野田市のだのだ探検隊:昌福寺、香取神社、首切塚、福寿院、観音堂 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

7月12日

江戸川を渡るとそこは
野田市である。

千葉県北西部の東葛地域に位置する
人口約15.2万人の街である。

そして醤油の街でもあるけれど、
この話はまたあとで。

野田は意外と近くなのに、
私は野田を知らない。

だから今日は進め!

「のだのだ探検隊」

とはいっても
隊員はおいらひとりだけ。

いいんだもん!

ひとりぼっちで野田を探検したって、
いいんだもん!

「昌福寺」







関宿江戸町の不動院にあったものを
移築したと伝わる不動堂。



この彫刻が見事。
職人の仕事というものは本当に凄いと思う。


扁額の書は関宿藩20代藩主
久世擴運によるものである。





これは関宿城主・久世氏の

祈祷所となった不動堂と伝えられている。



境内には文化3年(1806年)に建てられた
「地形土持供養塔」など。

江戸川と利根川に挟まれたこの辺りの、

治水工事に関係ある石碑なのだろうか。

調べてみると「地形(じぎょう)」とは
工事を始める前に地面をならし固めること。

「土持(つちもち)」とは
畚(もっこ)などで土を運ぶこと。

なるほど勉強になるなあ。


 

1周廻ってしまった。

「関宿関所跡の碑」の隣には
関宿江戸町「香取神社」

 

日光東往還の宿場町でもあった関宿の、

本陣(会田家)があったところだ。

 

また少し道を進むと薬師堂があるが、
詳しいことは判らず。






 

そして関宿台町「香取神社」



後で気が付いたのだが、

野田市には香取神社が実に多い。


振り返ってこちらを睨む
「阿」の狛犬。



こちらの「吽」の狛犬は
どことなく愛嬌がある。

 

アタマを撫ぜてあげたい。



この神社のある台町は
関宿城下の古くからの商人町である。

江戸時代の初めから行われている天王祭は
とても大切にされていた華やかな祭の様で、
「天明の飢饉」の時でも
祭が中止されることはなかったという。



そしてまたしばらく進むと、
道端にポツンと「南無妙法蓮華経」の碑。



江戸時代の刑場跡である。



「納谷の首切塚」

とも呼ばれる。

実際に処刑した場所はここではなく
西方の利根川べりで、
ここは首だけを埋葬した
場所だったという説もある。

もしかしたら処刑後の罪人を
晒していたところなのかもしれない。

江戸時代までの処刑場は町境や村境、
つまり「あの世」と「この世」との
結界に当たる場所にあることが多いのだが、
ここは関宿のどういう位置に当たるのだろうか。



そして関宿藩主の祈祷所であった
「福寿院」へ。





 

 

そして「金龍院」へ。

 



その隣には子安観音のお堂。





この解説版の

 女人が一度この願を告げます時、
 観音様の妙力はたちどころに現われて

という文がなかなか良い。

名人の講談の様な言葉のリズムに、
男のこちらまでウキウキしてしまう。



統計を見ると日本では2016年時点で
妊婦の死亡率は10万人中3.4人。

全世界でみると2017年時点で
30万人以上の妊婦が亡くなっている。

現代でも出産は命がけなのだ。
だからこそ母には出来る限りの親孝行がしたい。

それは母に媚びるということではなく、
親孝行はあくまで母との
お互いの心地良い距離の取り方でありたいと思う。

 

母にはだいぶご無沙汰をしてしまったが、

次の墓参りは8月の下旬頃になりそうである。

 

母が亡くなっていつの間にか、

もう20年以上になる。

 

ボ・ボ・ボクらは「のだのだ探検隊」

まだまだ行くぞ♪