アルテンのスペイン兵が、連合軍右翼に到着する前にゴディノが、アルブエラを奪取し、連合軍の反対の側面も、フランス軍に晒されることとなった。
コールは、ベレスフォードの命令に従い、待機していたが、フランス軍の左翼に向け、前進することを考えていたが、3千5百騎のフランス軍騎兵の正面の平地を歩兵が、前進することには慎重であった。
しかし、ポルトガル軍の主計総監所属のヘンリー・ハーディング大佐が、駆けつけて、即座に前進するように催促すると、前進を決心した。
ラムレイと簡単に打ち合わせた後、コールは、自分の師団を縦隊から、横隊へ転換する。
ラトゥール=モブールの騎兵に用心し、横隊の両端に縦隊、右側にジェームズ・ケミス准将の旅団を含む、軽歩兵中隊の集団、左側には、ルシタニア軍団の第1大隊を配置した。
ラムレイ少将は、連合軍の騎兵の全てを後方と右側に配置し、騎馬砲兵を伴った、歩兵、約5千人の大集団が、第5軍団の左翼に向けて前進した。
イギリス・ポルトガル・スペインの連合軍横隊の接近は、スールトの行動を拘束した。
コールの師団を食い止めなければ、敗北は、明白であるため、ラトゥール=モブール将軍の竜騎兵の内、4個連隊をコールの横隊のポルトガル兵へ突撃させ、ヴェルレの予備兵力を全て、投入して、第5軍団の側面を守った。
イギリス軍の竜騎兵は、ハーベイのポルトガル旅団を襲撃し、コルボーンの旅団と同様に壊滅させようとした。
しかし、未熟な、ポルトガル兵は、方陣を組まずに踏み止まり、騎兵を撃退した。
ラトゥール=モブール将軍の竜騎兵は、一度、押し返されると、コールの師団に更なる、攻撃を行わず、連合軍の横隊は、前進を続けた。
コールの師団の左に位置していた、フュージリアー旅団とルシタニア軍団が、即座に、二倍の兵力を有する、ヴェルレの旅団と戦闘に入った。
兵数において、優るにも関わらず、ヴェルレは、9個大隊を、3個連隊縦隊にしていたために、連合軍の横隊に対して、同数のマスケット銃を撃つことができなかったのである。
ロイヤル・ウェルシュ・フュージリアー連隊及び、フュージリアー連隊の2個大隊が、各々、縦隊になり、 3ヶ所にて、連隊規模の射撃戦が起こった。
フランス軍は、射撃中に、再度、横隊になろうとしたが、連合軍の集中射撃により防がれた。
20分~30分の激しい、戦闘の後、フランス軍は、崩壊し、敗走したのである。
フュージリアーは、主に砲撃によって、半数以上の兵を失い、ヴェルレの旅団の損害は、1千8百人であった。
アバクロンビーは、旅団を旋回すると、第5軍団の右翼へ突撃した。
ジラールとガザンの兵は、後方へ敗走し、ヴェルレの旅団の敗残兵と合流した。
連合軍の第4師団と、第2師団の一部は、退却する、フランス軍を追撃した。
ベレスフォードは、連合軍の連隊に対し、「止まれ!止まれ、57連隊。深追いするな!」と叫んだ。
しかし、この警告は、不要だった。
ラトゥール=モブールの騎兵が速やかに、追撃する、連合軍師団と敗走するフランス軍歩兵の間に入り、イギリス・ポルトガル軍の追撃を食い止めて、形勢を挽回したのである。