものなのである。
多くの動物は、においの印をつけるために、自分の尿か糞を使う。他のものは特別な腺を体の
様々な部分に持っている。鹿の中にはこれらの腺を目の近くに持っているものもいる。
彼らは自分の腺を小枝にこすりつけ、他の鹿にとらえられることの可能なにおいの印を残すことが
出来るのだ。トラやチーターのような大型のネコ科の動物は、木の幹に自分の尿を吹き付ける。
犬や同属の動物は、においを残す肛門腺を持っている。
ガスクロマトグラフィーという技術を使い、科学者は動物のにおいの原因になる化学物質を
分析してきた。12種類のそれらの化学物質があり、多岐に渡る情報を全て伝達することができる。
それら(の化学物質)は、他の動物に、仲間によって付けけられた印か、それとも、
適によるものなのかどうかという事、動物の性別、つがいになる準備ができているかという事、
群れの中での“ペッキングオーダー”での順位、そして、その縄張りの主なのか、または、
ただ訪れただけなのかという事を伝えることが出来る。
1.どうすると、つがいとなる相手が見つけられるか。(種の生存を確保するため)
2.どこで食べ物や水が見つけられるか
3.周り危険か
4.どうすれば縄張りに、その正当な所有権が他人に知られることができるように印がつけられるか
いくらかの動物は自分達でその情報を見つけるが、しかし、お互い助け合う協力の例がいくつもある。
たいてい、手助けは同種類の動物から来るが、違い種類のものから来ることも可能である。
“つがいとなる相手を見つける”
動物達にとって、視覚的情報はつがいとなる相手を見つける過程で、とても重要な役割を
果たすことができる。しばしば、オスがメスよりも色鮮やかで、メスに自分が彼女にふさわしいの
だと納得させるために、彼の印象的な外見を利用する。しかし、特に鳥や魚では、
その外見が複雑な踊りのような手の込んだ儀式によって補強されている。例えば、
カンムリカイツブリのつがいはお互い水上で顔を合わせると、トサカを持ち上げ、
上下左右に頭を動かす。
この種の行動は、一度つがいになる相手が突き止められてしまえば、完成する。
しかし、出会いが起こりうる前、パートナーは、あるいは鬱葱としたジャングルで、
あるいは熱帯雨林の天蓋のなかで、まず初めにお互いを見つけなくてはならない。
多くの生物にとって音は大きな役割を果たす。カエルや鳥は遠くまで届くとても大きな音を
出すことができる。多くの哺乳類は自らの存在を知らせる特別な鳴き声を持っている。
ふさわしい相手を見つけるためにオスは積極的にメスを探すが、メスはつがいになる準備が
できた時には、特別なにおいを放つことでオスが捜すのに協力するだろう。
そのにおいにはフェロモンと呼ばれる、相当の距離を越えてオスに見つけられることのできる
物質を含んでいる。この過程はガやアリのような虫を含め、多くの動物によって使われている。
これは、種の生存を確実にするために使われている、最も強力な技術である。
動物がつがいになって子孫を産む時、彼らは遺伝子情報を受け渡す。遺伝子は完全な生き物を
形作るための指令を伝達する、長い化学的な暗号の連なりである。生まれた子供は、
半分母親の、そして、半分父親の遺伝子を受け取る。動物がつがいになる時、最も生存率の高い
子孫を残せそうな特徴を持ったパートナーを持つことは、好都合なのである。
“植物が相手を求める”
植物は自らの種の存続を確かのものにするために繁殖しなくてはならないが、動物達と違い、
彼らは相手を見つけるために動くことはできない。この問題を解決するために、植物は、
オスの性細胞を含む花粉を、同種の他の植物に運ばせる、多くの巧妙な手段を発展させてきた。
そうして、メスの性細胞が受粉できるのだ。植物は自らの花粉を得る多くの手段を発展させてきた。
花粉はオスの性細胞に入っていて、同種の他の植物に運ばれると、メスの性細胞が受精させることが
できる。
いくらかの植物は、ある花のオスの個体から、別のメスの個体へ花粉を運ぶのに風を頼っている。
この仕事を虫たちが行うのを確実にするため、植物はいくつかの手段で自らの存在を知らしめ、
ある種の報酬を与えなくてはならない。
色彩は虫にとって、花の内側から採集するのに、甘くて美味しい飲み物が(外見上、無料に見え)
手に入る、という事実を宣伝するのによく使われる仕掛けのひとつである。
一度虫は花に降り立つと、自らの体へ花粉を拾い上げ、それを次に訪れた花へ渡す。
いくつかの花は紫外線に反射し、これはある種類のガにとって魅力的である。
においはもう一つの魅力を虫達に与えている。そのため、いくつかの花はとてもいいにおいがする。
花のにおいは人間に喜びを与えるよりも、虫を引きつけるように発達した可能性がはるかに高い。
もちろん、それは私達が享受するおこぼれでもあるのだが。
“食べ物を見つける”
ほとんどの動物は生き残るために食べ物を見つけなくてはならない。時には、彼らはそれを他者と
分けるのに避けるため、どんな努力も惜しまないだろう。しかし、動物の中には彼らが食べ物を
探す中で、協力して、情報を伝えようとするものもいる。
ハチ達は食べ物のある場所についての情報を伝達するとても精密な仕組みを発達させてきた。
群れの中で特定の方角で動いている間中、入念に指示された、自らの体をくねらせる踊りを彼らは見せる。
この踊りを使い、彼らは他のハチに対しえ太陽を基準として一定の方角の
ところに美味しい飲み物の豊富に供給される花があることを伝えられる。彼らの動きはまた、
どれだけ遠くに供給源があるのかという事も指示する。
“危険な周辺”
多くの動物は危険が訪れたとき、群れの他のメンバーに警告する特別な鳴き声を持っている。
これは特に鳥にあてはまり、彼らはとても大きな警戒音の声を発することが出来る。
飛行場の近くでは、録音した鳥の警戒音の声が、飛行機を邪魔する恐れのある鳥の群れを
追い払うために、よく再生されている。飛行場では、人は鳥を危険とみなす。しかし、
鳥にとって飛行機は脅威なのだ。
警告を与えるために、他の動物の警戒音に耳を澄ます動物もいれば、番人が危険を探して、
その群れの残りのメンバーに危険を知らせるものもいる。そんな風にして、他のメンバーは
安全に食べたり飲んだりすることが出来る。ミーアキャットはこんな感じだ。危険が近づくのを
発見するために、彼らはほぼ垂直に立ち上がって、幅広い視野で頭を回転させることが出来るのだ。
“印を残す”
動物は色や動きや音を駆使し、コミュニケーションしようとするかもしれないが、しかし、
彼らは時に、もう少し長く残る伝言を残す必要がある。
多くの生物は獰猛に縄張りを守ろうとし、そして、侵入者から自分の区域を守るためにどのような
ことでもしようとする。しかし、縄張りを示すために、彼らは何らかの手段でマーキングを
しなくてはならない。人はフェンスを設置し、看板をたてる。もちろん、他の動物は縄張りに
マーキングする違った方法を必要とする。群を抜いて最も共通しているのは、においによる
マーキングである。
人はキレイでいい匂いがするのを好む。それで、なぜそんなに多くの動物が最もにおいのするものを
見つけてごろごろ転がることを楽しんでいるように見えるのか、理解するのは難しい、
と彼らはしばしば気が付く。しかし、動物にとってにおいは、情報を運ぶ名刺の
ようなものなのである。
多くの動物は、においの印をつけるために、自分の尿か糞を使う。他のものは特別な腺を体の
様々な部分に持っている。鹿の中にはこれらの腺を目の近くに持っているものもいる。
彼らは自分の腺を小枝にこすりつけ、他の鹿にとらえられることの可能なにおいの印を残すことが
出来るのだ。トラやチーターのような大型のネコ科の動物は、木の幹に自分の尿を吹き付ける。
犬や同属の動物は、においを残す肛門腺を持っている。
ガスクロマトグラフィーという技術を使い、科学者は動物のにおいの原因になる化学物質を
分析してきた。12種類のそれらの化学物質があり、多岐に渡る情報を全て伝達することができる。
それら(の化学物質)は、他の動物に、仲間によって付けけられた印か、それとも、
適によるものなのかどうかという事、動物の性別、つがいになる準備ができているかという事、
群れの中での“ペッキングオーダー”での順位、そして、その縄張りの主なのか、または、
ただ訪れただけなのかという事を伝えることが出来る。
この手紙はインドの政治家ジャワーハルラル・ネルーによって刑務所で書かれた一連の手紙の一つです。イギリスの支配から独立を求めてインドが闘ってる間、ネルーはしばしば逮捕された。彼は娘を励ますために、そして行動の背後にある考えを説明するために十代の娘インディラに手紙を書いたのだ。
* * *
1931年1月5日
愛するお前に何を書こうか。どこから始めようか。
過去について考えると非常に多くの情景が私の心をよぎるのだ。それらの中には他のものよりも長く心にとどまるものもある。それらは私の気に入ったものだ。そして私は注意深くそれらは検討しはじめ、そして私は過去の出来事と現在の出来事を比較し、それらの中にある私を助けてくれる教訓を見つけようとしている自分に気づくのだ。
しかし人間の心はなんと不思議なごちゃまぜになっているのだろうか。心はあらゆるものが混じりあった博物館のように様々な考えやイメージであふれているのです。それでもおそらく私たちがいつも悪いというわけだはないのだ。私たちの大半が進んで様々な出来事をきちんと心の中で整理しようとするのは間違いないのだ。しかし時には出来事そのものが奇妙でいかなる秩序にもおさまろうとしない場合があるのだ。
かつて私がお前に書いたように、いかにして世界がゆっくりだが確実に進歩したのか、いかにして最初の単純な動物がより複雑で進化した動物に取って代わられたのか。いかにして最後に賢い動物、つまり人間が登場したのか。その人間が従わなければならないのかを私たちに教えてくれるはずだ。どのようにして人間は文明化したのだろうか。これは歴史のテーマであるべきなのだ。
いくつかの私の手紙の中で協力あるいは共に働くという観念が、いかに成長したか、いかに我々の理想が公益のために力を合わせるべきであるかということを私はお前に教えようとしてきた。しかし人間の長い道のりを見ると、この理想が大いに進歩したとか、あるいは我々が本当に非常に文明化したとか向上したと信じるこが時々難しいことがあるのだ。というのは今日でさえ我々はいたる所で協力の欠如を目にしていないだろうか。ある国や民族が他者を自分本意に攻撃するのを私たちは見ていないだろうか。あるいはある人が別の人を最も恥ずべき方法で扱うのを見ていないだろうか。
何百万年もの進歩の後もし我々が依然として自分本意なら私たちが本当に進歩し文明人になるのにどのくらい時間がかかるのだろうか。私たちは他の時代の歴史に関する本を読む、それらの時代が我々の時代よりもすぐれていて、その時代の文化や文明が我々のものよりもはるかに進歩していたと考えることがあるのだ。そのような時には我々の世界が前進していることを私たちは疑うかもしれない。
かつてインドやエジプト、中国、ギリシャのような多くの国々ですばらしい時代があり、しかもそれらの国は再び後退してしまったのは本当だ。だがこんなことがあっても私たちはがっかりしてはいけないのだ。世界は大きな場所であり、ある国がしばらくの間栄えたり衰退することは世界全体にとってみると大して重要ではないのだ。
近頃多くの人々が我々の偉大な文明や科学の驚異について自慢しています。実際に科学は驚くべき成果をおさめ、偉大な科学者はあらゆる尊敬に値するのです。しかし高慢に見える人々が偉大な人であるのはめったにないのだ。そして多くの点で人間は他の動物よりもそれほど進化していないということを覚えておくのはよいことだ。
おそらくいくつかの点で動物の中には未だに人間よりも優れているものもいるのだ。そんなことを言うと馬鹿げているように思えるかもしれない。そして分別のない人は笑うかもしれない。しかしお前はメーテルリンクの「蜂の生活や白蟻の生活、蟻の生活」について読んだばかりで、お前はこれらの虫が自ら組織した高度な社会生活を営む方法に驚くに違いない。私たちは彼らを最下等の生き物として見下している。しかし彼らは小さいけれども、人間よりもはるかに協力する技術を習得しているのだ。仲間のために自分を犠牲にするシロアリについて読んで以来、私は小さなこの虫に対し、いつも親近感を抱いてきた。もし公益のために協力したり、犠牲を払うことが文明の基準ならば、シロアリや蟻のほうがこの点で人間よりも勝っていると言えるのだ。
我々の古いサンスクリット語の本の一つに次のことが書かれてる。家族のために個人を犠牲に、集団のために家族を、国のために集団を、そして神のために全世界を犠牲にしなさい。神が何であるか正確には誰も知らないのだ。そして私たちはそれぞれ自分なりに解釈すればよいのだ。しかしこの一説が私たちに教えてくれる教訓は、より大きな善なるもののために協力し、犠牲を払うのと同じものなのです。インドにおいて我々は真の偉大さに至るこの道のりを長い間忘れてしまった。そして私たちは堕落してしまったのだ。しかし私たちは今や再びそのことを理解し始め、国全体が目覚めつつあるのだ。
なんと素晴らしいことだろう。男も女も少年も少女も顔に微笑みを浮かべて、インドの大義のために前進しているのだ。彼らは自分自身が受けるいかなる痛みや苦しみを少しも気にしないのだ。彼らが微笑み喜ぶのは当然だ。というのは、偉大な目標のために奉仕するという喜びが彼らのものであるからだ。現在我々はインドを解放しようとしている。それは偉大なことだ。しかしさらに偉大なことは人間らしい生活自体を実現するという目標なのだ。我々の闘争は苦しみや不幸を終わらせる偉大な部分なのだ。したがって我々は世界の進歩を手伝いするために微力を尽くしていると感じているので嬉しいのだ。
今お前は幸福の家にいて、お前の母はマラッカ刑務所、そして私はここナイニ刑務所にいる。そして私たちは時には非常にさびしい思いをしている。そうじゃないかい?しかし私たち3人が再び会える日のことを考えよう。私はそれを楽しみにしている。そして、それを考えると励まされるのだ。
* * *
1931年1月5日
愛するお前に何を書こうか。どこから始めようか。
過去について考えると非常に多くの情景が私の心をよぎるのだ。それらの中には他のものよりも長く心にとどまるものもある。それらは私の気に入ったものだ。そして私は注意深くそれらは検討しはじめ、そして私は過去の出来事と現在の出来事を比較し、それらの中にある私を助けてくれる教訓を見つけようとしている自分に気づくのだ。
しかし人間の心はなんと不思議なごちゃまぜになっているのだろうか。心はあらゆるものが混じりあった博物館のように様々な考えやイメージであふれているのです。それでもおそらく私たちがいつも悪いというわけだはないのだ。私たちの大半が進んで様々な出来事をきちんと心の中で整理しようとするのは間違いないのだ。しかし時には出来事そのものが奇妙でいかなる秩序にもおさまろうとしない場合があるのだ。
かつて私がお前に書いたように、いかにして世界がゆっくりだが確実に進歩したのか、いかにして最初の単純な動物がより複雑で進化した動物に取って代わられたのか。いかにして最後に賢い動物、つまり人間が登場したのか。その人間が従わなければならないのかを私たちに教えてくれるはずだ。どのようにして人間は文明化したのだろうか。これは歴史のテーマであるべきなのだ。
いくつかの私の手紙の中で協力あるいは共に働くという観念が、いかに成長したか、いかに我々の理想が公益のために力を合わせるべきであるかということを私はお前に教えようとしてきた。しかし人間の長い道のりを見ると、この理想が大いに進歩したとか、あるいは我々が本当に非常に文明化したとか向上したと信じるこが時々難しいことがあるのだ。というのは今日でさえ我々はいたる所で協力の欠如を目にしていないだろうか。ある国や民族が他者を自分本意に攻撃するのを私たちは見ていないだろうか。あるいはある人が別の人を最も恥ずべき方法で扱うのを見ていないだろうか。
何百万年もの進歩の後もし我々が依然として自分本意なら私たちが本当に進歩し文明人になるのにどのくらい時間がかかるのだろうか。私たちは他の時代の歴史に関する本を読む、それらの時代が我々の時代よりもすぐれていて、その時代の文化や文明が我々のものよりもはるかに進歩していたと考えることがあるのだ。そのような時には我々の世界が前進していることを私たちは疑うかもしれない。
かつてインドやエジプト、中国、ギリシャのような多くの国々ですばらしい時代があり、しかもそれらの国は再び後退してしまったのは本当だ。だがこんなことがあっても私たちはがっかりしてはいけないのだ。世界は大きな場所であり、ある国がしばらくの間栄えたり衰退することは世界全体にとってみると大して重要ではないのだ。
近頃多くの人々が我々の偉大な文明や科学の驚異について自慢しています。実際に科学は驚くべき成果をおさめ、偉大な科学者はあらゆる尊敬に値するのです。しかし高慢に見える人々が偉大な人であるのはめったにないのだ。そして多くの点で人間は他の動物よりもそれほど進化していないということを覚えておくのはよいことだ。
おそらくいくつかの点で動物の中には未だに人間よりも優れているものもいるのだ。そんなことを言うと馬鹿げているように思えるかもしれない。そして分別のない人は笑うかもしれない。しかしお前はメーテルリンクの「蜂の生活や白蟻の生活、蟻の生活」について読んだばかりで、お前はこれらの虫が自ら組織した高度な社会生活を営む方法に驚くに違いない。私たちは彼らを最下等の生き物として見下している。しかし彼らは小さいけれども、人間よりもはるかに協力する技術を習得しているのだ。仲間のために自分を犠牲にするシロアリについて読んで以来、私は小さなこの虫に対し、いつも親近感を抱いてきた。もし公益のために協力したり、犠牲を払うことが文明の基準ならば、シロアリや蟻のほうがこの点で人間よりも勝っていると言えるのだ。
我々の古いサンスクリット語の本の一つに次のことが書かれてる。家族のために個人を犠牲に、集団のために家族を、国のために集団を、そして神のために全世界を犠牲にしなさい。神が何であるか正確には誰も知らないのだ。そして私たちはそれぞれ自分なりに解釈すればよいのだ。しかしこの一説が私たちに教えてくれる教訓は、より大きな善なるもののために協力し、犠牲を払うのと同じものなのです。インドにおいて我々は真の偉大さに至るこの道のりを長い間忘れてしまった。そして私たちは堕落してしまったのだ。しかし私たちは今や再びそのことを理解し始め、国全体が目覚めつつあるのだ。
なんと素晴らしいことだろう。男も女も少年も少女も顔に微笑みを浮かべて、インドの大義のために前進しているのだ。彼らは自分自身が受けるいかなる痛みや苦しみを少しも気にしないのだ。彼らが微笑み喜ぶのは当然だ。というのは、偉大な目標のために奉仕するという喜びが彼らのものであるからだ。現在我々はインドを解放しようとしている。それは偉大なことだ。しかしさらに偉大なことは人間らしい生活自体を実現するという目標なのだ。我々の闘争は苦しみや不幸を終わらせる偉大な部分なのだ。したがって我々は世界の進歩を手伝いするために微力を尽くしていると感じているので嬉しいのだ。
今お前は幸福の家にいて、お前の母はマラッカ刑務所、そして私はここナイニ刑務所にいる。そして私たちは時には非常にさびしい思いをしている。そうじゃないかい?しかし私たち3人が再び会える日のことを考えよう。私はそれを楽しみにしている。そして、それを考えると励まされるのだ。