駅で見つけた広告


駅広告

多重債務などに悩む人に
「相談無料」を謳う広告。

絵のところには、安心して相談できるように一言。

「一人で悩まないで。
法律あなたの見方です。」

…見方?!

また、確かに民事において、
法律が一方当事者を守るというわけではなくから、
債務者の味方に絶対なるということはないし、
法律は人によって様々な解釈をしようと思えばできるから、
法律をどのように考えるかは
その人の「見方」でしかないのかもしれない。

でもさ、”一人で悩まないで”なーんて、
親身になったセリフを言いながら、
次に、味方になるものは特にいるわけではなく、
あなた一人の勝手な見方でしかないと言うなんて、
ちょーっとひどいんじゃないでしょうか?
もしかしたら、この事務所さんもそういうところ?!
などと邪推が出来ちゃいます。

たぶん、誤字なんじゃないかなと思うけども、
深く考えようと思うといろいろと出てきます。

でも、こういう深さって今の世の中に求められていないのでしょうね。
とかくこの世は生きにくい。
テレビをつけたら映画をやっていた。
「殺戮のディープブルー」(金田少年の事件簿)と「キサラギ」。
どちらも推理モノ。

前者は、南のリゾートホテルを舞台に殺人事件が起こり、
真犯人を、犯人しか取れないであろう、ふとした言動から推理するもの。

後者は、自殺したD級アイドルの一周忌に集まったファン5人が、
断片的な情報から自殺の真相に迫ろうとする中、集まった人たちの意外な正体や
予想外の結末にたどり着くのを楽しむもの。

これらの映画は、与えられる情報によって、また、その情報の解釈によって、
見える世界が全然異なるということを教えてくれる。

これを見ていると、認知心理学者ナイサーの実験を思い出した。
その実験を紹介しているのは、このビデオ だ。
バスケットボールで何回ボールを回しているかを
しっかりと注意して数えて欲しい。
私はうまく見れなかった。
しっかりと注意して、見て欲しい。
そして、このビデオの最後に出てくる
「答え」もちゃんと見て欲しい。
それを見ることで、ああそういうことだったのか、
と見える世界が変わるはずだから。

こうやって、見える世界が変わるというのが、
認知心理の面白さの一つ。
推理というのにも、同じ側面があるのではないかと思う。
暇だったので、
久々にゲームをやってみた。
実況パワフルプロ野球。

サクセスモードで野球選手を育ててみた。
仲間やスカウトの評価で、
試合に出れるか、プロに入れるかが決まる。
たとえどんなに能力が低かろうとも。
リアルだ…。

彼女を作ることもできる。
何回かみんなで遊びに行って、
次第に二人で遊び行くようになって、
告白して(されて)、付き合うようになる。
ときたま会っていれば、ふられることはない。
お手軽だ…。

この二つに共通しているものは、
どちらも、「人間に対する評価」が行われている点だ。

一緒に仕事をする上での評価、
付き合う相手としての評価。

人間に対する評価はどうやるか?
現実とは異なり、ゲーム上でするならば、一つ一つの要素に分けて、
ポイントを付けて、その累計で評価が行われる。

練習をどれくらいやったか、試合のときに何安打したか、
どれくらい仕事をやっていたか、
何回会ったか、どれくらいの頻度で会ったか、
どれだけ楽しい場所に連れて行ったか…。

このようなシミュレーションゲームは、
いかに現実をデジタルなもので再構成するかがポイントとなる。
(あえて現実に近づけないで、ゲームとしての楽しさを追求する場合もあるが、
それでもリアリティの重要性は失わない)

その中で、仕事に対する評価は妙にリアルで、
付き合う相手としての評価が現実とは乖離した形となっているのは、
それぞれの特質を表しているのではないだろうか。

仕事の上での評価は、いかにそれを他人に見せるか、
ある程度客観的にやりやすいが、
付き合う相手のとしての評価は、
もっとあいまいなもので、ハッキリさせるのは良くない。
「私のこと好き?」「他の人とはどう違うの?」
こうやって境界線を定めていくと、うまくいかない。
誤解を恐れずに言えば、評価というものをせずに、
あいまいなままにしておくほうがうまくいく。

…とかいろいろ書いているけども、
ここで恋愛のことをちゃんとやっていたら、
また別なゲームになってしまうような。。
そういえば、いわゆる恋愛シミュレーションゲームは、
どうやってデジタル化して、
現実の恋愛に近づけているのだろうか…
たまには毒を吐きます。

たまたまこんな詩を読みました。
茨木のりこさんが書いた詩。

      「友人」
   友人に
   多くを期待しなかったら
   裏切られた!と叫ぶこともない
   なくて もともと
   一人か二人いたらば秀
   十人もいたらたっぷりすぎるくらいである
   たまに会って うっふっふと笑いあえたら
   それで法外の喜び
   遠く住み 会ったこともないのに
   ちかちか瞬きあう心の通い路なども在ったりする
   ひんぴんと会って
   くだらなさを曝け出せるのも悪くない
   縛られるのは厭だが
   縛るのは尚 厭だ
   去らば 去れ
   ランボウとヴェルレーヌの友情など
   忌避すべき悪例だ
   ゴッホとゴーギャンのもうとましい
   明朝 意あらば 琴を抱きてきたれ
   でゆきたいが
   老若男女おしなべて女学生なみの友情で
   へんな幻影にとりつかれている  

   昔の友も遠く去れば知らぬ昔と異ならず
   四月すかんぽの花 人ちりぢりの眺め
   とは
   誰のうたであったか


こういう考え方も分からなくはないけども、
もっと夢や希望を持っていたいです。
裏切られた!と思うことが何度かあったとしても。
諸事情で遠く離れざるを得ない親友ということはあるとしても、
常に近くにいる親友、いつも一緒にいる関係というのは否定したくないです。
この詩を好きだと言って公言する人とは、結局のところ、
価値観の違いがあって、うまくやっていけないのかもしれません。

ちなみに、同じ人が書いた詩で、自分が気に入ったものを。
厳しい指摘で、忘れてしまうことも多いと思いますが、
自戒の意味もこめて、心に刻んでおきたいです。




      「自分の感受性くらい」

   ぱさぱさに乾いてゆく心を    

   ひとのせいにはするな

   みずから水やりを怠っておいて

   気難しくなってきたのを

   友人のせいにするな

   しなやかさを失ったのはどちらなのか


   苛立つのを

   近親のせいにはするな

   なにもかも下手だったのはわたくし


   初心消えかかるのを

   暮らしのせいにはするな

   そもそもが ひよわな志にすぎなかった


   駄目なことの一切を

   時代のせいにはするな

   わずかに光る尊厳の放棄


   自分の感受性くらい

   自分で守れ

   ばかものよ



手紙を書く必要に迫られたとき。
そんなとき、手紙の書き方が書いてある本を一冊持っていると、
とても助かります。
時候の挨拶や、基本的な形式、大体の内容について参考になるからです。
私が手元に持っているのは、この一冊。
『お詫び・断り・抗議・依頼の手紙の書き方』

******
この本のコンセプトは、
「どのような人にでも『お詫び』や『断り』の手紙や文章を
 書かなくてはならない機会はあるはず」で、
「いろいろなことを考え悩むよりも、速やかに素直な気持ちになって
誠意のある姿勢を相手に伝えるべき」ということだそうです。

(うむうむ、確かに長い人生生きていればそういうこともあるだろうな。
気は進まないことだけど、必要なときにはちゃんとやらないとな。)

「本書では、初歩の基本的な『文例』を紹介しています。」

(おー、親切だな。どんなのがあるのかな…。)

「恋人に別れを告げる」

「長いこと迷い、考え、そして思い切ってペンをとりました。
今日でお別れしたいと思います。
あなたとお付き合いして、もう何年になるでしょうか。
あなたを好きな気持ちは今も変わらないし、
あなたも私をずっと愛してくれたと思います。
でも、あなたは結婚してとは言ってくれません。
私はもう待ちくたびれてしまったのです。
このまま関係を続けていくことがつらくなったのです。
私のわがままをどうかお許し下さい。
長い間、楽しい時間をありがとう。
あなたの幸せを祈っております。さようなら。」

(………。)

「気をつけたい基本:
別れを告げる手紙は、その原因は何であれ、一度は愛した人ですから
書きづらいものです。かといって、あやふやな文章では
後でトラブルを引き起こす原因になります。
冷静に別れの意思をはっきりと示し、
相手の自尊心を傷つけないように書きます。」

「参考:
一時の感情にかられて相手をなじったり、
きたない言葉を使ってはいけません。
また、相手の今後の幸せを祈る気持ちも忘れずに。」


(………………ふむ、そういうもんなのか。
って、こういう本を読んで書かれてたりしたら嫌すぎる。。)

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皆さん、手紙を書くときは、マナーを守って、自分の書きたいように書きましょう。