「従士団」とは、主君に統率された、一団の自由人男子に形成された、戦士共同体である。

 古代ゲルマン人における、支配・服従の関係は、被支配者の自由人男子の隷属化ではなく、誠実関係であるとされる。

 被支配者は、自由的身分を維持していたのみならず、「従士団」に参加することは、名誉なこととされている。

 職業軍人的エリートの仲間組織であったと考えられている。

 古ゲルマンでは、「従士団」に所属する以外の自由男子にも、兵役義務があったが、従士団は、それら半農の兵士とは、区別されて、主君の周囲に特殊なエリート組織を作って、支配階層として、存在していた。

 「従士団」への加入は、自由意志によると考えられている。

 「従士団」の起源については、明確ではない。北欧にて、確認される、男子盟約による、仲間団体や及び、家長制的な家支配との関連性があるとされる。 

 4世紀のアレマン族には、既に「従士団」と思われる、親衛隊を確認できる。

 ゴート族には、明らかに従士団が存在し、ランゴバルト族、アングロサクソン族に従士団が確認されている。

 メロヴィング朝フランク王国において、「国王直臣団」との従士団組織が確認されている。

 国王直臣団は、フランク王国成立において、領土占拠に重要な役割を果たしたとされている。

 即ち、部族単位で移動した、ゴート族等と異なり、フランク人は、この従士団組織こそが、征服活動の主体であったとされているのである。

 メロヴィング朝の国王直臣団は、裁判制度にて、優遇されており、国王の有力なローマ人家臣とは、明確に区別されていた。

 フランク王国の王国組織が、確立されはじめ、征服的な活動より、行政的な活動が重要になってくると、純戦士的な従士団は、徐々に解体されて、レーエン制的な関係、即ち、封建制に置き換えられたと考えられている。

 恩貸地制は、古代ローマ末期から、中世前期の西ヨーロッパで見られた、社会制度である。

 大土地所有者が、その土地を恩給として、貸し与えると、土地の使用権を認められた者は、その見返りとして、貢租や労役、軍事的貢献などを提供する制度である。

 恩貸地制制度は、古くは、ラテン語で、ベネフィキウムと言われる。

 時代が下ると土地自体、即ち、「恩貸地」に対し、ベネフィキウムが使われるようになる。

 後にフェオドゥムが、封土全般についての用語として現れて、ベネフィキウムに代わって、恩貸地の意味を持つようになり、フューダリズム、即ち、封建制度の語源となった。

 現在は、ベネフィキウムの語は、「聖職禄」との限定された意味で用いられる。

 古代ローマ末期に成立した、恩貸地制は、当初は、小規模な土地の耕作者が、自身の現地所有を確固たるものにするために有力者に寄進して、更にそれを改めて受給するとの形式を用いていた。

 前述の通り、日本の荘園制は、自分の土地を保障するために、貴族・寺社等の権門に寄進して、その管理者となっており、恩貸地制と似ている。

 フランク王国の初期、メロヴィング朝及び、カロリング朝においては、「恩貸地制度」は、主君が、家臣に与える封土と、家臣が、封土の受給に対して、軍事的義務を負うとの側面を強くしていった。

 前述のゲルマ人の「従士制度」及び、「恩貸地制度」の二つが、交わり、中世ヨーロッパの「封建制度」が、発展したのである。