続・あれから(3) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

 

 

 

笑われるだろうが。

 

 

私は毎日、

洗濯する度に

洗濯機に挨拶をする。

 

 

これはもう、

一年以上前からの

習慣になっている。

 

 

我が家の洗濯機には

名前もある。

 

 

 

パナソニック製なので

それにちなんで、

“パナウォッシャー”。

 

 

 

 

洗剤を投入し、

 

 

 

「パナウォッシャーちゃん、おはようございます。

いつもありがとうございます。

今日も一日、どうぞよろしくお願いいたします。」

 

 

 

こう言った後、

洗濯機の蓋を閉め、

 

各種設定ボタンを押し、

最後にスタートボタンを

プッシュ。

 

 

そして、〆には

蓋に熱いキス。

 

 

 

 

「それでは、よろしくお願い致します!」

 

 

 

 

無事に。

ああ無事に。

 

 

洗濯槽の中に

水が逆三角形を描きながら

流れ落ちる音の

なんと心地良い響きよ。

 

 

 

数十分後。

 

洗濯終了のブザーが

なり終わると。

 

 

 

 

「パナウォッシャーちゃん。

お陰様で今日も無事に

洗濯を終えることができました。

どうもありがとうございました。

お陰様で本当に助かりました。お疲れ様でした。」

 

 

 

 

毎朝毎晩

こんな感じ。

 

 

 

因みに、

私は真剣だ。

 

 

 

少し離れたところから、

これが自分の親だとは的な

冷たい視線を放つ次男。

 

 

 

ええい。

構うものか。

 

あなたの洗濯物が

一番多いんじゃないの。

 

 

 

でも。

 

 

 

来る日も来る日も

おばはんにキスされている洗濯機が

ストライキを起こしたらどうしよう...

 

 

 

こう思わなくも

ないのだが。

 

 

自宅で洗濯機が使えることは、

決して当たり前ではないと

痛感している身からすると。

 

 

 

やっぱり。

 

感謝を伝えずには

いられない。

 

 

 

 

ほぼ丸3ヵ月に渡る断水中、

我が家の生活の中心は

水行脚だった。

 

 

 

だから、今。

 

日々、家中のどの蛇口からも

水が出ることが本当に有難い。

 

 

 

 

洗濯機の前に立つ度、

 

 

 

 

「この洗濯物、全部コインランドリーまで

持って行くとなったら大変...」

 

 

 

 

こんな思いが

脳裏をよぎる。

 

 

 

一体どれだけの

時間とお金と労力が

必要になるか。

 

 

毎日、洗濯が

一仕事になってしまう。

 

 

 

 

実際、断水中は

そうだった。

 

 

発災後、初めの頃は、

うちから車で40分ほどの

お風呂屋さんに行った後、

 

そこから更に車で40分ほどの

コインランドリーへ通っていた。

 

 

そこよりも近い場所にある

コインランドリーにも行ってみたが、

どこもいっぱいだった。

 

 

 

しばらくして、

他のお風呂屋さんにも

行ってみようということになり、

 

県を跨いでお隣の

富山県のお風呂屋さんにも

行ってみた。


そのお風呂屋さんは広くて、

家族みんなが気に入ったので、

 

3日に1回、

高速道路に乗って通った。

 

 

 

 

この時。

 

 

 

 

「夏場じゃなくて、本当に良かった」

 

 

 

 

心底、こう思った。

 

 

 

 

私たちが暮らす市内でも、

開いているお風呂屋さんはあったものの、

待ち時間が長すぎて断念したのだ。

 

 

 

お風呂の後、最寄りの

コインランドリーに寄って

洗濯乾燥して、洗濯物を畳んでから

同じ高速道路に乗って帰る。

 

 

 

お風呂に行くのは、

まず、中学校に通う娘を

その次に、高校に通う次男を

迎えに行ったその足になるから、

 

高速道路に乗るのは

大体午後3時半過ぎで、

 

お風呂屋さんに到着するのが

4時半前後くらい。

 

 

 

その後。

 

5時半を超えた頃に

お風呂屋さんを出て、

コインランドリーに

着くのが6時前頃。

 

 

待ち時間なく

洗濯ができたとして、

 

富山を出るのが

7時前後くらいだったか。

 

 

 

 

真冬の北陸。

日はすぐ暮れる。

雪も降る。

 

 

 

一度、帰りの高速道路で

こりゃ死ぬかもしれないと

思ったことがあった。

 

 

あれは、雪が嵐のように

舞う夜だった。

 

 

その高速道路は、

外灯がほぼ皆無。


 

 

真っ暗な上、四方八方から

殴りかかるように降る雪が

視界を遮るものだから、

前がまったく見えない。

 

 

生きた心地がしたのは、

トンネルの中を

走っている時だけだった。

 

 

 

 

「この道路、利用者、殺す気か」

 

 

 

 

腹の底から

こう思ったわよ。

 

 

 

 

地震で助かったのに、

ここで死ぬのか。

 

もし死んだら、これも

地震関連死なんじゃないのか。

 

なんで命がけで

風呂に入らなきゃならないんだ。

 

 

 

 

あの日の

怒りと切なさよ。

 

 

今もよく

覚えている。

 

 

 

 

ああ。

 

長くなる。

長くなる。

 

巻物になりそう。

 

一旦、終了。

 

 

 

 

 

 

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