もうひとり。
今も、思い出す度に
切なくなるのは。
白髪で、50代半ばの
同級生。
もしかしたら、もう少し上
だったのかもしれないが。
このクラスメートの奥さんが、
最終学年の3年次に亡くなった。
お葬式が終わって
まだ間もない頃、
他の同級生から聞いたのだが。
実は、この男性。
奥さんの病気を治したくて、
鍼灸師を目指したのだという。
この話を聞いた時、
私は言葉を失った。
それは、あの日も
今も変わらない。
何十年経っても、
やっぱり。
言葉は、到底
見つかりそうにない。
他にも
もうひとり。
忘れられない人がいる。
1年次の1学期を終えるまでは、
斜め前に座っていた同級生。
とても親切な人だった。
こちらから
お願いしたわけでもないのに、
私が欠席した授業のノートを
はにかんだ笑顔で見せてくれた。
この彼女。
2学期には、
もういなかった。
彼女には、まだ保育園だったか
低学年だったかのお子さんがいて、
夜、学校に来ている間は
誰かが見てくれるはずだったのだが、
どうやら事情が変わってしまったらしい。
もう顔も名前も
思い出せないけれど。
このクラスメートのことが
いつまでも記憶に残っているのは、
きっと。
彼女の状況に、当時の自分を
重ねたからに他ならない。
「学校は、辞めた方がいいわよ」
入学後、程なくして
妊娠していることが判明。
自宅出産を勧めた夫の意向を汲み、
当時暮らしていた町の保健所を頼りに、
お願いできる助産師さんに辿りつき。
自宅で定期検診を
してもらっていた時、
その助産師さんに
言われた言葉。
ちなみに。
念のため。
この助産師さんの
名誉のために申し上げますが。
この方は、とても優秀で
良い方でした。
だからこその
ご助言だったと
得心しております。
「学校、辞めてはいけないよ」
一方、こちらは。
その表情と口調は硬く、
真剣そのものだった。
だからだろう。
今でも
よく覚えている。
3秒くらいは
考えただろうか。
どうするべきかと。
お腹の中にいる子供が
将来、大きくなった時。
「ああ。この子のために
私は夢を諦めた」
高い入学金と授業料を払った挙句に、
学校を辞めてしまえば。
超極太の筋金入りの
貧乏性の私のことだ。
身勝手にも、絶体
こう考えるに違いない。
「ああ。この子が元気で育ってくれたお陰で、
私は学校に通い続けることができた。
どうもありがとう。この御恩は一生忘れません」
私は。
繰り言よりも
感謝を口にできる
未来が欲しかった。
数多の無理や
障害があっても。
万難にタックルを
かまされても。
たとえ。
生まれてくる子供に
負担をかけることになっても。
だから。
私は師匠の言葉の方を
選ぶことにした。
あれから、26年。
あの時の選択は
間違っていなかったと、
今でも思っている。
ありがとう、長男。
まだ赤ちゃんだった貴方には、
たくさんの負担をかけてしまった
ことと思います。
大変申し訳ありませんでした。
それでも。
ああ、
それでも。
貴方が元気に育ってくれたお陰で、
私は無事に学校を卒業することが
できました。
母ちゃんは。
今までも、
これからもずっと。
死ぬまで。
いえ、死んだ後も。
貴方に感謝し続ける
ことでしょう。
その節は、大変
お世話になりました。
本当に、どうも
ありがとうございました。
そして。
同じくらい大きな
感謝を師匠にも。
先生。
あの頃は、
本当に大変でしたね。
それでもお陰様で、
なんとか学校を卒業する
ことができました。
私は、あの時。
先生の一言がなかったら、
諦めていたかもしれません。
本当に、どうも
ありがとうございました。
誠に、
誠に。
心から、
心から。