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脅迫的なアプローチを受けたあと、
わたしはその過去の記憶と同一化し、
また、やられるのではないか、
という思考が頻繁に生じていました。
その度に、
気づき、観察して、
湧き上がる怖れに、可能な限りの、
無抵抗
を選択しました。
いま、長年へばりついていた、
エゴの殻
が破れているんだ、と理解をし続けました。
そう、思い込むのでも、
そう、信じるのでもありません。
シンプルに、
素直に、理解する、のです。
そういう在り方のおかげで、
ずーっと怖れと緊張がありながらも、
わたしの内側の真ん中に、
決して揺らぐことのない安定感がありました。
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そしていよいよ、
その方と2人だけで話しをする当日。
エゴはこれまでにないほど、
騒ぎたててきました。
その場を想像し、
ひどい結末を思考します。
その思考は次の悲惨な物語をつくり、
さらに恐怖が湧いてきます。
ギブアップだ、と思いました。
もうお手上げだ、と。
エゴに。
もういい。
ほんとに、もういい。
怖れなんて、いらない。
いらない、と念じたところで、
まったく効果はありませんでした。
あっちへいけ、エゴ。
消えてくれ、エゴ。
と願っても、ぜんぜんだめ(笑)。
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はっと気づき、
あ、抵抗していたな、とわかり、
再び抵抗を手放す。
そんな繰り返しの朝でした。
やがて。
観察にも疲れたのか、
どうでもいい
という、感じがやってきました。
しかたない、という、あきらめもやってきました。
降参です。
完全にお手上げ。
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たぶんこれが、手放すということ。
いまをほうっておくということ。
あるがままを受け入れるということ。
なのでしょう。
ここで二つの言葉が閃きました。
流れる
と
自由
です。
流れる、と唱えると、
期待が消えました。
自由、と唱えると、
なにが起きてもいいと思えました。
さらに、ここでもう2つ閃きました。
幻
と
すべてはうまくいっている
の二つです。
幻、と唱えると、
アタマに生じる思考も、
目の前の人の群れも、
これから起きる体験も、
ぜんぶ、
一瞬の幻想。一次的なカタチ。
儚い夢、だと分かります。
すべてはうまくいっている、と唱えると、
ほんとにそんな感覚になり、
アタマとこころのざわつきが小さくなりました。
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わたしは、その方と話しをする時間まで、
極力他の情報を見ないようにし、
30分前にはその場所に入り、
ただただ自分の内側に意識を向け、
自分にとって心地よいレイアウトに整え、
閃きのとおりにしました。
相手に100%の関心を寄せることを決めました。
もう怖れはありませんでした。