事後報告。
神戸市立博物館へ
「特別展 神戸開港150年記念特別展
開国への潮流 ―開港前夜の兵庫と神戸― 」
を見に行きました。
以下、公式サイトより
開催概要
平成29年(2017)8月5日(土曜日)~9月24日(日曜日)《44日間》
開館時間:
10時00分~17時00分 (入館は閉館の30分前まで)
休館日:
月曜日[ただし、9月18日(月曜日・祝日)は開館]、9月19日(火曜日)
18世紀半ばから19世紀半ばまでの1世紀は、軍事力を伴いつつ「開国」を迫る欧米諸国と対峙しながら、日本が新たな国際関係に歩みを進める模索の時代でもありました。神戸開港は、その集大成の一つといえるでしょう。安政5年(1858)に欧米諸国と締結した通商条約によって兵庫(神戸)は箱館、神奈川(横浜)、新潟、長崎とともに開港場に選ばれます。しかし箱館、横浜、長崎の開港に伴う国内経済の混乱や尊皇攘夷(そんのうじょうい)運動の隆盛、朝廷の猛烈な反対により開港は困難な状況となり、条約締結国との交渉で5年延期されることとなりました。ただ、この延期によって兵庫と神戸の港は、畿内の政治的地位が急速に高まるなかで、幕府海軍の拠点、幕府直轄港に位置づけられ、近代化が進められていきます。そして、これが開港後の神戸の発展に結びついていくのです。本展では、当時の国際環境や政治・外交に照らしながら、約100件の資料を通じて、開国、そして神戸開港にいたる歴史的潮流をたどります。
★入館料(企画展、常設展も合わせてご覧いただけます)
当日券 前売券 団体券(20名以上)
一 般 800円 700円 700円
大学生 600円 500円 500円
高校生 450円 350円 350円
小・中学生 300円 200円 200円
※65歳以上で「神戸市すこやかカード(老人福祉手帳)」持参の方は当日一般料金が半額。
※障がいのある方は障がい者手帳などの提示で無料。
※小中学生で「のびのびパスポート」をお持ちの方は、同パスポートの提示により無料。
※前売券は平成29年6月21日(水曜日)から9月24日(日曜日)まで販売
Ⅰ 19世紀の国際環境と対外認識
18世紀半ばにカムチャッカまで到達したロシアは、日本との交易にも目を向けるようになっていきます。
寛政4年(1792)にはラクスマンが長崎に来航し、幕府より長崎への入港許可証となる信牌(しんぱい)を得て帰国。文化元年(1804)にはレザノフがその信牌を携え、通商開始を求めて長崎に来航しました。彼は幕府から回答を得るために半年にわたり長崎に滞留しましたが、幕府の判断は通商を拒絶するというものでした。この屏風には彼が長崎を去る直前の3月10日の日付や署名があり、彼の肖像のほか、使節の持物、受取を拒否された将軍への献上品なども描かれています。
Ⅱ ペリーとプチャーチン ~新たな国際関係の模索~
嘉永6年(1853)のペリー率いるアメリカ艦隊の浦賀来航と前後して、ロシア使節プチャーチンは、長崎、箱館を経て、嘉永7年(1854)9月、大坂湾に来航します。彼が大坂湾を選んだのは、天皇の居住する京都に近いこの湾に軍艦で乗り入れることで、軍事的脅威を与え、条約を優位にそして早期に締結することを目指していたためです。この図は天保山沖に碇泊(ていはく)したロシア軍艦ディアナ号を描いたもの。大坂城代土屋寅直(ともなお)は直ちに近隣の諸大名や大坂の蔵屋敷に命じて守備にあたらせ、大坂町奉行らにはロシア側との交渉を指示しました。
軍艦の圧倒的な軍事力を背景に開国を迫る欧米諸国への対応は、幕府にとって重要な政治課題となっていきます。
Ⅲ 通商条約の締結と「兵庫」開港
安政5年(1858)、アメリカをはじめとする欧米諸国と締結した通商条約によって日本は開国し、兵庫も開港場の一つに選ばれました。しかし先行する箱館などの開港に伴う混乱や、朝廷の猛烈な反対により、兵庫開港は延期されることになりました。
本書はその交渉のためにヨーロッパに派遣された使節団で目付(監察(かんさつ))を務めた旗本京極高朗(きょうごくたかあき)自筆と推定される日記。この交渉により兵庫開港は1868年1月1日まで延期されることが決まります。しかし、この5年間で兵庫・神戸の港の近代化は急速に進められていくことになります。
Ⅳ 将軍の上洛と大坂湾の防備
文久3年(1863)5月、幕府は兵庫和田岬、湊川崎、西宮、今津の4ヵ所で台場の築造を開始します。中央に「石堡塔(せきほとう)」と呼ばれる円柱形の石造砲塔を備える構造は、世界の軍事史においては「マルテロ・タワー」と呼ばれ、日本では初めて導入された構造です。しかし、それを実現するために用いられたのは、石工や鋳物師、左官、船大工などが持つ、日本の伝統的な技術でした。
また幕府がこのような台場を築造した背景には、海岸防備の強化とともに幕府の軍事力や技術力の高さを国内外に誇示する意図があったと考えられます。
Ⅴ 港の近代化 ―幕府直轄港としての兵庫の港―
本図は長崎海軍伝習所の考証復元図。大坂湾の海図作成の技術的基礎を築いたのは長崎で行われた海軍伝習です。文久3年(1863)1月以降、幕府軍艦方は大坂湾内の測量を行い、5月には近代的な海図を完成させます。これに携わったのが長崎海軍伝習所で学んだ軍艦奉行並・矢田堀鴻(やたぼりこう)(景蔵)や築地の軍艦教授所(のちの軍艦操練所)で、矢田堀らから学んだ軍艦方・甲賀源吾(こうがげんご)などでした。
エピローグ 神戸開港へ
神戸開港の様子は、どのように伝えられたのでしょうか。これはイギリス・ロンドンで発行された絵入新聞。海上から神戸外国人居留地付近を眺めた風景(上)、布引付近から神戸港を望んだ風景(下)を描いた銅版画とともに、「1868年1月1日正午、停泊中のイギリス、アメリカなどの艦船が21発の礼砲を放って祝った」ことを伝える記事が載せられています。
本紙では外国人居留地は、まだ造成中のため、白く表現されていますが、居留地全126区画の永代借地権は同年7月から明治6年にかけて競売され、神戸にやってきた外国人たちの拠点となる異人館の建設が進んでいきます。
勉強になります。
中学歴史、高校の日本史のさらに一歩先を学べる貴重な展覧かいと感じました。
諸外国の日本の開国(日本との通商)の狙いは何か?
開港地はなぜ神戸でなければならなかったのか?
開港において神戸ならではの地の利は何か?
が学べます。
博物館というのは「学ぶところ」ですが、
もう一つ。
南蛮・古地図企画展「絵画と地図で読み解く日欧交流」
も開かれています。
聖フランシスコ・ザヴィエル、織田信長、豊臣秀吉、徳川吉宗・・・彼らが思い描いてきた世界と日本の姿とはどのようなものだったのでしょうか?特別展「開国への潮流」の前史、16世紀半ばから続く日本と西洋の交流を、館蔵の絵画・古地図でたどります。修理完了後、初公開となる重要文化財織田信長像も展示されます。
※《聖フランシスコ・ザヴィエル像》は8月5日から20日まで展示されます。
※《都の南蛮寺》は9月12日から24日まで展示されます。
南蛮古地図企画展 絵画と地図で読み解く日欧交流
8月5日~9月24日
歴史の教科書で見たことのある逸品(重要文化財など)を見ることができます。
おしゃれな神戸の歴史の重みーー神戸の魅力を違った観点から眺められる展覧会です。
おすすめします。
【おまけ】
神戸ビーフが食べたい・・・8Kビジョン、すごいです。