大したことはないらしいが。
先月からの風邪が咳になって喉に居ついてしまい、
今月に入ってもなかなか治らない。
症状は夜寝る前に出ることが多く、
布団に入って寝入ってからもコンコン、ゴホゴホと続き
喉からはヒューヒュー、ゼーゼーと音が聞こえる。
隣りにいる私は心配でおちおち眠れない。
そんなある夜、午前2時頃。
息子の様子を見た後、何気なく窓の外を見た。
夜空には星がいっぱい。
一際目立って、夏の大三角形がキラキラしていた。
いつ見ても、星はきれいだと思う。
何よりすごいと思う。
太古の人々が見てきたのと同じ姿の星座を
今日もこうやって眺めることができる。
遺跡や絵画のように、色褪せることも崩れてしまうこともない。
拝観料を請求されることもない。
無償で光ってくれている。
毎日太陽が昇るように、いつも同じように空にあって、
百人いれば百通り、幾万人いれば幾万通りの想像力に応えてくれる。
たとえどんな想いを巡らしていても、星は笑ったり馬鹿にしたりしない。
いつの時代も変わることのない、その偉大な規則性に
何だかとても寛大な存在の意思と愛情を感じてしまう。
初めて北斗七星を見た時のこと。
プラネタリウムで聞いた、ひしゃくの話そのままの形が
宵の空に大きく横たわっている姿に、驚きと神秘を感じた。
冬の空にオリオン座を見た日々のこと。
毎日同じ時間に、同じ場所で光ってくれているだけで、
その当時ふさぎ込みがちだった私は、とても救われた。
見上げればいつもそこにある。
それがとても嬉しかった。
本当に不思議としか言いようがない。
星は一言も声をかけてくれるわけじゃないのに。
それなのに、とても雄弁。
あれは、ある年の大みそかのこと。
深々と雪が降り積もっていた。
満月の光が、雪の白に照り返されて蒼く空を染める中、
その月の横で、堂々と輝いていたオリオン座を
私は決して忘れることができない。
そのあまりの神々しさと荘厳さに、
静謐の中、見てはいけないものを見ているのだと思ったが、
そこからしばらく動くことができなかった。
そして先日の夜。
この世に生まれて37年。
生まれて初めて見た夏の大三角形に、
無条件でノックアウトされてしまったのだった。
理科の教科書や話の中でしか知らない、
記憶の片隅にある、知識の上での星座。
どんな星で成り立っているのか名前さえ知らない。
今まで、存在は知っていても、積極的に見ようとはしてこなかった星々。
大三角形なんて、別に大したことはないのかもしれない。
ただ単に、人間の目から見たら
星の並びが三角形に見えるだけのこと。
それが何...?
何だっていいじゃない。
きれいだと思ったんだから。
素敵だと思ったんだから。
見られて良かったと思ったんだから。
空に星があって本当に良かった。
星を見なくても、別に死ぬわけじゃない。
でも。
星が美しいと思って感動する人生と、そうじゃない人生。
どっちを取る?
大三角形を偶然に見たあの夜。
こう思った。
今まで、どれほど多くの大三角形を見ずに生きてきたんだろうと。
どうして積極的に見ようとしなかったんだろうと。
1時間後、同じ窓から空を見た時には、もう大三角形は見えなかった。
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