自分を許し本当の自分へ帰るためのメンタルサポーター「ひろいさとる」が本当の自分に帰るプロセス -9ページ目

自分を許し本当の自分へ帰るためのメンタルサポーター「ひろいさとる」が本当の自分に帰るプロセス

メンタルサポーター、ひろいさとるが、自らが本当の自分へ帰っていくプロセスを赤裸々に語っています。
また、クライエントやサポーターの皆さんとのQ&Aをここで共有することもあります。

9連休の7日目の朝。

昨日呑んだお酒の量も影響して
起きた瞬間から
エゴのおしゃべりが盛んになっていました。


休みはもうあと3日しかないぞ。
もう楽しみは終わりだぞ。
月曜日からは大変な日々が始まるぞ。
きっとひどいことになるぞ。



この思考が重ければ重いほど、
「憂鬱」という感情が生まれ
ほんとに「憂鬱」な月曜日を創造することになります。


わたしはこのおしゃべりを観察しながら
これこそ人類が何千年も繰り返してきた
エゴ的反応のパターンであり、
本当の自分を忘れるという錯覚に至る
トリックだと、しみじみ感じました。

この思考の“分厚さ”。

驚異的だな、と。


同時にこの思考を、
100%自分で責任をもって、
あるがままに観察すること。


そのチャンスでもあります。


気づいて、観察する。


その思考に判断を加えない。


ただ、あるがままに観ているだけ。


それを朝から実践しています(笑)。


・・・

観察すればするほど
そこにあった重みは消え、
ただの幻であることがわかります。

サダグル「今この瞬間に恐れはない」

動画はこちらへ



↑この動画を観ると、
ただの幻に恐れを抱くことが、
いかに「ばかばかしいこと」か。

気がつくことが出来ました。

感謝。
2014年が終わり、
2015年が始まりました。

みなさん、いつもありがとう。

・・・

毎瞬、いまにあること。

内側に100%意識を向け、
いまこの瞬間をあるがままに受け入れること。

抵抗しない。
判断しない。
執着しない。

エゴの反応である思考=あたまのなかのノイズに、
気づき、観察して、手放す。

それがわたしの人生の第一の目的。

その気づきのもと、
しばしばエゴ的思考と同一化し、
本当の自分を忘れることがある。

そのとき、我を忘れた「僕」は、
不調和なエネルギーを放つ。

やがてそのことに気づき、
改めて空間的意識に立ち返る。

その繰り返しの日々だ。

・・・

振り返ったところで、
それはもはや過ぎ去った過去の記憶であり、
いまとは関係がない。

いまは、いま。

いまここは、いまここ。


その意識をなおも覚悟して、
実践していきます。

・・・

たまにはチャレンジ=試練がやってくることでしょう。

しかし、苦しむことはしません。

その状況とひとつになり、
あるがままに受け入れて空間となります。

その努力は欠かさない。

それが生きることの第一の目的だから。

その実践において、
深くて静かな静寂と出会い、
穏やかで安らぎ、
愛の中にいることができるから。

それが自然だから。

それがいのちだから。
エゴがつくりあげる思考の中で僕が戦う相手。


その相手は、僕がこの世でもっとも不快感を感じる相手だ。


以前より小さなスクリーンで、
そのドラマは展開している。


そして、その思考のドラマを、
放っておけるように成長したと思う。


しかし頻繁にそのノイズのような思考が、
僕のアマタに存在していることは、事実だ。


・・・


その思考を観察していて気づくこと。



それは、「比較という嗜癖」だ。



くらべて、どうなのか。
くらべて、上なのか下なのか。



優れているのか、劣っているのか。



その比較をしたくてたまらないエゴがいるのだ。



エゴは比較した相手より上でありたい。



上でなければ、生きていけない、と思い込んでいる。



でっちあげのうそっぱちの真実を信じている(笑)。


その「しつこさ」には!


まったく驚かされ、うんざりする。。


・・・

このうんざり感がもっとつよくなるまで、
きちんと味わいきろうと思います。


エゴから逃げず、エゴを味わいきるぞ。