ベレスフォード将軍は、ウェリントン公爵の指示に着実に従い、最終的には、5月4日、バダホスの包囲を開始した。

 更に、イギリス・ポルトガル連合軍に、新たなスペイン軍が、参戦した。

 カディスの摂政会議は、ホアキン・ブラケ将軍をサヤス及び、ラルディサバルの師団と共に、海路、グアディアナ川河口のアヤモンテへ送った。

 ブラケ将軍は、4月18日に上陸後、スペイン領内のセレスに向かうと、フランシスコ・バレステロス将軍と合流した。

 ブラケは、摂政会議の一員であったが、軍隊内の階級は、スペイン軍のカスターニョスの下、バレステロスの上であった。

 更にカスターニョスは、イギリス軍のベレスフォードの上であった。

 イギリス・ポルトガル及び、スペインの連合軍内では、カスターニョス将軍が、階級が、一番上であった。

 しかし、ベレスフォード将軍が、イギリス・ポルトガル軍の兵士の数が、スペイン軍の兵数を上回っていることを理由に、全ての戦闘にて、全軍を指揮することを主張し、カスターニョスが、同意した時、ブラケは反対しなかったのである。

 ラトゥール=モブール将軍が、ベレスフォード将軍によって、退却を余儀なくされると、スールト元帥は、バダホスの危機を認識していた。

 5月9日には、スールト元帥は、時間が、無いことを感じ、カディスの包囲及び、アンダルシア地方の支配を捨てて、南方軍所属の第1軍団と第4軍団の全兵力を率いて、バダホスへ出発した。

 フランス軍の第1軍団と第4軍団は、アンダルシアとの境で、ラトゥール=モブールの第5軍団と合流し、2万3千人の兵士とカノン砲35門の軍勢で、バダホスへと向かった。

 スールト元帥は、イギリス・ポルトガル・スペインお連合軍に比べ、戦力が劣っていたが、兵士の質によって、補えると期待していた。

 5月12日、ベレスフォード将軍は、セビリアのスペイン人愛国者から、スールト元帥の出発を伝える、報告を受けると、フランス軍の前進を警戒した。

 ベレスフォード将軍は、同日昼に、バタホスのフランス軍指揮官へ降伏勧告を送り、拒絶される等、バダホス包囲の偽装をしていたが、最早、攻略の時間はないと諦め、攻城砲、物資の退却を命じた。

 5月13日、コルボーン旅団に配属されていた、スペイン軍騎兵が、フランス軍と遭遇し、4月にウェリントン公爵から受けた命令に従い、ベレスフォード将軍へスールト元帥の現在位置を知らせ、後退した。

 同日、ロング准将のイギリス軍騎兵が、フランス軍と遭遇し、ロング准将は、交戦しないとのウェリントンの命令に従い、早急に後退した。

 同日、ベレスフォード将軍は、イギリス第2師団及び、ジョン・ハミルトン少将配下のポルトガル師団と3個砲兵中隊を、バダホスから、スールトの三つの進路を監視するのに理想的な地点であるバルベルデへ移動させた。

 ウェリントンの命令は、ベレスフォードにスールト元帥と戦うか、退却するかの選択を完全に委ねていた。

 ベレスフォード将軍は、退却を選ぼうとしたが、翌日の5月14日に、バルベルデにて、スペイン軍のブラケ将軍とカスターニョス将軍に会うと、連合軍は、スールト元帥の軍を兵力で、上回っており、戦いを挑むのが正しいと説得されたのである。