秦王政は、新政の開始時、李斯や及び、尉繚等の協力の許、「諸侯を滅ぼして、帝となり、天下を統一する」との策略を立てた。
具体的な措施として、遠国の燕及び、斉は、籠絡し、魏と楚とは、穏住し、韓と趙を滅ぼすことであった。
「遠交近攻」である。
紀元前236年、秦王政は、中華の統一に本腰を入れ始めた。
前述の通り、同年、趙の将軍、龐煖が、燕に侵攻し、秦は、国内が、手薄になっている、隙を狙って、趙へ侵攻した。
秦の総大将は、王翦、副将は、桓齮、末将は、楊端和である。
秦軍は、鄴の周辺の9城を陥落させ、王翦は、閼与と轑陽を落として、全軍を一軍とした。
18日後、王翦は、兵糧の問題上、軍中の斗食以下の功労のない者を帰らせた。
王翦は、秦の全軍を五分の一にすると、鄴及び、轑陽を落とした。
王翦は、白起・廉頗・李牧と並ぶ、戦国四大名将の一人であるが、実は、その出自は、不明である。
副将の桓齮は、前年に秦の将軍になったが、その出自は、不明である。
末将の楊端和は、紀元前238年に、秦王政に命じられ、衍氏の戦いに勝利し、衍氏を陥落させている。
『キングダム』では、王翦は、王一族の当主で、六大将軍の一人である、王騎は、王一族の分家の出身としている。
謎の多い、桓齮は、秦の南方の盗賊団の首領としている。
また、楊端和は、女性になっており、山の民の王として、登場する。
史実ではないが、物語序盤、秦王政の異母弟、成蟜が、叛乱を起こした際、楊端和が、政に味方している。
鄴の戦いは、中央集権国家の秦王朝の誕生する、中華統一戦の始まりである。
趙の李牧、楚の項燕の抵抗に遭うが、8年後の紀元前228年に趙を滅ぼし、15年後の紀元前221年に、最後まで、生き残った、斉を滅ぼして、中華を統一した。
結果的に、秦王政は、わずかに、十五年にして、韓・趙・魏・楚・燕・斉の六国を滅ぼしたのである。
紀元前234年、桓齮は、趙の平陽に侵攻した。
趙の幽繆王は、扈輒を将に任じて、平陽を救援に向かわせ、秦軍と戦わせた。
平陽の戦いである。
秦軍は、趙の将、扈輒を討ち取り、十万の趙兵を平陽の城外で、斬首した。
紀元前233年、桓齮は、再度、出兵し、宜安・平陽・武城の3城を取った。桓齮との二つの戦いで、趙は、10万以上の兵を失った。
同年、桓齮は、秦軍を率いて、東の上党に進軍し、太行山を越えて、趙の深部に侵入し、趙軍を破り、赤麗と宜安を占領した。
秦軍が、邯鄲に迫ると、趙の幽繆王は、北部の国境の防衛を担っていた、名将の李牧を南下させ、趙の全軍を率い、秦軍を攻撃することを命じた。
李牧率いる、趙軍と桓齮の率いる、秦軍は宜安付近で対峙した。
肥下の戦いである。
秦軍と趙軍は、激しい戦いの末に、秦軍は大敗した。桓齮の率いる、秦軍の内の少数は、包囲から、脱出し、秦国へ退却した。
桓齮は、敗走し、一説では、李牧に討たれたとされる。
趙は、秦に占領されていた、土地を取り戻し、李牧は、武安君に封じられた。
肥下の戦いは、秦の統一戦争での秦の初めての敗北であった。
紀元前232年、秦王政は、兵を大挙し、趙に侵攻した。
軍は、鄴城に到着し、その後は、太原に到着した。
秦軍は、狼孟と番吾を占領したが、李牧が、秦軍を撃破した。
更に李牧は、秦から、韓・魏の国境までの領土を奪還した。
李牧が、戦国四大名将の一人とされるのは、超大国の秦の趙への侵攻を食い止め、秦に勝利したためであると言える。