ここ数年、私の悩みは自分の異常なネットの使用時間である。パソコンやスマートフォンを開いてしまったら最後、することがなくてもたちまちネットを検索し始め、数時間後に興味すらない謎のウェブページなどにいることに気づき、無駄になった数時間を悔やみ始める。この前なんかは学校の課題に行き詰まり、ネットに逃げ、気づいたら好きでもないハムスターが延々と部屋を駆け回るだけの動画を無心になりながら見ていた。もちろん肝心の課題は終わるわけもなかった。

 莫大な情報を誇るネットは何かしら人の好奇心を煽る何かがあり、人を夢中にしてしまう魔力を持つ。それはテレビも同じのようで、見始めたらなかなかほかのするべきことまで手が及ばない。さらに、はまってしまえば目が痛くなるまで、何時間でも取りつかれたように見ていられるので、退屈になることはあまりない。つまり、テレビやネットを見てしまうと家からでなくなる時間だけが増え、どんどん人と会う時間は減っていくのだ。

 そんなことをちゃんとわかっているつもりでいたため、私はテレビに関しては下宿部屋に取り付けるか聞かれたときに低調に断ったが、ネットはそうもいかなかった。やはり、現代においてネットでのやり取りが主要なため、私は良くも悪くもネットを取り付けてしまったのだ。すると、一日のうちのネットに費やす時間は休みの日は軽く3、4時間を超えた。ひどいときは昼にパソコンの前に座り、気づけば窓の外の太陽が沈むのを見て、自分が恐ろしく感じることだってある。時に、自分の一日の姿を客観的に見たときにどのように見えるか考え、半日間椅子から動かず、画面にくぎ付けになっている自分を想像して寒気を感じるほどだ。しかし、恐ろしいと思いながらなかなか自制できないまま数か月。私はいまだネットの魔力に勝てないままでいる。

 

 このような話題をいきなり書き出したことにはもちろん理由はある。それは、母の仕事関係で知り合った方にあったことがきっかけだ。その人は母の仕事を支援しでくださっている人で、下宿している駅からほんの数駅しか変わらないほど近くに住んでいることもあり、一度会うことになった。私自身は初めて会ったのだが、母とは交流のある方で、大学に入学が決まり、住居をどうしようか家族と迷っていた当初は彼女の家に住まわせていただこうかと悩んでいたほどに、信頼ができる人だと母からは聞かされた。

 何か緊急事態があったときにも、近くに頼れる人がいれば安心だと言われ、早速会いに行ったのが先日のこと。「一緒に晩御飯をしましょうか」と誘われたことをきっかけに、その方の住む町の駅まで行ってみた。会ってみると母より少し年上の方で、「外食をするのをやめて、家でゆっくりとお話でもしながら晩御飯をしましょう」と言われ、車に乗せてもらった。

 お宅までの息道では、ちょうど連休で帰っており、その時たまたま公園で時間をつぶしていたという娘と孫たちも迎えに行った。「フィリピンにいる子供たちにもかなわないぐらい騒がしい子供たちだからごめんね」と、事前に断りを入れられたが、10年以上年の離れている弟のいる身としてはむしろ「子守なら頑張れる」と、お世話になりっぱなしではなく、できそうなことがあると思い、安心した。

公園の入り口で来るまでしばらく待っていると、しばらくして5歳の男の子と、7歳の男の子と、小学5年生の女の子の三人兄弟が母親と車に乗ってきた。車の中では下の二人の兄弟がとにかくはしゃぎ、騒いでいた。自分の弟を思い出すハイテンションな二人を見て、弟が特別やんちゃで騒がしいわけではなかったことに感心しながらも、お宅についたらどうやって長時間遊べるかいろいろ考えていた。しかし、実際その方のお宅について、私はほとんど子守をすることはなかった。

 それもそのはずである。なぜなら、家に入るなり三人共出されていたコタツの電源を入れ、それぞれのゲーム機をもって中に入ったからだ。車の中では大騒ぎをしていた三人はゲーム機を開くなり静かになって、こっちから話しかけてもゲームに夢中でむしろ私のほうが相手にされなかった。

 

 それから夕方までの時間は誘ってくれた方とその娘さんとお話をしていたが、子供たちは一切コタツから動かず、時たま聞こえる会話はコタツ内での場所の取り合いや、ゲームの効果音の音量などに対する小さなケンカばかりだった。私の弟と同年代の末っ子ですら自分のゲーム機に夢中で、何をしているのか横でちょっと覗いてみるとその画面には動画投稿サイトがあった。人が投稿した動画を見られるYoutubeというサイトでクレヨンしんちゃんを延々と、しかもイアフォンをつけてみている5歳児に私は驚きを通り越し、心配にすらなったが、最近の子供の間では決して珍しいわけではないらしい。むしろ、小学生にもなると、一人に一つゲーム機は珍しいことではない。さらに、進化した最近のゲーム機はゲームだけでなく、末っ子が見ていたような動画サイトをはじめ、SNSやネットすら使えるそうだ。そのような機能を使い、公園に行って友達と会ってもすることはゲーム機の通信機能を使った友達内でのゲーム対戦などと聞き、違和感を覚えた。

 

 「外では遊ばないんですか?」と、一応聞いてみると、最近の子供は親無しでは公園にすら出ていけないそうだ。家でもあまりバタバタとされると困るため、結局テレビやゲームをすることに落ち着くという。社会が子供の面倒を見る社会ではなく、親が面倒を見る社会のようだと印象を受け、なんとも悲しい。そして、家で大半の時間をつぶす子供たちは外に出ても結局ゲームをして、本質的にすることにあまり違いはない。自分が休日にネットに費やす時間は異常だとは思っていたが、それをはるかに上回る話だった。

 

 しかし、子供がネットを使う上での私が思いつく危険性だけでも、数多い。それこそゲームなどに関してはほとんど知識らしい知識はないが、Youtubeのような動画サイトに関してはある程度知識がある。アカウントを作ればだれでも自作動画を投稿することができ、逆に人の動画を評価したり、コメントを書いたりすることもできるサイトだ。自由度が高く、そのおかげで世界中で多くの利用者がいるようだが、その分動画にのコメント欄のところでは動画に対する強烈な批判や、コメント自体を攻撃するなんとも子供っぽく、醜い争いが繰り広げられていることが数多くある。

 例えば、前にたまたま見つけたコメントの中では、動画にあまり関係のない内容のコメントをした一人に対し、ほかの数多くの人が延々と「関係のないことを書くな」や、「場所をわきまえろ」、ひどいものでは何の意味もなく「死ね死ね死ね死ね」と連発で書き入れられているものを見つけた。その時はただ単に不快な気分になっただけだったが、よく考えてみると、ひどく恐ろしい。インターネットという既定の少ない場所で対面せずに争い、時には一方的に人を傷つける人がいて、その相手をどちら側にも知りえない。

 それがある程度の自己意識と常識のある大人同士ならまだしも、最近ではゲーム機越しで小さな子供でもできる環境にあるのだ。顔も声も聞こえない立場にいるゆえ、大人も子供もそのサイト内では対等の立場にいる。子供が悪気なく書いた小さな批判でも、大人が容赦なく叩くことのできる場所なのである。

 

 もちろん、年齢制限があるサイトばかりだが、知恵さえつけばネット上の年齢なんてものはいくらでも偽造ができる。実際私も高校に入る頃にはいくつかのSNSに登録をしていたし、クラスメイトの中では小学生のころから登録をしている人だって少なくなかった。

 

 しかし、これは小さな子供がネットを使う上でのほんの一部の問題にすぎない。ほかにも、そのお宅の三兄弟と数時間過ごしただけで、自由に投稿されている動画の内容や、ゲームの内容に対する危機感も感じたし、友達との時間の過ごし方の在り方が大きく変わっていることも予感した。今の一般的な日本の子供たちは人と面と向かって話し、向き合う時間が異常に少ないのだ。

 私はラッキーにも、素晴らしく自由で、楽しい幼少期を過ごすことができたが、最近はずいぶんと人間関係も希薄で限られたネット社会で生きる子供たちが多いのかもしれない。そう思うとどこかとても心配になる。彼らの人間性は、生き方に悪影響はないか、ついつい考えてしまう。

 

 その日私がそのお宅で過ごした時間だけで五時間程度。そのうちの3時間余りをすべてゲーム機に費やしていた三人を見ると、いったい彼らの世界のどれだけがゲーム機で占められていることか、不思議になった。その姿は不安を通り越し恐怖を感じさせるようなものだったが、今の私もあまり状況的には変わらないのかもしれない。私自身も、いったい日常のどれだけの時間がネットに使われ、どれだけネットの世界に引きずりこまれていることだろうか。