鴻巣へ 勝願寺へ | はろはろはうすの<何を食べようか>

はろはろはうすの<何を食べようか>

夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

6月5日

せっかく鴻巣に来たのなら
「勝願寺」へ立ち寄りたい。



鎌倉時代創建の古刹であり
関東十八檀林のひとつ。

檀林とは栴檀林(せんだんりん)の略で
お坊さんの養成機関のことを指す。

なので総門には「栴檀林」の
扁額がかかる。


鎌倉幕府4代執権・北条経時から
然阿良忠上人が登戸の土地の寄進を
受けたことが勝願寺の始まりという。

また江戸時代には徳川家康が
鷹狩の際に立ち寄り、
住職と意気投合したことから
徳川の庇護を受ける様にもなった。



「丹後田辺藩主・牧野家累代の墓」



徳川家康が勝願寺を訪ねた際に
供をしていたのが牧野康成で、
田辺牧野家はその縁で
ここの檀家になったと何かで読んだ。



中には入れないが、
門の隙間から覗いてみると
残念ながら少し荒れてしまって
いる様にも見える。


 

他の大名家の墓所でもそうだが、
先祖に立派な墓を残されると
後の者が維持する負担は
想像以上に大変なものだろうと
つい余計な同情をしてしまう。



右は呑龍上人を祀る龍寿殿。
左は地蔵堂。



呑龍上人は私の故郷の
小諸にも縁のあるお坊さんである。

まさかここでもお会いするとは
思いませんでした。



「山門」



なんとも愛嬌のある
仁王様である。





なんでも昔は運慶作の
仁王像が安置されていたそうだが、
誰かが知らぬ間に勝手に
売り払ってしまったそうな。

ホントか?

でも私は運慶よりも、
こちらの仁王様の方が好きだな。





そして本堂へ。





立派な鏝絵が施されている。



本堂から境内を振り返る。



こちらは「芭蕉忌千句塚」

鴻巣の俳人・横田柳几が
宝歴13年(1763年)に
芭蕉翁70年忌の追善興業として
1日千句の吟を行った。

柳几が亡くなる前年に
その千句を壺に納め、
この碑が建てられた。

隣には同じく鴻巣の俳人
笠島庵春友の辞世の句碑

「紫陽花や人の寄るのもおもしろき」



そしてこちらには
大きな墓碑が並ぶ。





信州小諸藩初代藩主
仙石秀久の墓



先程も書いたが、
小諸は私の故郷である。

まさかここで仙石秀久に
お会いするとは。

 



江戸に出府し小諸に帰る途中で
病死したのがこの鴻巣だったとのこと。





その隣に3基の墓。



右が小松姫の墓。



小松姫は本多忠勝の娘で
松代藩初代藩主・真田信之の正室。

真田信之には先に正室がいたが、
小松姫が徳川家康の
養女として嫁いだための
こちらが正室となった。



病気がちだった小松姫は
江戸の真田屋敷から
草津温泉へ湯治へ向かう途中、
この鴻巣で亡くなったという。

享年48歳。

戒名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」





そして小松姫の息子で真田信之の3男
信州埴科藩第2代藩主・真田信重と、
信重の室の墓が並ぶ。



真田信重も鴻巣で亡くなっている。




母と並んでの墓である。

 


 

享年49歳。





信重の正室は鳥居忠政の6娘。

信重の亡くなった翌年に
亡くなっている。



正室の方が墓が大きいのは、
何か理由があるのだろうか。





境内をしばし散策。









寺の前は広い公園となっている。



ここに学寮が建てられていたというから、
当時の檀林としての規模は
相当なものであったと想像する。

 

ところで

 

銃をたった一発撃つだけで、

戦争は起きるんだということを

忘れてないか?

 

Gimme, gimme shelter
Or I'm gonna fade away

 

War, children, 

it's just a shot away
It's just a shot away

 

  ”Gimme Shelter”

   (Written by Mick Jagger and Keith Richards)

 

「Gimme Shelter」はそういう歌だ。

 

それは言葉でも。


いえ何でもありません。
ひとりごとです。