21.【院政~もうひとつの天皇制

 

 評価:70点/作者:美川圭/ジャンル:歴史/出版:2006年

 

 『院政~もうひとつの天皇制』は、後三条天皇の即位に始まり、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇の四代の上皇の院政及び、承久の乱の以後、足利義満によって、事実上、院政機能の終止符に至る、歴史解説書。

 本書の作者、美川圭氏は、京都大学文学部卒業後、同大学大学院文学研究科国史学専攻博士後期課程指導認定退学。

 財団法人、冷泉家時雨亭文庫調査員、摂南大学国際言語文化学部教授を経て、本書出版の2006年時点では、摂南大学外国語学部教授。

 なお、2012年、立命館大学文学部教授に就任している。

 本書の他、単著としては、『院政の研究』『白河法皇~中世をひらいた帝王』『後白河法皇 ~日本第一の大天狗』『後三条天皇~中世の基礎を築いた君主』『公卿会議~論戦する宮廷貴族たち』と基本的に院政及び、朝廷を扱っている。

 養老律令には、「譲位の帝、称する所」として、「太上天皇」の称号が、定義されている。

 無論、太上天皇の略語が、「上皇」である。

 「太上天皇」の称号は、697年に、持統天皇が、孫の文武天皇に譲位したことに始まる。

 以降、奈良時代から、平安時代において、十六人の上皇が、存在した。院政以前の上皇達である。

 院政の端緒は、後三条天皇の即位に始まると言われる。

 後三条天皇は、百七十年ぶりに、藤原氏を外戚としない、天皇であった。

 後三条天皇は、藤原氏の手から、権力を奪い返し、天皇親政を目指した。

 後三条天皇は、即位の四年後、白河天皇に譲位したが、五カ月後に、死去してしまったため、院政開始の意図があったか、否かは、定かでではない。

 通説では、白河天皇が、1086年、堀河天皇に譲位して、院政を始めたとされているが、白河天皇は、院政のため、譲位をしたのではない。

 異母弟の皇太子、輔仁親王ではなく、自身の息子の堀河天皇に皇位を継承したというのが、近年の有力説である。

 しかし、堀河天皇が、若くして、死去したため、孫の鳥羽天皇を即位させたことにより、白河上皇の院政が、始まったのである。

 院政の条件は、「上皇」ではなく、自分自身の子孫、即ち、弟、甥が、天皇に即位すれば、院政を行えなかった。

 白河上皇の院政の確立によって、藤原摂関家の政治力は、弱まった。

 白河上皇の権力は、絶大となり、以後、院政が、定着する。

 院政は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇及び、後鳥羽上皇を最盛期とするが、同時に、内乱の時代であった。

 後白河天皇の即位と同時に、保元の乱が、勃発し、治承・寿永の乱に至る。

 後鳥羽上皇による、承久の乱によって、武家政権の権力は、院政を上回った。

 しかし、院政は、承久の乱後に存続し、天皇に即位していない、後高倉上皇が、誕生する。

 本書は、保元の乱から、承久の乱に至る、武家政権確立を、武家の視点ではなく、院政の視点から、解説しているため、中世の始まりを知るための欠かせない、一冊である。