平将門ゆかりの地「延命寺」「石井の井戸」「石井の営所」 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

6月27日

茨城県坂東市にいる。

平将門ゆかりの地を巡る旅である。

「延命寺」



立派な門だなあ。

江戸時代の中期に将門の子孫と伝わる
守谷城主の相馬家が大檀那となって
本堂・薬師堂・山門を建てるも、
火事にあい山門だけが残ったという。





山門を入ると石橋がある。
当時の寺の規模と格式が偲ばれる。







もともとこの寺は将門の陣である
島広山にあった石井の営所(=兵営)の
鬼門除けとして建立された。



「承平天慶の乱」で将門が戦死し、
島広山の石井の営所一帯が焼かれた時に
将門の守り本尊である薬師如来像は移し隠され、
世の静まるのを待って
この境内にある薬師堂に祀られたという。

そのため地元では

「島の薬師」

と呼ばれている。



この薬師堂も火事で焼け、
現在もまだ仮堂のままであるらしい。



安置されている薬師像は行基菩薩が
自ら彫刻したものと伝えられる。

ここでも出ました行基さんですね。



その薬師堂の後ろに本堂。



雨もそろそろ止んできたかな。

静かですね。



門前にはいかにも「坂東」と
呼びたくなる風景が広がる。





すぐ近くには

「石井の井戸」





 

この井戸の由来は
「國王神社縁起演書」に詳しい。

 将門が王城地を求めて
 この地を見回っているうちに
 喉が渇いて水が欲しくなった。

 その時、どこからか老翁が現われ、
 大きな石の傍らに立っていた。

 翁はその大石を軽々と持ち上げて
 大地に投げつけると、
 そこから清らかな水が湧き出し、
 将門と従兵たちは喉を潤すことができた。

 将門は不思議に思い、翁を召して
 「あなたはどのような
 おかたなのでしょうか」と尋ねると、
 翁はかしこまって一首の歌を詠んだ。

  久方の光の末の景うつる
  岩井を守る翁なりけり

 と唱じると姿を消してしまった。

 将門はこの翁を祀るとともに、
 この大地に城郭を造ることに決めたのである。



ここで振り返ると
確かに台地になっているのが判る。

これが島広山。

そして将門の本拠地

「石井の営所」

である。



目の前にはいかにも「坂東」と
呼びたくなる風景。

向こう側の茂みが
先程の「延命寺」である。



このすぐ近くに「一言神社」がある。





先程の井戸を教えた老翁を
祀った神社である。





それでは島広山の
「石井の営所跡」へ行ってみよう。




 

ここが将門が関東制覇の
拠点とした石井の営所跡。
 




 

かつてこの営所の周辺一帯には
将門の重臣や郎党の住居が建ち並び、
3千騎の軍勢が集まるための
宿舎や食糧庫などが設けられていた。



いまは住宅街の中にポツンと
石碑が立っているだけである。



石碑の裏に広がるのはネギ畑。



こちらに回っても、

やっぱり住宅街とネギ畑である。

 



向こうに見える茂みが
将門の終焉の地と伝わる

「國王神社」

 

ここが将門の本拠地であった当時は

さぞ多くのひとびとが集まっていたことだろう。

 

ひとが集まれば

食べ物や物が集まる。

 

それがさらにひとを呼び、

物流が始まり市が立ち、

祭が起こり文化が生まれる。

 

ここは平将門が築いた、

まさに関東一の「都」であったに違いない。