自分を許し本当の自分へ帰るためのメンタルサポーター「ひろいさとる」が本当の自分に帰るプロセス -28ページ目

自分を許し本当の自分へ帰るためのメンタルサポーター「ひろいさとる」が本当の自分に帰るプロセス

メンタルサポーター、ひろいさとるが、自らが本当の自分へ帰っていくプロセスを赤裸々に語っています。
また、クライエントやサポーターの皆さんとのQ&Aをここで共有することもあります。

「許す」ということについて、

数日書き続けています。


・・・

自分の意識状態に意識的に責任をとり、
エゴを解体して、
本当の自分へ帰るということが、
私は好きで、面白くて、楽しくて、やっています。


その方向から、
全く正反対の方向を向いている人に出会うことが多くあります。


ある人は、人のせいにします。
ある人は、組織にせいにします。
ある人は、環境のせいにします。


いま、自分が不幸なのは、
外側のせい、だと信じています。

かたく、かたく、信じています。


そんな外側を変えるために、
自分こそ正しい考えをもち、
自分こそ正しい法律を知り、
自分こそ正しく他者を裁けると信じています。

かたく、かたく、そう信じています。


まあ、ほんとに、驚愕の固さです。


そんな人数名が、
わたしの人生の片隅に現れています。


・・・


そんなとき、エゴが反応します。


俺はあんなにレベルの低い人間じゃない。
あいつをいっそ、ぎゃふんと言わせてやろう。



そんな思考がアタマに鳴り始めます。
おなじみ、エゴのおしゃべり、ですね。


わたしは、ただ、そのおしゃべりを聞いていることにしました。


ただ、そのまま聞いているだけ。


映画を観ているような感じです。


しょせん、それはわたしのものではありません。

しょせん、わたしの内側にあるエゴ的な反応でしかありません。


それはどこかからきて、
どこかへ去っていくだけ。


ただ、それだけの儚い夢です。


・・・

10年も前なら、そうは気づきませんでした。

本当の自分から遠く離れ、
エゴとぴったりくっついていたから(笑)。


だから、わたしは人と口論したし、
人をなじったり、なぐったり、
徹底的に戦いました。


なぜって?


怖かったから。


なにが?


失うのが。


持っていると思い込んでいた幻想。
人からどう見られているか、という評価。

そういった幻を信じ、
そしてその幻を守るために、
傷つけ、傷つきました。


で、もう飽きたのです。


その戦いに。


戦いは面白かった(笑)。

快楽だった(笑)。


勝っても負けても、
そこで味わうエゴ的感情は、
快感だったわけです。


・・・

いま、ひとのせいにする人と関わり、
場合によっては、
わたしに批判や攻撃が向けられるようなとき。

わたしは、チャンスだと感じています。


それは「許す」チャンス。


エゴに支配されていることにすら、
気づいていない相手を。

そして、
その相手に責められ、
傷つけられた内なるエゴ的反応がある自分を。


許す、ゆるす、徹底的に。


あるがままに、事実を受け入れる。


それが出来たとき、
世界の望ましい変化がそこに始まる。


そう、理解し、実践するチャンスだと。


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いまに、在りたい。


心理的時間である、

過去、未来への思考ではなく、

いまに。


だから、このルーツセラピーを実践し、
御縁ある方へお伝えしています。


1日の仕事が終わり、
食事をいただき、
風呂に入っているとき。


さっそくいまを忘れます(笑)。


今日の日中という過去にあったことを、
自動的に思考し、
エゴはその中に問題をみつけ、
その問題を解決しようと苦慮する私という
アイデンティティーを一瞬にして作り上げます。

その問題の解決策を探す、という、
これまた未来への思考というエゴの反応。


その中にどっぷりとつかりそうになった頃、
わたしは、「気づき」ます。


あ、いまにいないな、と。


その「気づくチカラ」が大きくなっていく。


そんな日々を過ごしていると、
精神的なストレスがとても軽いです。


身体が疲れ気味でも、
こころは、沈みません。


それが「意識状態に責任を持つ」と、
コミットした在り方の効果なのだと思います。


みなさん、明日も意識的ないまを楽しみましょう!


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昨日に続き、その3です。

・・・


午前中。

ある人から転送された、
1通のメールの文面にエゴが反応しました。


僕は間違った言動をしたのではないか。

そのために、周りの人に無駄な負担をかけたに違いない。

それによって恨まれるに違いない。

そして、僕は価値のない人間だと決めつけられ、
その通り、弱々しく生きていくことになるのだ。



小さな反応ではありましたが、
身体的に若干の胸の痛みを感じ、
そこに意識を向けながら、
たんたんと行動していました。


月曜日の意識は、
あまり立ち上がりがよくなく、
あっという間に手放すというわけにいかず、
しばらくその胸の痛みに寄り添っていました。

この、不快さ。

これを誰が作り出しているのか。

その責任は紛れもなく、100%わたしにあり、
その責任を取ることで、わたしは平和に帰ることができる。

それは、わたしの周囲へと波動として伝わり、
必ずや、その平和は、現実として形づくられます。

その逆も然りです。

その基本的原則を改めて確認するかのように、
20分ほどかけて、
その胸の痛みを観察しました。

まっすぐに味わいました。
(この技術の詳細はここでは割愛します)


・・・


そんなとき、昨日書いた記事を思い出し、
あの言葉を唱えてみようと思いつきました。


「許す。」



もう一度。


「許す。」



もう一度。


「許す。」



・・・

一度唱えるたびに、
痛みは溶け、やわらかくなり、
そして、わたしが個人ではなく、

全体に包まれていくような感覚


に気づきました。


そこで、おしまい。

痛みはもうありません。


それどころか、
その痛みの分だけ、
代わりに静かな空間が広がった感があります。


タイトルの通り、
やはり、「許す」ということに救われました。


・・・

わたしが表現している「許す」という言葉は、

あるがままをみとめる、ということを指しています。


それがなんであれ。


感じている感情がなんであれ。


その原因がなんであれ。


あるがままにみとめる。


許す。


その微細な内側の取り組み以外に、


するべきことなど、ないのかもしれません。。


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