9連休の7日目の朝。
昨日呑んだお酒の量も影響して
起きた瞬間から
エゴのおしゃべりが盛んになっていました。
休みはもうあと3日しかないぞ。
もう楽しみは終わりだぞ。
月曜日からは大変な日々が始まるぞ。
きっとひどいことになるぞ。
この思考が重ければ重いほど、
「憂鬱」という感情が生まれ
ほんとに「憂鬱」な月曜日を創造することになります。
わたしはこのおしゃべりを観察しながら
これこそ人類が何千年も繰り返してきた
エゴ的反応のパターンであり、
本当の自分を忘れるという錯覚に至る
トリックだと、しみじみ感じました。
この思考の“分厚さ”。
驚異的だな、と。
同時にこの思考を、
100%自分で責任をもって、
あるがままに観察すること。
そのチャンスでもあります。
気づいて、観察する。
その思考に判断を加えない。
ただ、あるがままに観ているだけ。
それを朝から実践しています(笑)。
・・・
観察すればするほど
そこにあった重みは消え、
ただの幻であることがわかります。
サダグル「今この瞬間に恐れはない」
動画はこちらへ
↑この動画を観ると、
ただの幻に恐れを抱くことが、
いかに「ばかばかしいこと」か。
気がつくことが出来ました。
感謝。
2014年が終わり、
2015年が始まりました。
みなさん、いつもありがとう。
・・・
毎瞬、いまにあること。
内側に100%意識を向け、
いまこの瞬間をあるがままに受け入れること。
抵抗しない。
判断しない。
執着しない。
エゴの反応である思考=あたまのなかのノイズに、
気づき、観察して、手放す。
それがわたしの人生の第一の目的。
その気づきのもと、
しばしばエゴ的思考と同一化し、
本当の自分を忘れることがある。
そのとき、我を忘れた「僕」は、
不調和なエネルギーを放つ。
やがてそのことに気づき、
改めて空間的意識に立ち返る。
その繰り返しの日々だ。
・・・
振り返ったところで、
それはもはや過ぎ去った過去の記憶であり、
いまとは関係がない。
いまは、いま。
いまここは、いまここ。
その意識をなおも覚悟して、
実践していきます。
・・・
たまにはチャレンジ=試練がやってくることでしょう。
しかし、苦しむことはしません。
その状況とひとつになり、
あるがままに受け入れて空間となります。
その努力は欠かさない。
それが生きることの第一の目的だから。
その実践において、
深くて静かな静寂と出会い、
穏やかで安らぎ、
愛の中にいることができるから。
それが自然だから。
それがいのちだから。
2015年が始まりました。
みなさん、いつもありがとう。
・・・
毎瞬、いまにあること。
内側に100%意識を向け、
いまこの瞬間をあるがままに受け入れること。
抵抗しない。
判断しない。
執着しない。
エゴの反応である思考=あたまのなかのノイズに、
気づき、観察して、手放す。
それがわたしの人生の第一の目的。
その気づきのもと、
しばしばエゴ的思考と同一化し、
本当の自分を忘れることがある。
そのとき、我を忘れた「僕」は、
不調和なエネルギーを放つ。
やがてそのことに気づき、
改めて空間的意識に立ち返る。
その繰り返しの日々だ。
・・・
振り返ったところで、
それはもはや過ぎ去った過去の記憶であり、
いまとは関係がない。
いまは、いま。
いまここは、いまここ。
その意識をなおも覚悟して、
実践していきます。
・・・
たまにはチャレンジ=試練がやってくることでしょう。
しかし、苦しむことはしません。
その状況とひとつになり、
あるがままに受け入れて空間となります。
その努力は欠かさない。
それが生きることの第一の目的だから。
その実践において、
深くて静かな静寂と出会い、
穏やかで安らぎ、
愛の中にいることができるから。
それが自然だから。
それがいのちだから。
エゴがつくりあげる思考の中で僕が戦う相手。
その相手は、僕がこの世でもっとも不快感を感じる相手だ。
以前より小さなスクリーンで、
そのドラマは展開している。
そして、その思考のドラマを、
放っておけるように成長したと思う。
しかし頻繁にそのノイズのような思考が、
僕のアマタに存在していることは、事実だ。
・・・
その思考を観察していて気づくこと。
それは、「比較という嗜癖」だ。
くらべて、どうなのか。
くらべて、上なのか下なのか。
優れているのか、劣っているのか。
その比較をしたくてたまらないエゴがいるのだ。
エゴは比較した相手より上でありたい。
上でなければ、生きていけない、と思い込んでいる。
でっちあげのうそっぱちの真実を信じている(笑)。
その「しつこさ」には!
まったく驚かされ、うんざりする。。
・・・
このうんざり感がもっとつよくなるまで、
きちんと味わいきろうと思います。
エゴから逃げず、エゴを味わいきるぞ。
その相手は、僕がこの世でもっとも不快感を感じる相手だ。
以前より小さなスクリーンで、
そのドラマは展開している。
そして、その思考のドラマを、
放っておけるように成長したと思う。
しかし頻繁にそのノイズのような思考が、
僕のアマタに存在していることは、事実だ。
・・・
その思考を観察していて気づくこと。
それは、「比較という嗜癖」だ。
くらべて、どうなのか。
くらべて、上なのか下なのか。
優れているのか、劣っているのか。
その比較をしたくてたまらないエゴがいるのだ。
エゴは比較した相手より上でありたい。
上でなければ、生きていけない、と思い込んでいる。
でっちあげのうそっぱちの真実を信じている(笑)。
その「しつこさ」には!
まったく驚かされ、うんざりする。。
・・・
このうんざり感がもっとつよくなるまで、
きちんと味わいきろうと思います。
エゴから逃げず、エゴを味わいきるぞ。