イギリス軍の右翼は、フランス軍と射撃戦を続けていたが、銃剣を付けて、突撃した。

 ホートンの旅団が、戦場に降る、視界を遮る、雹と雨へ向かって移動したので、両軍共に、マスケット銃が、使えなくなった。

 ラトゥール=モブールは、視界の低下を利用すると、ポーランド騎兵2個連隊を、コルボーンの無防備の右側面に向けて、突撃させた。

 不意を突き、イギリス軍歩兵を突破した、ヴィスワの第1槍騎兵連隊と第2騎兵連隊が、コルボーンの3個連隊の大半を全滅させた。

 残る1つ、第31歩兵連隊のみ、方陣を組み、守り抜いた。

 フランス軍騎兵は、コルボーンのKGL砲兵隊へ突撃を続け、大砲を鹵獲した。

 ヴィスワの槍騎兵は、第31連隊の方陣を突き抜けて、連隊旗5旒と大砲8門を捕獲し、ベレスフォード将軍及び、その幕僚を散り散りにすると、サヤスの横隊の後面を攻撃した。

 サヤスは、ジラールへの射撃を続けながら、ヴィスワの突撃を怯まずに受けた。

 この時、既に、雨は止んでおり、ベレスフォードの騎兵を指揮していた、ラムレイは、フランス及び、ポーランド騎兵によって、生じた、惨状を、把握した。

 ラムレイ少将は、第4竜騎兵連隊の2個大隊を投入し、槍騎兵を蹴散らした。

 しかし、イギリス軍の騎兵は、ラトゥール=モブールが、槍騎兵の退却を助けるために投入した、戦力十分の騎兵に撃退された。

 同時に、ステュワートの2番目の旅団の先頭、第29歩兵連隊が、散らばった、ヴィスワの槍騎兵を射撃した。

 しかし、実際には、イギリス軍の一斉射撃は、その多くが、狙った目標を外し、代わりにサヤスの兵の後方の列の味方に被害を与えた。

 しかし、スペイン兵は、踏み止まった。

 その結果、サヤスのスペイン兵が、連合軍を崩壊から、救ったのである。

 イギリス軍のコルボーンの3個連隊は、戦死者、319人者、負傷、460人、捕虜、479人の総勢、1,258人の損害を負った。

 スールトの指揮下のポーランド人のヴィスワの槍騎兵は、591名中、130名が、戦死した、激戦となった。

 イギリス・ポーランド・スペインの連合軍右翼の戦闘は、両軍共に、再編成するため、一時、落ち着いた。

 ジラールの師団は、サヤスとの戦闘とコルボーンの抵抗に苦戦した。

 ジラールは、自分の師団が消耗したと認識し、ガザンの第2師団と交代しようとした。

 ガザンの大隊は、縦隊で、前進したが、ジラールの退却する、兵士の間を通ったため、第1師団の多くの兵が、押され、8千人の大集団に増大していた、ガザンの縦隊に入り込み、その過程において、結束が大きく乱れた。

 続いて、フランス軍に混乱と遅延が、発生し、連合軍に横隊を立て直す時間を与えた。

 連合軍のベレスフォード将軍は、ホートンの旅団をサヤスの横隊の後方、アバクロンビーをバレステロスの後方に配置し、スペイン軍を救援するため、両軍を前進させた。

 小休止の後、フランス軍は、アバクロンビーの旅団に対して、散兵を展開しただけで、新たな突撃の矛先をホートンに向けた。

 コルボーンの旅団の生き残りの第31歩兵連隊が、合流したが、1千9百人の兵で、列を作り、前進する、フランス軍に対峙した。

 ホートンの3個大隊は、士官95人中56人、兵1,556人中971人の死傷の甚大な損害を受けた。