wikipediaより概要の抜粋
【 大和国曾布(そふ)/層富(そほ)(のちの奈良〈添郡[そふのこおり]東部、のちの添上郡〉、現在の奈良市中核)から石上・布留(式上郡の石上・布留、現・天理市石神町・布留町)を経て三輪(式上郡三輪、現・桜井市三輪、cf. )に通じていたとみられ、その全長は約35キロメートル、幅は2メートル足らずの小道であるが、沿道には石上神宮大神神社長岳寺崇神天皇陵景行天皇陵金谷石仏などの多くの寺社や古墳群があり、この地に権力を握る古代国家の中枢があったことや、文化交流の重要な幹線道路であったことをうかがわせている。古墳時代の奈良盆地は沼地や湿地が多く、これを避けて山林、集落、田畑の間を縫うように山裾に沿ってつくられたため、道は曲がりくねっている。 】


下の案内板は大神神社にあったものです。

写真のみで。