3回目のECMOが
始まっていた。
いつまで持つか
分からないこの機械。
せいぜい数日しか
持たないこの機械に。
先生の命を
預けておいていいのか。
台北駅地下のコンコースを
泣きながら歩いて以降。
こんな考えが浮かんで、
頭の中を離れない。
「ドクターに頼まないで。」
病院に行けば行ったで。
義姉が、懇願するように
こう言う。
これ以上のECMOは
断念しろと。
再度。
私に面と向かって。
面会時間の少し前。
ICU入口の自動ドア前、
ホールのようになっている場所で
待機しているときだった。
あの頃。
一日の中で、気持ちが
一番不安定になるのは、
朝と夜の面会時間の直前、
ICUのドアが開くのを
待っているときだった。
私は、あの時間が
一番恐ろしかった。
先生の具合が悪くなってたら
どうしよう...
体の中に、冷たい鉛を
落とされたような感覚。
これが広がって、動悸のような
ゴロゴロとした脈を打ち始め、
自分の心臓の鼓動が聞こえてくる。
手足の指先が
冷たくなっていく。
毎回、こうだった。
どうしてなんだ。
なんで。
よりによって、今。
このタイミングで。
先生の命を諦めろと
言いやがるんだ。
この。
山から下りてきたまんまの
人の皮をかぶった不躾な猿は。
どうしても言いたけりゃ、
他に機会はあっただろうが!
それとも、何か。
面会時、私がドクターと
話をするのを知っていて、
その直前を狙ったのか。
一体、どこまで私の心を
抉れば気が済む。
ひょっとして、
私を殺すつもりなのか...?
先生や子供たちを置いて
今、死ねるわけないだろ。
魂ごと宇宙から
消え失せろ。
この。
この。
生き損ないで、
くたばり損ないの
銭ゲババアめ!
怒りが湧いて
こみ上げる。
足元から。
腹の底から。
指の先から。
喉の奥から。
瞬く間に
脳天へと突き上げる。
神様、お願いです。
もし。
どうしても先生の一族の中から
誰かが逝かなければならないのなら。
お願いです。
この通りですから。
どうか。
先生の代わりに、
このクソババアを
連れて行ってください。
神様がやらないんなら、
私がやってやりたかった。
心底。
でも。
まあ。
きっと、
仕方がないのだろう。
近頃では、こう思う
ようになった。
そもそも。
私の気持ちや
心のタイミングなど、
誰に分かるはずもない。
それに、
世の中には。
人の心には機微が
あるということに
気が付かない生き物もいる。
あるいは。
気が付いていても、
常に自分の心の機微を
最優先する生き物が。
この女は、この年になるまで
こうやって生きてきたのだ。
何十年も。
これが生き様なのだろう。
口から糞を垂れ流す
この便所ババアの。
一瞥したあと、
義姉から顔を背けた。
もう。
無視して放置する以外に、
この女の体を傷つけずに
済む方法が見当たらない。
口を開けば、同時に
手も足も出ていただろう。
もし、あの頃。
何らかの理由で、
義姉が崖っぷちから
落ちそうになっていたとして。
辛うじて、岩に
しがみついていたとして。
おまけに。
周りに、私以外は
誰もいなかったとして。
「助けて!」
義姉がこう叫んだとしても、
私は助けなかった。
絶対。
「頼まないで。」
あんたは、
こう言ったんだから。
一度ならず、
二度までも。
だから、当然。
己の場合も
頼んではいけない。
これが私の生き様だ。
文句あんのか。
カンニングが許されず、
同じ理由で、きっと。
身体同様、心にも血が
通っているんじゃないだろうか。
いっそのこと。
心がぜんまい仕掛けだったら、
どんなに良かっただろう。
いい年をして、
まるで少女漫画の
セリフのようだが。
でも、
もしそうならば。
あの頃。
あれほど傷つくことも、
狂うこともなかった。
でも、
もしそうならば。
同様に。
愛や涙を経験することも
なかったんじゃないだろうか。
人として
この世に生まれてきて、
それでは、あまりに切ない。
この世のすべては
陰と陽。
それは、心も同じこと。
光と影は、
ふたつでひとつ。
吉祥天女と
黒闇天女のようなもの。
泣いて。
笑って。
これ以外に、
この世で生きていく方法は
きっと、ないのだろう。
3回目のECMO。
これに加えて、
義姉のセリフ。
私は焦った。
このままでは
いけないと思った。
何かないか。
何かできるんじゃないか。
何かしなければ。
私は先生の
弟子なんだから。
妻なんだから。
あの人の子供たちの
母親なんだから。
血が通えば、
ときに血迷う。
私は、本当に
懲りない人間だ。

