「許す」ということについて、
数日書き続けています。
・・・
自分の意識状態に意識的に責任をとり、
エゴを解体して、
本当の自分へ帰るということが、
私は好きで、面白くて、楽しくて、やっています。
その方向から、
全く正反対の方向を向いている人に出会うことが多くあります。
ある人は、人のせいにします。
ある人は、組織にせいにします。
ある人は、環境のせいにします。
いま、自分が不幸なのは、
外側のせい、だと信じています。
かたく、かたく、信じています。
そんな外側を変えるために、
自分こそ正しい考えをもち、
自分こそ正しい法律を知り、
自分こそ正しく他者を裁けると信じています。
かたく、かたく、そう信じています。
まあ、ほんとに、驚愕の固さです。
そんな人数名が、
わたしの人生の片隅に現れています。
・・・
そんなとき、エゴが反応します。
俺はあんなにレベルの低い人間じゃない。
あいつをいっそ、ぎゃふんと言わせてやろう。
そんな思考がアタマに鳴り始めます。
おなじみ、エゴのおしゃべり、ですね。
わたしは、ただ、そのおしゃべりを聞いていることにしました。
ただ、そのまま聞いているだけ。
映画を観ているような感じです。
しょせん、それはわたしのものではありません。
しょせん、わたしの内側にあるエゴ的な反応でしかありません。
それはどこかからきて、
どこかへ去っていくだけ。
ただ、それだけの儚い夢です。
・・・
10年も前なら、そうは気づきませんでした。
本当の自分から遠く離れ、
エゴとぴったりくっついていたから(笑)。
だから、わたしは人と口論したし、
人をなじったり、なぐったり、
徹底的に戦いました。
なぜって?
怖かったから。
なにが?
失うのが。
持っていると思い込んでいた幻想。
人からどう見られているか、という評価。
そういった幻を信じ、
そしてその幻を守るために、
傷つけ、傷つきました。
で、もう飽きたのです。
その戦いに。
戦いは面白かった(笑)。
快楽だった(笑)。
勝っても負けても、
そこで味わうエゴ的感情は、
快感だったわけです。
・・・
いま、ひとのせいにする人と関わり、
場合によっては、
わたしに批判や攻撃が向けられるようなとき。
わたしは、チャンスだと感じています。
それは「許す」チャンス。
エゴに支配されていることにすら、
気づいていない相手を。
そして、
その相手に責められ、
傷つけられた内なるエゴ的反応がある自分を。
許す、ゆるす、徹底的に。
あるがままに、事実を受け入れる。
それが出来たとき、
世界の望ましい変化がそこに始まる。
そう、理解し、実践するチャンスだと。
↓これを読めばもう大丈夫。
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「こころのチカラの使い方」はこちらへどうぞ。
いまに、在りたい。
心理的時間である、
過去、未来への思考ではなく、
いまに。
だから、このルーツセラピーを実践し、
御縁ある方へお伝えしています。
1日の仕事が終わり、
食事をいただき、
風呂に入っているとき。
さっそくいまを忘れます(笑)。
今日の日中という過去にあったことを、
自動的に思考し、
エゴはその中に問題をみつけ、
その問題を解決しようと苦慮する私という
アイデンティティーを一瞬にして作り上げます。
その問題の解決策を探す、という、
これまた未来への思考というエゴの反応。
その中にどっぷりとつかりそうになった頃、
わたしは、「気づき」ます。
あ、いまにいないな、と。
その「気づくチカラ」が大きくなっていく。
そんな日々を過ごしていると、
精神的なストレスがとても軽いです。
身体が疲れ気味でも、
こころは、沈みません。
それが「意識状態に責任を持つ」と、
コミットした在り方の効果なのだと思います。
みなさん、明日も意識的ないまを楽しみましょう!
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食事をいただき、
風呂に入っているとき。
さっそくいまを忘れます(笑)。
今日の日中という過去にあったことを、
自動的に思考し、
エゴはその中に問題をみつけ、
その問題を解決しようと苦慮する私という
アイデンティティーを一瞬にして作り上げます。
その問題の解決策を探す、という、
これまた未来への思考というエゴの反応。
その中にどっぷりとつかりそうになった頃、
わたしは、「気づき」ます。
あ、いまにいないな、と。
その「気づくチカラ」が大きくなっていく。
そんな日々を過ごしていると、
精神的なストレスがとても軽いです。
身体が疲れ気味でも、
こころは、沈みません。
それが「意識状態に責任を持つ」と、
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昨日に続き、その3です。
・・・
午前中。
ある人から転送された、
1通のメールの文面にエゴが反応しました。
僕は間違った言動をしたのではないか。
そのために、周りの人に無駄な負担をかけたに違いない。
それによって恨まれるに違いない。
そして、僕は価値のない人間だと決めつけられ、
その通り、弱々しく生きていくことになるのだ。
小さな反応ではありましたが、
身体的に若干の胸の痛みを感じ、
そこに意識を向けながら、
たんたんと行動していました。
月曜日の意識は、
あまり立ち上がりがよくなく、
あっという間に手放すというわけにいかず、
しばらくその胸の痛みに寄り添っていました。
この、不快さ。
これを誰が作り出しているのか。
その責任は紛れもなく、100%わたしにあり、
その責任を取ることで、わたしは平和に帰ることができる。
それは、わたしの周囲へと波動として伝わり、
必ずや、その平和は、現実として形づくられます。
その逆も然りです。
その基本的原則を改めて確認するかのように、
20分ほどかけて、
その胸の痛みを観察しました。
まっすぐに味わいました。
(この技術の詳細はここでは割愛します)
・・・
そんなとき、昨日書いた記事を思い出し、
あの言葉を唱えてみようと思いつきました。
「許す。」
もう一度。
「許す。」
もう一度。
「許す。」
・・・
一度唱えるたびに、
痛みは溶け、やわらかくなり、
そして、わたしが個人ではなく、
全体に包まれていくような感覚
に気づきました。
そこで、おしまい。
痛みはもうありません。
それどころか、
その痛みの分だけ、
代わりに静かな空間が広がった感があります。
タイトルの通り、
やはり、「許す」ということに救われました。
・・・
わたしが表現している「許す」という言葉は、
あるがままをみとめる、ということを指しています。
それがなんであれ。
感じている感情がなんであれ。
その原因がなんであれ。
あるがままにみとめる。
許す。
その微細な内側の取り組み以外に、
するべきことなど、ないのかもしれません。。
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・・・
午前中。
ある人から転送された、
1通のメールの文面にエゴが反応しました。
僕は間違った言動をしたのではないか。
そのために、周りの人に無駄な負担をかけたに違いない。
それによって恨まれるに違いない。
そして、僕は価値のない人間だと決めつけられ、
その通り、弱々しく生きていくことになるのだ。
小さな反応ではありましたが、
身体的に若干の胸の痛みを感じ、
そこに意識を向けながら、
たんたんと行動していました。
月曜日の意識は、
あまり立ち上がりがよくなく、
あっという間に手放すというわけにいかず、
しばらくその胸の痛みに寄り添っていました。
この、不快さ。
これを誰が作り出しているのか。
その責任は紛れもなく、100%わたしにあり、
その責任を取ることで、わたしは平和に帰ることができる。
それは、わたしの周囲へと波動として伝わり、
必ずや、その平和は、現実として形づくられます。
その逆も然りです。
その基本的原則を改めて確認するかのように、
20分ほどかけて、
その胸の痛みを観察しました。
まっすぐに味わいました。
(この技術の詳細はここでは割愛します)
・・・
そんなとき、昨日書いた記事を思い出し、
あの言葉を唱えてみようと思いつきました。
「許す。」
もう一度。
「許す。」
もう一度。
「許す。」
・・・
一度唱えるたびに、
痛みは溶け、やわらかくなり、
そして、わたしが個人ではなく、
全体に包まれていくような感覚
に気づきました。
そこで、おしまい。
痛みはもうありません。
それどころか、
その痛みの分だけ、
代わりに静かな空間が広がった感があります。
タイトルの通り、
やはり、「許す」ということに救われました。
・・・
わたしが表現している「許す」という言葉は、
あるがままをみとめる、ということを指しています。
それがなんであれ。
感じている感情がなんであれ。
その原因がなんであれ。
あるがままにみとめる。
許す。
その微細な内側の取り組み以外に、
するべきことなど、ないのかもしれません。。
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