カナダ留学記ーHarmony Log -8ページ目

カナダ留学記ーHarmony Log

バンクーバー・ブリティッシュコロンビア大学の商学部に進学したビジネス生徒のブログ。学生生活で感じたこと、経験したことが中心。

毎週土曜日の夜(日本時間の日曜日の午後)は必ず更新する予定だが、それ以外にも思いついた時に書きたいことを書くかもしれない。

時がたつのは本当にあっという間だ。もう大学一年生の授業は終わってしまった。後は期末テストを残すのみだ。

今週はイースターもあってあまり刺激のない一週間だったけれど、そんな中で一つ印象に残っていることがある。あまりまとまりのある文章が書ける気がしないが、心に残ったので考えを書き留めておこうと思う。

経済学の教授が、最後の授業に言った言葉だ。

この教授は変わり者であることで知られていて、ブラックユーモアや知的な皮肉で授業を面白く教えてくれた教授だった。

その教授が最後の授業の日、「この授業が終わっても忘れないでいてほしいこと」と称したパワーポイントで三つの点を挙げた。

Assume nothing.

憶測しないこと。常に疑ってかかること。

Worship no one.

誰も、何も信仰しないこと。

Applaud humility.

謙虚さを称賛すること。


一つ目は客観的思考を鍛えろ、と言っていることが分かったし、二つ目は何かにすがって自分の頭で考えることを放棄するなと言っているのだろう。

最初の二つは比較的簡単に納得できたのだが、三つ目を心から受け入れることができなかった自分に気が付いた。

謙虚であることは「へりくだって、控えめなさま(明鏡国語辞典)」だが、これがなぜ称賛されなければならないのかが全く理解できなかったのだ。

まとまらない自分の思考を少し情けなく思うけれど、考えているのは次の通りだ。

へりくだって控えめに行動することは、自分を相手より低く見ていることになる。
これは自分を卑下していることであり、正当に評価していないということだ。
自分をちゃんと評価しないということも「人を見下す」傲慢なのではないか。

辞書に書かれている「謙虚」の意味合いではどうも納得がいかない。

また一方で大辞泉には「素直に相手の意見などを受け入れること」と書かれている。

確かにへりくだるよりはましだが、これも納得がいかない。書くならば「素直に相手の意見に耳を傾けること」とすべきだろう。相手の意見を「受け入れる」人間はその場の流れに身を任せて漂っているだけではないか、と思ってしまうのだ。

辞書で調べた意味のままの「謙虚さ」をたたえる気にはならない。けれど、「他人の意見に耳を傾ける心の余裕を忘れないこと」を謙虚さとするなら、確かにそれは称賛されるべきことだと思う。
UBCの寮では頻繁にさまざまなイベントが行われている。Tシャツを染める、植物を植えるといった楽しいクラフトもあれば、チョコフォンデュや餃子を食べようといったおいしいイベントもある。

そして、大学ならではのイベントの一つに、「Imagining our world in 50 years (50年後の私たちの世界を想像して)」というトークイベントがある。

これは私が住んでいる寮で行われる20人程度の小規模なイベントで、毎回数人の教授を招いてそれぞれの分野の最先端の情報から50年後の世界を想像しディスカッションするという、何とも知的なイベントだ。

…授業以外でこういう話を聞きに集まるのは、自分を含めて少々変わっている人たちばかりだと思う。

何回かにわたって違う教授が招かれているが、今回は薬学の男性教授とジャーナリズムの女性教授、そして司会の哲学の教授の三人だった。

これで5回目になるが、毎度熱く盛り上がるのは倫理の話についてだ。

そして毎回のごとく、ビジネスが悪者扱いされる(笑)

薬学の教授は製薬会社が「見てみぬふり」をする病気があると説明した。貧しい地域では飲み水に住む寄生虫が眼球に入り、失明する病気がある。これは50セントで治るものであるにもかかわらず、貧しい地域では利益が見込めないために放っておかれるそうだ。結果、村に住む全ての成人が失明しているという悲惨な状況が出来上がる。

教授は続けてこう言った。

「今あなたたちはこの話を聞いた。聞いてしまったうえで行動を起こさないことはどれほどの罪になるのだろうか。」

私は数日たった今もまだ、この質問にはっきりと答えることはできない。
1回分の治療費を寄付することはできるだろう。けれど、継続的に寄付はできない。さらに言えば、この世の中には貧困であえぐ人は数えきれないほどいる。すべてを一人で救おうというのは慢心ではないだろうか。何より、今私自身がある意味で親からの寄付で生きているようなものである。その大切な資金を更なる価値を生み出すために自己投資するわけでなく、見返りを求めない分野に置いていくのは養ってもらっている身としては申し訳ない。

今の私に言えるのは、「自分で稼ぐようになったら考えます」とだけだ。

あいまいな表現で自分がちょっと情けない。「~になったら」という約束はたいてい守られないということを知っているからなおさらだ。

ジャーナリズムの教授は「こうした情報を拡散することこそがジャーナリズムの存在意義。私は真のジャーナリズムは意見を押し付けない、ただ情報を提供する媒体だと信じている。判断を下すのは視聴者や読者、つまり受け手側だ。」と語った。

IT革命以来、急速に情報が行き交うようになり、人々はお互いの情報をいち早く知ることができるようになった。それと同時に「知らない」という免罪符が通用しなくなる日が近くなっている。

もしも人間の心が「知っていながら無視する重圧」に耐えられないとしたら、そのうち「知らない権利」なんていうものも出てくるのだろうか。情報に耳をふさぎ、目を閉じる権利…。

逃げなんだろうけどね。

今日、3か月一緒だったチームで今学期最後のプレゼンテーションを行った。

結論から言えば、不完全燃焼である。

プレゼンの準備は怠らなかったし、本番も練習通りかそれ以上にうまくできた。問題はプレゼン後の質疑応答の時間だった。

発表した内容についてどんな質問が来てもいいように、私たちのグループはそれなりの準備をしていたにもかかわらず、プレゼン内容以外からまさかの変化球が飛んできたのだ。

結局その場でぱっと思いつくことがなくその質問は流すはめになったのだが、質問に答えられなかったため確実にプレゼンの点数は引かれただろう。その他に質問が出なかったこともプレゼン後の印象を悪くした。

発表した内容とは全く違う内容を質問してきた相手の生徒に苛立つのは人間として許してほしい。自分の知識をひけらかすような聞き方をしてきたあたりに器の小ささを感じる。

もっとも、苛立つだけで改善しようとしなければ負の感情にひっぱられて気分を害したことが勿体ない。

かくなる上は「答えられない質問にどう答えれば頭がよく見えるか」ということも視野に入れてプレゼンの準備をするしかないだろう。

今日のプレゼンで言えば、「良い質問ですが、それは影響が限られていると分析したため視野に入れておりません」くらい言えればよかったのだ。第二言語で屁理屈を考えるのには苦労する。

思いついたのは質問を受けてから数分後だった。


たった一言だったのに。

悔しいな。
全ての嬉しいことはたいてい楽しいことだが、全ての楽しいことは必ずしも嬉しいことではない。

ふと、そんなことを思った。

きっかけはメモリージャーという日記の一種だ。嬉しいことがあった時に小さな紙に書いて可愛く飾った瓶の中にためていく、忙しい人でも継続しやすい日記だ。

昨年末に友人から教えてもらい1月1日から始めたのだが、「嬉しいことがあった時に」という部分を知らなかったので、毎日ひとつ嬉しかったことを書き溜めてきた。

これが瓶からから取り出してコルクボードに張ったものだ。

メモリージャーボード


そろそろ三か月分の「嬉しかったこと」がたまるのだが、80枚も書いているうちに面白いことに気が付いた。

「嬉しいこと」にも質の差があるのだ。

例えば「初めて一人で航空券をとったこと」はとても誇らしくて嬉しかったこと。
「遠くの友達に半年ぶりにあえたこと」は懐かしくて、相手の元気そうな顔が見れて嬉しかったこと。

こういう自己肯定感を得られた出来事や、居場所を感じられた出来事は私にとって質のいい、充実した「嬉しさ」だった。

これにたいして「授業がキャンセルされたから漫画を読んだこと」「初めて飲み会に行ったこと(*カナダは19歳で成人)」は今考え直してみると私にとっては「楽しかったこと」だった。

書いたその時はほかに突出して嬉しかった出来事がなかったから、楽しかったことを嬉しかったことと錯覚していたのだ。

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じゃあ、楽しかったことと嬉しかったことの差は何だろう。

私は自分の価値観に沿っているか、そうでないかの違いだと思う。

「楽しいこと」という枠の中に、自分の価値観を大切にした出来事とそうでない出来事がある。

自分の価値観を大切にした楽しいことは「嬉しいこと」。
価値観とは関係ない楽しいことはただ「楽しいだけ」。

このことに思い当たってから今まで書いてきたメモリージャーの中身を読み返してみたのだが、今まで苦戦していた「自分探し」が呆れるほど簡単だった。

私が価値を置くものは、まずダントツで居場所をくれる家族や友人と、生活に安定をもたらす身体と心の健康だ。この二つは誰だって一、二を争う大切なものじゃないだろうか。

私らしいな、と思うのが、それ以外の価値観だ。

新しいことに挑戦する勇気。
勉強に費やす努力。
きちんと予定通りに物事を遂行できる計画性。
有言実行。

他にもあるのだが、繰り返し「嬉しかったこと」として書かれているのは大まかに以上だった。

先ほど書いた例に当てはめると、漫画を読んだことはその時間を使って勉強できたので優先順位を間違えているし、飲み会は知り合いがほとんどいなかったのでどの価値観にも当てはまらない。よってこの二つは楽しかったことであり、とくに嬉しかったことではないのだ。

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自己啓発の本を読んでいると、「ワクワクすること、楽しいと思うことを追いかけなさい」とよく書いてある。

今まで楽しいことを感じる心を押し殺して頑張っていた人にはいいリハビリかもしれない。けれど、そうではなくてただ単により充実した人生を送りたい人には、かえってそのメッセージは毒であると思うのだ。

楽しいと思うことを追いかければ価値観を大切にした人生を送れるチャンスは上がるけれど、それは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式でしかない。

より早く満足のいく人生を送りたいなら、楽しいと思うことでなく嬉しいと思うことに絞って追いかけてみてはどうだろうか。

これから自分を実験台に、この仮説を実証してみたいと思う。
今日、人材マネジメントの授業で交渉術を学んだ。あまりにも面白かったので忘れないうちにどうしても書いておきたい。

私が「交渉術(negotiation)」という言葉を最初に聞いたのは去年の秋のことだった。ビジネスイベントで知り合った女性が何回か連れて行ってくださったイベントで、シェーン・ギブソンさんというトップセールスマンのお話を聞く機会があったのだ。「人生で最も稼げるスキルは交渉術だ」という彼の言葉ははっきりと覚えている。

それ以降数か月は特に交渉することもなかったのでその時のプレゼンの内容は頭の隅に追いやられていたのだが、今日の授業で始めて少し活用することができた。

今日の授業はロールプレイだった。事前に渡されていた紙には自分が演じる役割と、交渉の目的が書かれていた。その紙に書かれている情報をもとに、できる限り有利な条件を取り付けるというのがロールプレイの目的だ。

私の役割は映画のプロデューサーで、相手は出演するバンドのマネージャーだった。(ビートルズ主演の映画をもとにした設定だと知ったのは授業の最後でだった。)映画の収益の何パーセントをバンドに渡すかという交渉だ。

ロールプレイをした後に交渉に必要な三つの概念を教えてもらった。

1.BATNA(Best Alternative to Negotiated Agreement)を複数考えておくこと。
交渉が成立しなかったとき、それ以外ではどういう選択肢があるか複数考えておくと余裕をもって交渉できる。今回のロールプレイでは、プロデューサー側なら別のバンドを探す、マネージャーなら今まで通りの活動を行うということだ。


2.Reservation Price (妥協できる最低限のオファー)をしっかりと決めておく。
今回は配られた紙にそれぞれ書かれていた。プロデューサーなら上限が25%、マネージャーなら下限が5%だった。これ以下の条件なら絶対に首を縦に振らないという限界だ。


3.Bargaining zone (交渉する範囲)は自分と相手の一番最初のオファーの差で決まる。特に一番最初のオファーは交渉をする上での軸となるため、自分が出す場合は高く出し、相手が出してきた場合には引きずられないようにすることが大切だ。


今回のロールプレイでは、たまたま人数の都合で私ともう一人の男子がプロデューサーの役割を兼任することになった。こちらの結果はなかなかよく、6%(映画に使われている曲がヒットすればさらに+3%)で交渉が設立した。ほかのグループは10%~15%が多く、中には限界の25%まで搾り取られたグループもあったようだ。

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なぜ私はこれほどまでに交渉を面白いと感じたのだろう。

おそらくそれは、交渉というものは自分の価値観が現れる非常に奥の深いゲームだからだと思う。

クラスメイトの中には最初から自分の限界を提示した人もいれば、すごい額を吹っ掛けた人もいる。吹っ掛けられても引かずにうまく立ち回った人もいる。どういう交渉を行ったのかは知らないが、自信やしたたかさやたくましさが垣間見えた。

私のポリシーは「限りなく公平に、かつ互いに利益を」だ。(公平、であって平等ではないのがずるいかもしれないけれど。)相手が望んでいるものを考えて、相手の不安や問題だと感じていることを理解する。相手の感情を自分の感情と同じように考える。できる限り相手の立場になって考えてみたら、次は自分の欲しいものを考えて優先順位をつける。

自分の欲しいものを主張するときはしっかりというけれど、最終的には決して相手に不利を見せないように考えるのが楽しい。

セールスマンのギブソンさんが言うには、交渉を終えたときにお互いが「勝った!」と思えるような、ウィン―ウィンの交渉でないと成功と言えない。

そこまで経験をつんでいないからはっきりとは言えないが、少なくとも私が楽しいと思える交渉は相手が喜ぶ条件で私が得をした場合だ。相手の足元を見て半ば脅す形で交渉を進められるなら自分に優位な交渉ができるかもしれないけれど、公平じゃないものは「美しくない」と思う。

かといって自分の利益を考えないというわけにはいかない。むしろ私は人に何かを求めるのが苦手なので、特にしっかりとセンタリングしないとすぐに相手のペースに巻き込まれてしまう。

相手の思考を読んで、自分の望むものをしっかりと理解して、開示する情報を選んで、相手の反応を見て…。

様々な要素が複雑に絡み合うけれど、考え方次第で敗者のいないゲームができるんだ。

これほど幸せな競争はないと思わないか。