「女を怒らせると面倒だから、お義父さんっていう人も家庭では言葉を呑んで暮らしてきたんじゃないのかな。男として小谷野さんに共感する部分は大いにあったんだろうよ。男は哀れだね」
「娘と孫の生活をどう考えているんだって親のエゴをむき出しにする場面もありましたけど、小谷野さんが全財産を放棄するって宣言するに及んで、君はあっぱれだって、ぐうの音も出ない感じでした」
「ほう、彼は全てを放棄したのかい」
「はい。豪邸も車も家具も貯蓄も全部です。もちろん、親権も」
「見事だね。芸能人ならいざ知らず、一介の勤め人が営々と築き上げた物を洗いざらい投げ出すなんて離れ業をできるもんじゃないよ。確かに、ここまできれいに責任を取られたら文句のつけようがない。お義父さんならずとも、脱帽だよ。彼は物を捨てて、魂の自由を得たんだよ。一人の男にそこまでの決断をさせたんだから、ウーちゃん、女冥利に尽きるじゃないか」
「いえ、そんな…。女冥利だなんて浮かれている訳にはいきません。あの時、居酒屋で、私が、「小谷野さんは魂の自由を失おうとしている」って私が口走ったばっかりに、小谷野さんは前半生を捨てるようなハメに陥ったんです。もちろん、私も同じ事なんですけど、小谷野さんの方は、手かせ足かせでがんじがらめでしたから、葛藤の大きさも私の比ではなかったはずです。私はずっと、彼に大きな責任を感じているんです」
「ウーちゃんに責任なんて、これっぽっちもありやしないよ。小谷野さんは、金や物なんかが及びもつかない物を手に入れたんだよ。愛と自由、これに勝る宝はないからね。彼が至福の顔をしているのを、お義父さんは見逃さなかったんだよ」
「そうなんでしょうかね。でも、小谷野君、良い人と巡り会ったじゃないですか、今度こそうまくやって下さいなんて激励されたのは事実なんです。あまりに意外な言葉だったんで、当の小谷野さんも聞いている私も狐につままれたような気持でした。その時に思ったんです。どんな局面でも、味方というのはいるもんなんだなって」