公暁による、三代将軍、源実朝の暗殺は、歴史家達には、黒幕が存在したとの説がある。

 公暁の父、源頼家を殺害したのは、当時、十二歳の実朝ではない。

 そのため、何者かが、公暁に対し、実朝が、父の頼家の仇であると吹き込んだはずとの説である。

 即ち、源実朝の暗殺には、公暁を唆した、黒幕がいたことは、否定できない。

 数々の歴史家は、黒幕の最有力候補として、北条義時の名を挙げている。

 北条義時が、源実朝の死によって、最も利益を得た。

 そして、名実共に、武家の頂点に立ったのである。

 傀儡の源実朝は、成長と共に自立しようとし、叔父の北条義時と対立するようになった。

 そのため、義時は、実朝を排除したとの説である。

 しかし、前述の親王将軍擁立及び、公武協調は、北条政子が推進しているため、義時の同意があったと考えられるため、義時と実朝の対立は、殺害するほど、深くはなかった。

 更に、公暁の一党は、北条義時を殺害しようとしたが、間違えて、源仲章を殺害している。

 義時は、敢えて、公暁に自分を狙わせ、代わりに仲章を殺害させとの説がある。

 鎌倉殿及び、将軍の不在は、鎌倉の武家政権の崩壊を招く、可能性がある。

 北条義時の権力基盤は、武家政権のため、将軍不在では、義時は、危険な立場になるため、筆者は、個人的には、北条義時黒幕説には、疑問を感じる。

 しかし、義時は、偶然、殺害を免れた。

 そのため、事前に公暁の行動を察知していたが、敢えて、黙認したとの説は、消えない。

 黒幕の第二の有力候補は、歴史小説家の永井路子氏が、提唱した、三浦義村説である。

 三浦義村は、公暁の乳母夫であるため、公暁との関係は、最も深い。

 更に、三浦義村は、将軍の右大臣拝賀という、随兵千人の重大行事に参加していない。

 そして、義村の四男の駒若丸は、公暁の門弟であるため、公暁の企てを知っていた、可能性は高い。

 三浦義村黒幕説では、義村は、源実朝と同時に北条義時を殺害しようとしたが、義時の殺害に失敗したため、公暁を裏切って、自邸に招き寄せ、誅殺したとされる。

 三浦義村は、北条義時に勝てないと自覚していたのである。

 三浦義村は、実朝及び、義時を殺害して、公暁を将軍に擁立し、義時に成り代わろうとしたとの説である。

 しかし、三浦義村は、鎌倉の武家政権において、北条義時に次ぐ、地位にはなかった。

 和田義盛を裏切り、承久の乱では、弟の胤義を裏切って、北条義時に味方している。

 更に、北条義時の長男、泰時の正室の矢部禅尼は、三浦義村の娘である。

 三浦義村は、自分では、御家人を統率できないことを理解していたため、黒幕とは、考え難いのである。

 その他に、後鳥羽上皇黒幕説が、存在するが、当時の朝廷と鎌倉の武家政権の関係は、後鳥羽上皇と源実朝の蜜月関係に依っていたため、成立しない。

 そのため、実朝暗殺には、黒幕は、存在せず、公暁の単独犯行と考えるのが、個人的には、妥当と考える。

 公暁は、前将軍の源頼家の息子であるために、実朝と義時を殺害すれば、御家人達が、自分を擁立すると考えていたのであろう。

 しかし、源頼家の失脚には、多くの御家人が、加担していた。

 その息子の公暁を将軍に擁立するはずがない。

 公暁は、有力な後ろ盾なく、実朝殺害に及び、誅殺された、愚かな人物であったとしか、考えられないのである。