「明日、世界が滅びるとしても
 今日、あなたはリンゴの木を植える」
人間は、99%の代替可能性と1%の個性

とあるブログに書いてあった。
そのブログに書くとKYなので、
ここにコメントを書いてみる。

ちょっと”変な見方”をしてみると、

・今日という日は滅びていないよね。
・二つの可能性があって、どちらも起こりうるときは、
生起確率にどれほど違いがあっても、
「起こる」か「起こらない」かのどちらかだよね。

さて、これで言わんとすることは伝わるかな?
(といっても、くだらない「希望」を示しているだけなのですが)

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「私の履歴書」の連載で、グリーンスパン氏が
多大に影響を受けた人物として、アイン・ランド氏を挙げていた。

さて、自分はどうだろう?
影響を受けている人、見習おうという人はたくさんいる。
でも、自分の価値観・思想にまで影響を及ぼすほどの存在は、
本当の意味でのコペルニクス的転回を起こすような存在は、
今の自分にいるだろうか?
そのような存在が身近にいることがどういう意味を持つのだろうか?
それは必ずしも良いことなのだろうか?
”変な見方”をするようになるだけという危険性はないのだろうか?
国連(総会)において、加盟国は対等だ。
どの国も同じ1票を持つ。
だから、どんなに小さい国でも、
世界の191分の1の力を持つ。
票集めのために、各国は動き回る。
様々な権謀術数を用い、
必要な票を集める。

とあるHPにこんなエピソードが紹介されていた。

総会で投票権を失った国の投票権回復に向けて、
日本が奔走する話


話自体もとても面白いが、
こんな一節が印象に残った。

行ってみると、薄暗い部屋の中で、次席常駐代表が一人で執務している。
電気代が払えないので、晴天の日は照明を点けず、自然光だけで仕事をしている

こんな環境であっても、
世界の191分の1の力を持つ存在として、
最善を尽くしている。

中山信弘教授が最終講義

もうこんな季節なんですね。
ちょっと感傷的な気分です。

そういえば、去年は某先生(商法)の
退官パーティーのお手伝いをしていたなぁ。
懐かしい。

やっぱり感傷的な気分です。
インターネットでの調査にどれほどの意味があるのだろうか?
代表性(サンプルの偏りがある)の問題が大きいから、
出てきたデータは
ほとんど意味が無いものになるのではないだろうか…

厳密にやると、コストがかかるし、ネットで個人の属性を細かく聞いても、
本当のことをいうか分からない、つまり匿名性が問題になる。
一人何票か投票している可能性もあるし…

そもそも、かなり厳密にデータを取らないと、
アンケート結果のデータを信用するわけにはいかないわけで。

そんな適当なデータをもとにしたものは信用しないようにしよう。
…とか言ってると、どのデータも信用できなくなるかなぁ。
もっと、割りきりが必要なのか…?