「ねえ、誰かに教えてみたら?」
鍼灸専門学校の校長と知り合いだと聞いたことがあった。
「うーん....」
「ねえ、どう?」
「イヤよ。」
「どうして?」
「..................」
「ねえ、どうして?」
「自分よりヘタな人に教えると、自分もヘタになるよ。」
私から目を逸らして、ボソッと呟くように答えた。
なにそれ?
まあ。よくわからないけど、本人がイヤだって言うんならね。
数年後、永六輔氏の『芸 その世界』を読んでいた時のこと。
こんなフレーズに行き当たった。
宝生九郎は自分の門下に、素人に稽古をつけるのを厳禁した。
自分の芸が落ちてしまうという理由だった。
思わずハッとした。
あの日、エイリアンが言ったことと同じだ。
宝生九郎は能楽師。エイリアンは鍼灸師。
たとえ道は違っても、プロが言うことは同じなのだと痛感した。
なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろう。
たとえ夫婦であっても、弟子である以上、
決して口にしてはいけないことだったのだ。
私は自分の無知と軽薄さが、とても恥ずかしかったと同時に恐ろしかった。
あの日の師匠に、謝りたい気持ちで一杯にもなった。
結局、今日まで謝らずじまいのままなのだが...
それにしても、この男。
普段は、本当にどうしようもないおっさんなのだ。
些細なことも決められずに迷う。
「ねえ、いつの飛行機に乗ればいい?」
自分で決めろ、自分で。あんたが乗るんでしょ?
「ねえ、これどうするほうがいい?」
こっちが訊きたいわ。
あのね。私はママじゃないの。
年の差からいっても、頼りにしたいのは私の方なんだけど?
ところが...
「治療した後、あの人の治療は、
こうした方がよかったかなって思うことあります?」
「ないよ。」
「ああ、あれは失敗だったかもって思ったことは?」
「ないよ。」
「今まで一度も?」
「ないよ。」
きっぱり即答。
こうも変わるものか...?
エイリアンは、自分の腕が落ちるリスクを承知の上で私を弟子にしてくれた。
とても感謝しているが、そのことを面と向かって師匠に伝えられないでいる。
どうしたものかと、ここ何年も思案中だ。