何年でも構わないというのが結論です。短ければ短いほどいいのは事実ですが。
そういう意味では、むかしの日本にあった「飛び級」「落第(留年)」を復活させてもいいと思います。
大事なことは何年で、何歳で達成したかではなく、そのひとが一生懸命頑張った末にどこまで到達したかです。
ブログネタ運営局のダニーさんの文章から一部引用します。
友人が、料理人を目指して専門学校に行き、
今修業中なのですが
もう5年め
何年経ったら修業が終わり、
ということがない世界
確固たる思いがないと、できませんね
友人は、
「辞めるヤツは、それまでのヤツだ」
といって、毎日毎日頑張っています
このダニーさんのお友達の「辞めるヤツは、それまでのヤツだ」 本当にその通りです。
厳しいことを言うようですが。このダニーさんのお友達の「辞めるヤツは、それまでのヤツだ」 本当にその通りです。
『忍耐と努力、この二つさえあればこの世でできないことはない』 メレシュコフスキー
『世界で情熱なしで成就された偉大なものはなかったと確信する』 ヘーゲル
『天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう』 エルバート・ハバード
『楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ』 シェイクスピア
といった名言がありますね。
といった名言がありますね。
そういえば、『NHKテレビテキスト NHK俳句』の2014年5月号(NHK出版)に、こんなことが書いてありました。
俳句をお稽古事のように思っている人はないだろうか。例えば、私はなにも一流や専門家を目指している訳ではありません、心得ていどでよいのです、といった風な。それは明らかに誤りで、二流三流でいいというのは努力の結果やひとが評価語として使う言葉であって、自ら目標を下げるような意気地のないことをしてはならないと思うからだ。
(中略)
繰り返しいうが、俳句の妙味やコツといったものは、入門書や研究書をいくら読んでも駄目で、厳しい実践を通してしか身につくものではない。桂枝雀に「金を貯めようと思ったらまず貯めなくてはなりません」というのがある。宜。五輪の葛西のメダルは七回の挑戦の果ての賜だったことを忘れずにいたい。
(「俳句上達へのメッセージ26 作って示すこと」辻田克巳)
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思い出した。
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思い出した。
英語のpassionが「情熱」と同時に「受難」の意味であることーー語源が同じであることを初めて知ったとき、違和感を覚えたものでした。
もともと「痛み」「受難」の意味でしかなかったpassionに、pathos(感情)の意味が加わって「受難に耐えうる『情熱』」となったそうです。
情熱があれば、情熱があるから、つらいことも耐えられるーー
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今のわたしに言えるのは、
「自ら三流に甘んじられるのならすぐにそれをお止めなさい」
ということです。
「自分のような人間は、この程度でいいんですよ」と思いながらやっていることは、本当に好きなことではない。
本当に好きであれば、少しでも上手になろう、いいものを作ろうと努力するものです。
才能があろうとなかろうと。
才能がなければーーないと思うのならーー自分で作り出せばいいだけです。何年でも、何十年かかっても。