ベレスフォード将軍は、戦場にある、丘の反対斜面に部隊を配置した。

 スールト元帥は、連合軍を視認できなかったため、ブラケの師団が昨夜到着したことに気付いていなかった。

 1811年5月16日の朝、スールト元帥は、イギリス・ポルトガル・スペイン連合軍の右翼に向かう、作戦を実行に移した。

 アルブエラの戦いの始まりである。

 フランス軍が、アルブエラ村へ、直進するためには、アルブエラ川に架かる、小さな橋を渡らなければならず、スールト元帥は、当初、この橋の方面へ強力な陽動攻撃を行った。

 ゴディノの歩兵旅団を、ブリシェの軽騎兵を横に備えると同時に、支援の砲兵を付けて、橋を越えて、アルブエラ村へと向かわせた。

 ヴィスワ槍騎兵の4個大隊も、渡河したが、連合軍の第3近衛竜騎兵連隊に撃退された。

 ポルトガル軍の大砲は、橋への接近路を射程に収める場所に配置されていた。

 ゴディノの散兵は前進し、アルブエラを守っていた、アルテンのKGL大隊と戦闘を始めた。

 同時に、竜騎兵2個旅団とヴェルレの歩兵旅団が、ブラケ将軍の軍勢から、アルテンの右側に広がる、オリーブ林を抜けて前進して、ゴディノの歩兵旅団の左側に姿を現した。

 フランス軍の大規模な部隊集中が、アルブエラを脅かすと、連合軍指揮官達は、スールトの思惑通り、アルテンの支援のための部隊を送った。

 連合軍が、フランス軍の中央及び、右翼に対する、正面突撃を迎え撃つ間、スールトは、本番の攻撃を準備していた。

 フランス軍のジラール及び、ガザンの両将軍が、指揮する、第5軍団の2個師団は、1個騎兵旅団に続き、側面攻撃を行うため、左へ大移動した。

 視界を遮る、オリーブ林の背後を移動したため、連合軍は、フランス軍騎兵連隊が林の南端から、突撃し、二つの小川を越え、ベレスフォード将軍の横隊の右側にいた、ロイのスペイン軍騎兵を蹴散らすまで気づかなかった。

 ベレスフォードは、警報を受けると、自身、前に出て、フランス軍の行動を観察した。

 ゴディノの騎兵及び、ヴェルレの旅団が、アルブエラから離れ、ジラールの後方へ向かい始めた時、ベレスフォードは、スールトの真の狙いを理解した。

 ベレスフォードは、即座に新たな命令を発した。ブラケ将軍に前列の横隊を移動させ、接近する、フランス軍に立ち向かうよう命じた。

 ラムレイ少将の騎兵には、ロイの騎兵を支援して、ブラケの右側面を守るように移動させた。

 同時に、ステュワートの第2師団は、アルブエラの後方から、南へ移動させ、ブラケの後方に布陣し、必要時に支援できるように待機させた。

 コールの第4師団は、騎兵の後方に布陣するよう命令を受け、ハミルトンのポルトガル大隊は、アルブエラを守るために、連合軍の中央へ移動し、予備兵力となった。

 しかし、ブラケ将軍は、ベレスフォード将軍の命令に従わなかった。

 フラゲは、未だ、フランス軍が、自分の正面を攻撃すると信じていた。

 前列の横隊を動かさず、代わりに、ザヤスの師団の内、4個大隊を南の新たな戦線へ送った。

 ザヤスは、スペイン軍の2列目の2個横隊から、4個大隊を引き抜いたのである。