失敗と成功のボーダーラインは、どこに置くと良いのだろうか。焙煎でも抽出でもカップに反映されたモノに、満足できれば一応、成功と言えるだろうか。では、その成功は、ボーダーラインからマキシマムまでの間隔のどの辺りに存在しているのだろうか。常にボーダーラインを少し超えた位置の着地点だったのではないだろうか。そこからマキシマムまでに、どうやっても到達できないのだとしたら、喜ばしい成功とは言い難いのではないか。それが、自身で楽しんでいる分には進歩のない自己満足コーヒーでもかまわないかもしれない。しかし、そのハードやソフトを共有する場合には、問題が生じる。それが営利目的とした場合であったり、その為の練習であったのなら尚更である。特に、練習として行う場合は、その程度の成功は失敗したと言って良い。通常、小さな成功の積み重ねが、大きな成功への道しるべとなる。と、言われていたり、考えてしまっている。しかし、小さな成功をいくつ積み上げても、大きな成功へはたどり着けない。近づくどころか、遠のいてしまっている事の方が、多いかもしれない。確かに、失敗ばかりでは精神的ダメージが多くめげてしまうかもしれない。そんなときには、気分転換で楽しむコーヒーを創ることは、大いに結構な事である。しかし、営業では、趣味で行っているそれと比べられないくらい、多くのプレッシャーが掛かる。そんなプレッシャーもセルフコントロール出来ないようでは、その先の見通しは五里霧中。と言える。戦国の世の中にあっては、今川義元に蹴散らされそうになった信長が、領内の小さな砦を見捨てずに進軍に伴った小競り合いをその都度していとしたら、桶狭間の大成は無かった。足下に転がる小さな成功だけを追い続けると、やがて自身の首を絞めてしまう事になる。重要な事はどこで成功を収めるかである。信長も、家康も多くの負けを経験している。その負けを活かしてきたから、大きな成果を上げることが出来た。焙煎でも抽出でも全く同様である。その失敗はカップにどう反映させるのか。どの様な事態になたらその失敗が出現してくるのか、多くの経験でその傾向を掴むことがことさら重要である。戦国を生き残る修羅場ではないコーヒーの世界は、もっと失敗を楽しめる様に気持ちに余裕を持ちたい。その余裕が出来てくれば、力まなくなり、要点に集中する事が出来る。それまで作業に追われていた事が、無意識に出来るようになっている。見えなかったモノが、観える様になってくる。それから先は、進歩の幅は飛躍的に大きくなっているはずだ。