どんなに善く生きようとしていたって。
あるでしょう?
そうは言ってもこれは我慢ならない、ということが。
そうは言っても、これは・・
いくらなんでも、これは・・
これだけは、自分の責任じゃない、と。
これだけは、あの人のせいだ、と。
そう、言いたい時が、あるでしょう?
・・・
それもまた、醍醐味。
人生の醍醐味だと、わたしは感じるのです。
間違っていて、
未熟で、
固くて、
ずるくて、
ひどくて、
最悪だ、と言いたくなるような出来事。
それこそ、醍醐味だ、と。
そこまで行って、
わたしたちは、ようやく気づくことができるのではないでしょうか。
「自分が何者であるか」ということに。
この現実がどれほど美しく、愛に満ちた世界であるか、ということに。
これまでの苦しみすべてに、
ありがとう。
その美しさに、感謝します。
・・・
↓このページから直接ひろいさとるに質問できます。
○「無料質問コーナー」
無料相談はこちらへどうぞ。
↓これを読めばもう大丈夫。
○ひろいさとるの無料メール講座
「こころのチカラの使い方」はこちらへどうぞ。
以前にもここで共有した、
タデウス・ゴラス著『なまけ者のさとり方』。
半身浴をしながら、
その段落を読んだとき、
衝撃が走りました。
非常に混乱していて、頭が悪く、
人を愛していないように見える人でも、
その人の意識レベルが自分よりも低いとみなす権利は、
私達にはありません。
人がどのように見えるかというのは、
自分のバイブレーションの尺度に他ならないのです。
さらに、こう続く。
下品で、ちっともわかっていなくて、
バカでうそつきで気違いだと私達には見える人がいたら、
その人を愛し、その人に対する自分の感情を愛せるかどうかで、
私達が天国にゆけるかどうか、決まります。
・・・うう、、。
まいった。
まいりました。
降参です。
これこそ、わたしがしていることなのです。
1.「あいつは俺より、意識のレベルが低い。」
2.「あいつは変わるべきなのに、変われやしないだろう。」
3. 「あいつが変わらないから、この組織がダメになったんだ」
この3点の「エゴ的判断」を向けていた人が、
4人います。
その4人のことが、僕は「嫌い」です(笑)。
・・・
何を取り繕う必要などなく、
「嫌い」なんです。
できれば、二度と関わりたくない。
そういう感情があります。
・・・
その感情=反応は、
この3年くらいの間で、
4人のいずれの人に対しても、
「小さく」なっています。
また、この4人のひとと、
おもだったトラブルはありません。
これは私の意識が広がったから、でしょう。
しかし、わたしはいまだに、
この4人の人と分離していました。
「あんたと、俺は違うんだ」と。
真実はそうじゃないのです。
「あんたは、わたしそのもの」なのです。
もう少し噛み砕いていえば、
「あんたは、わたしのフィルターを通して、わたしがみている、わたしバージョンあんた」
なのです(笑)。
・・・
よき練習の機会がやってきました。
わたしはその4人の方を、
あるがままに愛する。
あるいは、
その4人の方に対する、
「どうしても愛せない」という自分を、
あるがままに愛する。
いずれかの選択において、責任をとります。
もっと軽く、もっと広がりたいから。
タデウス・ゴラス著『なまけ者のさとり方』。
半身浴をしながら、
その段落を読んだとき、
衝撃が走りました。
非常に混乱していて、頭が悪く、
人を愛していないように見える人でも、
その人の意識レベルが自分よりも低いとみなす権利は、
私達にはありません。
人がどのように見えるかというのは、
自分のバイブレーションの尺度に他ならないのです。
さらに、こう続く。
下品で、ちっともわかっていなくて、
バカでうそつきで気違いだと私達には見える人がいたら、
その人を愛し、その人に対する自分の感情を愛せるかどうかで、
私達が天国にゆけるかどうか、決まります。
・・・うう、、。
まいった。
まいりました。
降参です。
これこそ、わたしがしていることなのです。
1.「あいつは俺より、意識のレベルが低い。」
2.「あいつは変わるべきなのに、変われやしないだろう。」
3. 「あいつが変わらないから、この組織がダメになったんだ」
この3点の「エゴ的判断」を向けていた人が、
4人います。
その4人のことが、僕は「嫌い」です(笑)。
・・・
何を取り繕う必要などなく、
「嫌い」なんです。
できれば、二度と関わりたくない。
そういう感情があります。
・・・
その感情=反応は、
この3年くらいの間で、
4人のいずれの人に対しても、
「小さく」なっています。
また、この4人のひとと、
おもだったトラブルはありません。
これは私の意識が広がったから、でしょう。
しかし、わたしはいまだに、
この4人の人と分離していました。
「あんたと、俺は違うんだ」と。
真実はそうじゃないのです。
「あんたは、わたしそのもの」なのです。
もう少し噛み砕いていえば、
「あんたは、わたしのフィルターを通して、わたしがみている、わたしバージョンあんた」
なのです(笑)。
・・・
よき練習の機会がやってきました。
わたしはその4人の方を、
あるがままに愛する。
あるいは、
その4人の方に対する、
「どうしても愛せない」という自分を、
あるがままに愛する。
いずれかの選択において、責任をとります。
もっと軽く、もっと広がりたいから。
嫌なこと。
嫌悪感を感じること。
はたらいていると、
そんなことが、よくある。
宇宙全体の総和によって、
その出来事が起きていると、
気づくことはできている。
その嫌なことを目の当たりにしながら、
その嫌なことと「共にある」。
ただただ、抵抗せず、
いっさい逆らわず、
そのことを「よく観察する」。
これはわたしが創った現実だ、
と認める。
決して、「僕のせいだ」なんて、
責めることはしない。
ただ、認める。
もし、「僕のせいだ」と反応したなら、
それがエゴの反応だと認め、
その事実を、認める。
そうやって、
自分の世界に責任をとるとき、
なにが起きるのか?
なんでそんなことやるの?
なんでそんなふうにする必要があるの?
ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神の対話』の一節を借りれば、
その理由はあまりに簡単だ。
「そのゲームしか行われていないから」
そう、ひとはそうやって、
ネガティブな出来事に遭遇したとき、
その出来事そのものや、
その出来事に反応する自分自身を、
「愛する」という機会をもち、
「愛する」ことで、意識が拡がる。
意識が拡がると、その拡がりが、
現実に反映される。
愛が反映された現実を生きることになる。
それが、自分が「愛である」ことを「知る」という「体験」だ。
・・・
↓これを読めばもう大丈夫。
○ひろいさとるの無料メール講座
「こころのチカラの使い方」はこちらへどうぞ。
嫌悪感を感じること。
はたらいていると、
そんなことが、よくある。
宇宙全体の総和によって、
その出来事が起きていると、
気づくことはできている。
その嫌なことを目の当たりにしながら、
その嫌なことと「共にある」。
ただただ、抵抗せず、
いっさい逆らわず、
そのことを「よく観察する」。
これはわたしが創った現実だ、
と認める。
決して、「僕のせいだ」なんて、
責めることはしない。
ただ、認める。
もし、「僕のせいだ」と反応したなら、
それがエゴの反応だと認め、
その事実を、認める。
そうやって、
自分の世界に責任をとるとき、
なにが起きるのか?
なんでそんなことやるの?
なんでそんなふうにする必要があるの?
ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神の対話』の一節を借りれば、
その理由はあまりに簡単だ。
「そのゲームしか行われていないから」
そう、ひとはそうやって、
ネガティブな出来事に遭遇したとき、
その出来事そのものや、
その出来事に反応する自分自身を、
「愛する」という機会をもち、
「愛する」ことで、意識が拡がる。
意識が拡がると、その拡がりが、
現実に反映される。
愛が反映された現実を生きることになる。
それが、自分が「愛である」ことを「知る」という「体験」だ。
・・・
↓これを読めばもう大丈夫。
○ひろいさとるの無料メール講座
「こころのチカラの使い方」はこちらへどうぞ。