だけど こころなんて お天気で変わるのさ
80年代、こんな歌があったけれど、
あの時の私の気持ちは、
まさにこの曲そのものだった。
初夏の台湾は、
晴れている日が多かった。
お天気が良いと、何だか縁起が良いような、
幸先が良いような気がして、きっと先生の容態は、
このお天気みたいに良くなるに違いないと思えた。
逆に空が曇っていたり、夕方、急に雨が降ったりすると、
何だか不吉なような、悪いことが起こるような気がして、
ICUにいる先生に何かあったんじゃないかと、
空を見上げながら気を揉んだ。
もう、私が先生に
治療することはできない。
私は無力だ。認めるしかない。
どんなに情けなくても。
私が今まで先生から教わってきたことは、
一体何だったんだろう。
世界で一番大切な人が助けを必要としている時に、
その人を救うためのものだったんじゃないだろうか。
ただこうやって、待合室から
空を眺めるためなんかじゃない。
ただ祈るためでも、心配して
ウロウロするためなんかでもない。
先生。こんな時、
私はどうしたらいいんですか。
私は何度もあなたに
助けてもらってきたのに。
私が初めて師匠に出会った頃、
私はまだ大学生だった。
その頃の私は、慢性の腰痛持ちだったが、
師匠の治療院に通って、治療してもらっている間に、
いつの間にか治っていた。
しかも。
その後、腰痛に悩まされることがなくなった。
私は10年に渡って3回出産したが、
妊娠中、一度も腰痛に悩まされることはなかった。
たまに腰が痛くなることもあるが、
それは、例えば長時間座り過ぎた後など、
時間が解決してくれる程度のものだ。
こんなこともあった。
あれも、まだ大学生の頃だったか。
その日は朝から、どうもお腹の調子が悪く、
お昼前にはキリキリ痛み出し、
ついには、まっすぐ立って歩くのも辛くなり、
お昼前に、アルバイト先から早退させてもらった。
ところが。
その日は、お昼休みに
師匠と会う約束をしていた。
今みたいに携帯電話が
普及していない頃のこと。
具合が悪いからキャンセルして欲しいと
伝える方法がなかった。
約束の場所が帰り道の途中だったこともあって、
お腹を抱えるようにしながら、師匠を待った。
やって来て、私の話を聞いた師匠は、
その場で私の背骨に沿って、
上から下へと推拿を始めた。
数分後。
私の痛みは、ほぼ治まっていた。
この時、私たちの近くにいた
見ず知らずのおばちゃんは、
驚きを隠せなかった様子で、
目を丸くして私たちを凝視していた。
無理もない。
いい年をしたおっさんが、白昼堂々、
若い女の体を触っているところを
目撃したわけだから。
しかも。
触られている当の女は、どういうわけだか、
それを拒む様子もなく、されるがままになっている。
どんなプレイだ。
私がこのおばちゃんでも、
絶対に訝っただろう。
私にしたって、このおばちゃんの視線は
ひしひしと感じていたけれど。
でも、そんなものは、私にとっては
屁以下のものだった。
あんなに辛かった
痛みが治まったんだから。
誰にどんなプレイだと
思われても構わない。
この他にも。
ある日、突然具合が悪くなったときのこと。
その時、師匠は台湾に戻っていた。
腹痛の時よりも困った状況だった。
ところが、次の日、師匠が
台湾からひょっこり戻って来たのだ。
私の不調は伝えてなかったから、
このために師匠が帰ってきたわけではなかった。
とにかく。
お陰で治療してもらうことができ、
事なきを得たのだった。
あの時は涙が出た。
いつもいつも、ピンチの時に100%現れて
助けてくれるスーパーマンというわけじゃないけれど、
こういったケース以外でも、
私は何度も師匠に助けてもらってきた。
私だけじゃない。
私の家族も随分と先生のお世話になって、
助けてもらってきた。
自分よりも年下の私の両親を
「お義父さん、お義母さん」
自分の娘といっても
おかしくない年齢の私の姉を
「お義姉さん」
と呼び、また実際に、
目上の人として扱ってくれた。
だから。
今度こそは私の番なのだ。
たとえ、私がどんなに無様で役立たずでも、
懲りて諦めるわけにはいかないのだ。
絶対に。
何か自分にできることはないかと、
探さずにはいられなかった。
私には、ひとつたまらなく
心配なことがあった。
ICUに冷房が入っていることだ。
外は汗ばむ陽気だったから、
それが当然というか、一般的だろうと思うが。
先生は冷房が大嫌いだ。
冷たい風が体に合わず、敏感に反応してしまい、
真夏でも、冷房が入った部屋に一日中いると
血便が出るような人だった。
とにかく体を冷やすのを嫌い、
真夏の夜でも窓を閉め切って
長袖のシャツを着て寝るような人なのだ。
そんな人が、弱った体で、24時間ずっと
冷房のきいた部屋にいる。
体を動かしているのならまだしも、
ベッドで寝たきりのままだ。
冷房の風が、今のこの人の体に
及ぼす影響は、とても計り知れない。
良くなるものも、逆にますます
悪くなってしまうに違いない。
しかも更に悪いことに、冷風の吹き出し口が
師匠のベッドの真上にあった。
せめて夏じゃなかったら...!
私は季節を呪った。
ドクターに冷房を弱くすることは
できないかと訊いてみたが、ダメだった。
他の患者さんのこともあるから、
それは仕方がないと思った。
ベッドの上の冷風口だけでも
止めてもらえないかとお願いしてみたが、
冷房は部屋全体で一括管理されていて、
一部分だけ操作することはできないという。
ええい。どこまでも忌々しい!
師匠が身につけていたものは、
浴衣様のパジャマが一枚だ。
布団と毛布も被っていたが、部屋の温度と冷風と
先生の体質と性質を考えれば、どう考えても不十分だ。
余りにも、余りにも薄すぎる。
ナースにお願いして、毛布を増やしてもらった。
バオメイにお願いして靴下を
持ってきてもらい、それを履かせた。
師匠はよくこう言っていた。
「冷たい風は、首の後ろから入ってきて背中へ流れる。」
できる限り、首と肩を覆わなければならない。
パジャマをずり上げて、
少しでもこの部分を隠す。
布団と毛布を顔のすぐ下まで
持ち上げて肩を覆う。
だが、体に取り付けられた
いくつものチューブが障って
思うように覆えないのが、もどかしい。
他に何かないか...?
病院からしばらく歩いたところに、
迪化街という漢方薬の問屋街があった。
その一角に「永楽市場」という、
布地を扱う店が軒を並べる建物がある。
そこで、師匠の枕の下に
敷くための小さな毛布を買った。
病気を撃退するには、色はきっと赤がいい。
真っ赤なフリースの毛布を
師匠の枕の下に敷いた。
少しでも首と肩、それから頭を
庇って暖めなければ。
ただ。
どんなに私が気張ってみたところで、
師匠がICUにいる以上、
私にはどうにもできない限界があった。
お願いして追加してもらった毛布も、
次の面会時にはもうかけられていなかったり、
枕の下に引いてあった毛布も、
着替えか洗濯などの時に外されたのだろう。
ベッドの脇に置いてあったりした。
ある時、師匠の体に布団が
かけられていないことがあって、
私は驚きと怒りで
叫び出しそうになったが、
ナースによると、
「体温が高く熱っぽかったので。」
とのことだった。
「それでもやめてほしい。この人は冷房が大嫌いだから!」
と必死でお願いした。
分かっている。
仕方のないことなのだ。
皆さん、とても忙しい中で
精一杯やってくれているんだし、
師匠専属のナースがいるわけじゃない。
せめて、先生が一般病室に
入院してくれていたら...
どんなにか、こう願っただろう。
そこなら、面会ももっと自由にできただろうし、
きっと付き添いもできただろうし、
もっと傍にいて様子を見ることができただろう。
すべてが、どこまでも歯がゆい。
それなのに、どうしようもない。
つくづく思う。
一体、何のための弟子だろう。
師匠の窮地にこそ立ちが上がり、
精一杯、今までのご恩返しをするのが
弟子じゃないのか。
そのためにいるんじゃないのか。
まさか、自分がここまで無力で
役立たずだったとは...
その事実を目の前にこれでもかと
突きつけられ、呆然とした。
あまりに口惜しくて涙も出ない。
私は、虚仮た阿呆だ。

