今日は休日。
一番苦しかったときの日記を読みかえす。
そこに書いてあったのは、
そこから抜け出すために、
何がおきているかを、
ゆっくりと丁寧に紐解いた文章でした。
自分が自分に語りかけるように。
あなたはできる限り最大限、
いま・ここの力を使い、情熱の波で動いてきました。
それで充分です。充分です。充分です。
これからも、他人のどんな批判も受け取る必要はありません。
ただ、他人のエゴ=思考とそれに対する自分の反応を
観察していてください。
いま・ここに在ることだけで、充分です。
あなたの内側からネガティブな波動が上がってきたら、
それは光にさらすチャンスなのです。
ですから、ただただ観察して、いま・ここに在りましょう。
そうすれば、あとは必要なことが起こります。
行動の結果には期待せず、執着せず、手放してください。
こんなふうに、
自分が苦しいとき、
わたしは自分に対して語りかけるように、
本当の自分からの言葉をつづります。
2012年は66回。
今年は現時点で54回。
ちょいと疲れたときに読み返すと、
リフレッシュできる「よみもの」です(笑)。
書くのが好きな人はぜひお勧めします。
↓これを読めばもう大丈夫。
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「こころのチカラの使い方」はこちらへどうぞ。
みなさん、こんばんは。
今夜は寒いですねえ。
小さな電気ストーブをつけて、
これを書いています。
・・・
24時間、ずっと苦しいとき。
24時間、ずっと重いとき。
なんでこんなに重苦しいのだと、
腑に落ちないとき。
あると思います。
わたしもそのような重さを数ヶ月、
いや、数年間感じ続けたことがあります。
それはそれは真っ暗闇でした。
それでも、それは終わります。
それでも、それは過ぎ去っていきます。
過ぎ去っていくどころか。
それに気づき、観察していれば、
それらの重い重いエネルギーは、
根っこから溶けていくのです。
解放されます。
言い換えると、
もう、あらいざらいあらわになって、主人であるあなたに、観てもらう準備ができたエネルギー
だと言えます。
それがあまりに大きいと、
自分はこんなにもネガティブを抱えていたのだ
とか
私はまだまだ本当の自分でいられていないんだ
といったレッテル貼りが始まります。
自動的に。
エゴがそれをやるのです。
もっと重たくなるように。
もっと停滞するように。
しかしながら、
真実はそうではありません。
そのエゴ的反応に気づきさえすれば、
大きな重たいそのエネルギーは、
あなたに受け入れ可能なもの
なのです。
可能だから、出てきてくれています。
だから、あなたはそれだけ器の大きい存在だ、
ということが証明されているのです。
ほんとに、ほんとに。
・・・
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今夜は寒いですねえ。
小さな電気ストーブをつけて、
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・・・
24時間、ずっと苦しいとき。
24時間、ずっと重いとき。
なんでこんなに重苦しいのだと、
腑に落ちないとき。
あると思います。
わたしもそのような重さを数ヶ月、
いや、数年間感じ続けたことがあります。
それはそれは真っ暗闇でした。
それでも、それは終わります。
それでも、それは過ぎ去っていきます。
過ぎ去っていくどころか。
それに気づき、観察していれば、
それらの重い重いエネルギーは、
根っこから溶けていくのです。
解放されます。
言い換えると、
もう、あらいざらいあらわになって、主人であるあなたに、観てもらう準備ができたエネルギー
だと言えます。
それがあまりに大きいと、
自分はこんなにもネガティブを抱えていたのだ
とか
私はまだまだ本当の自分でいられていないんだ
といったレッテル貼りが始まります。
自動的に。
エゴがそれをやるのです。
もっと重たくなるように。
もっと停滞するように。
しかしながら、
真実はそうではありません。
そのエゴ的反応に気づきさえすれば、
大きな重たいそのエネルギーは、
あなたに受け入れ可能なもの
なのです。
可能だから、出てきてくれています。
だから、あなたはそれだけ器の大きい存在だ、
ということが証明されているのです。
ほんとに、ほんとに。
・・・
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みなさん、こんばんは。
今日も意識的に内側を観つづけていらっしゃいますか?
・・・
昨日は父の命日でした。
34回目、です。
ああ、もう34年かあ、とつぶやきながら、
妻と手巻き寿司をいただきました。
命日だから、お寿司、というわけではなく(笑)、
二人とも大好物でして。。
父との思い出の1つ。
昨日はそれを思い出していました。
父は競馬場へ馬券を買いにいくとき、
自転車の後ろに兄を、
前の補助椅子にわたしを乗せていくことが
しばしばありました。
まだ幼稚園児だったわたしは、
その自転車の揺れが心地よくて、
補助椅子に座ったまま
うつら、うつら、
こっくり、こっくりと、
眠りに入りそうになるわけです。
眠りに入る直前ですから、
意識がもうろうとしていて、
潜在意識が優位にたっていたと思うのですが、
そういうとき、
父が念仏のように、
わたしに声をかけ続けていました。
「おーい、ねるなよー。」
「おーい、ねるなよー。」
この声でわたしははっと気づかされ、
我に帰るという繰り返し。
父が漕ぐ自転車が自宅に着くまで、
それは何度も続きました。
・・・
いまや多くの方のメンタルサポートをさせていただきながら、
自分自身も、毎瞬、毎瞬、
「意識的に生きること」にチャレンジしているのですが、
父がわたしの記憶に残してくれた、
「おーい、ねるなよー。」
「おーい、ねるなよー。」
が、
「目を覚ましていなさいよー。」
という意味に思えてなりません。
・・・
たまには、
エゴ的反応に嫌気が指す瞬間もあります。
しかし、それもまた過ぎ去った過去のこと。
いまここ、いまここ。
自分の意識状態に責任を持ち続けることに
チャレンジし続けますよ。
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・・・
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34回目、です。
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命日だから、お寿司、というわけではなく(笑)、
二人とも大好物でして。。
父との思い出の1つ。
昨日はそれを思い出していました。
父は競馬場へ馬券を買いにいくとき、
自転車の後ろに兄を、
前の補助椅子にわたしを乗せていくことが
しばしばありました。
まだ幼稚園児だったわたしは、
その自転車の揺れが心地よくて、
補助椅子に座ったまま
うつら、うつら、
こっくり、こっくりと、
眠りに入りそうになるわけです。
眠りに入る直前ですから、
意識がもうろうとしていて、
潜在意識が優位にたっていたと思うのですが、
そういうとき、
父が念仏のように、
わたしに声をかけ続けていました。
「おーい、ねるなよー。」
「おーい、ねるなよー。」
この声でわたしははっと気づかされ、
我に帰るという繰り返し。
父が漕ぐ自転車が自宅に着くまで、
それは何度も続きました。
・・・
いまや多くの方のメンタルサポートをさせていただきながら、
自分自身も、毎瞬、毎瞬、
「意識的に生きること」にチャレンジしているのですが、
父がわたしの記憶に残してくれた、
「おーい、ねるなよー。」
「おーい、ねるなよー。」
が、
「目を覚ましていなさいよー。」
という意味に思えてなりません。
・・・
たまには、
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いまここ、いまここ。
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