ベレスフォード将軍は、ブラケ将軍、カスターニョス将軍に説得されると、スールトのフランス軍との決戦に挑むことを決断した。

 イギリス・ポルトガル・スペインの連合軍の指揮官達は、バダホス救援に向かう、スールト元帥のフランス軍に対峙するのに適する、ウェリントン公爵の選択地点、アルブエラに集結することに合意した

 5月15日には、ベレスフォード将軍は、スールト元帥が、サンタ・マルタとアルブエラを通過する、バダホスへの中央の道を通ることを知った。

 ベレスフォード将軍は、更に、部隊配置を変え、第2師団とハミルトンのポルトガル兵をアルブエラの守備に向かわせた。 

 同部隊は、アルブエラにおいて、アルテンのKGL大隊と戦役のために臨時編成された、守備隊及び、軽装部隊から成る、別のポルトガル大隊と合流した。

 スールト元帥の行動は、フランス軍の猟騎兵及び、騎兵のユサールが、ロング准将の騎兵とサンタ・マルタにて、交戦したことによって、明らかになった。

 そして、ロング准将は、ベレスフォードが、理解不能と考えた、早急さで、退却した。

 ウィリアム・ラムレイ少将が、ロング准将と交代し、連合軍騎兵部隊の指揮官に就いた。

 ロング准将は、ラムレイ少将との交代により、ロング准将とスペイン軍の騎兵指揮官との間の指揮順位の問題が、解決されるとベレスフォードに示唆したと思われる。

 ベレスフォード准将は、ロング准将の示唆を受け、ラムレイ少将と交代させたが、実際、ラムレイ少将は、16日の朝まで、戦場に到着せず、それまで、指揮変更は行われなかった。

 ベレスフォード将軍は、部隊配置を完了させたることに成功したのである。

 イギリス・ポルトガル・スペイン連合軍の前面には、南から北へ流れる、複数の小川が、存在して、ノガレ川とチカピエルナ川が、村の南で合流して、アルブエラ川となっていた。

 川は、特に障害にならず、二つの橋と浅瀬の一ヶ所で、渡河することができた。

 アルテンの兵が、アルブエラに布陣し、大半のポルトガル騎兵を伴った、ハミルトンの師団が、アルブエラから北にかけて、連合軍の左翼を形成し、ウィリアム・ステュワート少将の第2師団が、アルブエラの西方の丘に布陣した。

 右翼は、カスターニョス将軍とブラケ将軍の率いる、スペイン軍4師団が、布陣する、予定であり、第4師団に加え、騎兵と砲兵が、強力な戦略予備となった。

 チカピエルナ川とアルブエラ川の西側は、南北方向に伸びる、木が生えていない、低い尾根に向かって、登りになっており、南に向けて徐々に高くなっている、数個の小山があった。

 ブラケの師団は、接近が遅れたため、5月15~16日の真夜中近くに到着した。その地は、翌朝の戦闘開始時に都合の良い地点であった。

 コールの第4師団及び、デ・エスパーニャのスペイン軍旅団は、5月16日早朝、バダホスから、アルブエラへ行軍中であった。

 スールトは、ブラケが、ベレスフォードと合流することを認識していたが、スペイン軍の到着には、まだ、数日かかると考えていた。

 スールト元帥は、連合軍の南側へ向かい、連合軍分断する、楔を打ち込むことを考えた。

 スールトは、ベレスフォードを撃破した後、南へ向かい、ブラケと戦うことで、敵を徹底的に打ち破れると期待していたのである。