将門の胴塚@坂東市「延命院」 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

6月27日

茨城県坂東市にいる。

平将門ゆかりの地を巡る旅である。

最後は「延命院」へ。


 

正式名称は「延命院観音寺」



正面に不動堂。




 

左に関宿城主・牧野成春の助力で
宝永7年(1710年)に建立された観音堂。



そして右奥に毘沙門堂がある。

 

 

山号は「将門山」である。



関東全域をその手に収めて独立国を形成し
「新皇」を名のった将門だが、
朝廷が差し向けた藤原秀郷らの追討を受け
戦さの流れ矢に当たって亡くなってしまう。

これを「承平天慶の乱」という。

将門の首は京の七条河原に晒されたが、
ある夜爆音と共に首が空を飛び
落ちたところが東京・大手町にある
「将門塚」だと言われている。

また将門の愛馬がその首を
幸手まで運んできたという説もある。

「将門の首塚を訪ねて」
将門の首塚を訪ねて | はろはろはうすの<何を食べようか> (ameblo.jp)




ではその胴体はどうなったかというと、
ここに埋められたと伝えられている。


不動堂の裏に小さな塚がある。





これが将門の「胴塚」

 

弟の平将頼らによって

ここに密かに葬られたと伝わる。



 

お地蔵さんがまるで塚を守っている様に。

 

 

埋蔵文化財「将門山古墳」

 

少し調べてみてのだが、

これまで発掘された記録はない様だ。

 

発掘されればやはり祟りがあるのだろうか。



市民の浄財による顕影碑と、
東京大手町の「将門塚(首塚)」より
送られた石塔婆が建っている。





「大威徳将門明王」




大威徳明王の語源は

「閻魔を倒す者」という意味。



 

戦勝祈願、煩悩除去の

ご利益があるとされている。



 

お寺の周囲をちょっと散策。
これは蕎麦の花ですよね。

 



私は信州出身なので、
家の近所にも蕎麦畑があった。

だから蕎麦の花だけは判るのだ。



再び境内に戻って
将門の胴塚を振り返る。



不動堂は将門の胴塚そのものを

御本尊として建てられていることが、

はっきりと見て取ることが出来る。




新皇を名乗り「朝敵」とされた将門が
なぜここまで信仰を集め続けているのか。

 



それは将門がなぜ朝廷と戦い、
なぜ関東に独立国を作ろうとしたのか。

そこに思いをはせることでもあるのだ。

 


 

「大威徳将門明王」

 

の旗が風にたなびく。

 

 

「閻魔を倒す者」

 

として立ち上がった将門に、

実に相応しい称号であると思われる。