カナダ留学記ーHarmony Log -7ページ目

カナダ留学記ーHarmony Log

バンクーバー・ブリティッシュコロンビア大学の商学部に進学したビジネス生徒のブログ。学生生活で感じたこと、経験したことが中心。

毎週土曜日の夜(日本時間の日曜日の午後)は必ず更新する予定だが、それ以外にも思いついた時に書きたいことを書くかもしれない。

実を言うと、今週はあまり書きたいことがない。少し気分が落ちているのかもしれないなとも思う。それはともかく何を書こうと考えたとき、いつも私が思い浮かべるのが「強いて言えば」という言葉だ。アイディアが出ない時、この言葉の後に続く言葉を考えることでいい案が浮かぶことがある。

だから、今週心に残ったことは強いて言えばあれだろうか。

時間予算の話である。

今週、縁あってとある会社の社長さんと会話する機会があった時に教えていただいた概念だ。

私が今大学一年が終わったところで、女性の平均寿命から考えると後67年ほど平均で生きることになる。私からしてみれば67年というのは今まで過ごした人生の3倍以上もあるのだからまだまだ時間はたっぷりあるように思えるが、これを「あと何日」という風に換算すると約24,000日となる。

残りの人生は24,000日。実際、一日の3分の1を寝て過ごすと考えると生きている時間で起きているのは16,000日くらいなのだ。

一日三食食べると72,000食、二食しか食べなければ後5万食もない。平成21年のデータでは、日本には約67万店舗もの飲食店がある。上位10%の評判の店舗さえすべて味わうことはできない。

日が昇るのを見るのも、夜を見るのも24,000回。

親の年齢と日本人の平均寿命から考えると、母とともにいられるのはあと14,000日くらいで、父とともにいられるのは12,000日くらい。

妹とはさほど年が離れていないので私の残りの人生と同じくらい一緒に居られると嬉しい。

想像以上の自分の能力に喜ぶのもあと24,000日。
知らなかった自分の一面を見つけ驚くのもあと24,000日。
情けなくてふがいない自分にモヤモヤするのも24,000日。
思ったような成果が出なくてイライラするのもあと24,000日。

楽しいことは時間が足りないように思うし、つらいことはまああと24,000回なら耐えられるかな、と思う。なんでも無限に続くと思うから「良いこと」を思い切り「良い」と思えないし「悪いこと」を「いつか終わるから」と耐えることができなくなってしまう。

あと67年、すなわち24,455日、つまりは586,920時間。

私はどんな人生にしたいだろうか。

私はどんな思い出でその時間を埋めたいだろうか。

有限な人生を自分の非力さを悔やんで終わりたいのだろうか。それよりもそれを笑い飛ばして一歩ずつ歩いて進歩していったほうが気が楽じゃないだろうか。

…インターンシップで働いていると周りの人たちがすごくかっこいいと思える中、私は本当に役に立てているんだろうかと悩む一週間だった。

悩む私と付き合うのもあと24,000回。
先週から東京でインターンを始めた。火曜日から金曜日まで週四日働かせてもらっている。インターンをこの夏やることに関しても様々な思いがあるのだか、そこは話し出したらきりがないしまだまとまった形にもなっていないので後の話題にとっておく。

先週の金曜日の夜に実家に帰ったのだけれど、その際バスを待つ時間が少し長かったので近くにあった百貨店に寄ってきた。用があったのはデパ地下だったけれど、せっかく当百貨店にいるのだからちょっと高級な婦人服を見て気分をあげようかなと思い、ウィンドウショッピングを楽しむことにした。百貨店に入るようなお店はやはり年齢層が上なので今一つ欲しいなと思ったものはなかったけれど、そんなおしゃれなお店よりも帰りのエスカレーターから見えたきらびやかな店舗の様子が胸に刺さった。

東京はどこを見ても華やかだ。人が多いという話ではない。具体的にとらえることが非常に難しいのだが、例えばおしゃれな服を着ている人、金曜日の夜飲み会に行くスーツを着た人、週末にデパートの一階でお土産を購入する人。その誰もが日常の悩みや不安を抱えることはあれど、まぶしく見えた。

それに対してバンクーバーの中心街では、華やかさを感じるのと同じだけ貧富の差を感じるものがある。それは例えばダウンタウンまでのバスに乗っている際に通る落書きや格子戸だらけの街並みだったり、小銭をもらうために寒い日も雨の日もショッピングセンターの周辺に座り込んでいるホームレスの人たちだったり、大通りから一本外れれば嗅ぐことのできる麻薬の匂いだったりする。

東京は不自然なまでにそれが見えない。裏が見えない。それが私には違和感として感じられたようだ。

このきらびやかな光景の裏でどれだけの人たちが犠牲になっているのだろうかと思わず考えてしまったら、デパートの輝きがとても空虚なものに感じられた。それと同時に、自分がいかに恵まれているのかを再確認するのだ。

食べることには困らない、着るものにも困らない、住むところも帰るところもある。最低限がきちんと満たされていて、そのうえ海外の大学で学んでいる。

別に、自分が客観的に見て恵まれているから、「自分よりも不幸な人たちがいるから頑張りなさい」ということを自分に言い聞かせるつもりはさらさらない。むしろこういう消極的な考え方は大嫌いだ。けれど、感謝を忘れてしまったら人間として大切な何かが欠けてしまうような気がする。
高級なものを買って楽しんだっていいし、苦労に愚痴を言ったっていいし、将来に不安を抱いたっていいし、自分探しで悩んだっていい。まずは感謝の気持ちを忘れずにいれば、そして次の段階ではその気持ちを何か行動で表せることができれば、立派な人間じゃないかと思う。

…こう書きながら、私は何に許しを求めているのだろうとも冷静に思ってしまうのだけれどね。
帰国してはや一週間半、なんとなく精神的に落ち着かない時間を過ごしてきた。うまくは表現できないけれど、心の中がざわざわして酸素が薄い感じがする。

一か月間、期末テストやら引越しやら部屋の片づけやら帰国やらで緊張状態が長く続いていたため、どうもどうやって気を抜いていたかわからなくなったらしいのだ。

帰国してからは家族と過ごしていたが、不思議なことにリラックスできるはずの環境であるにもかかわらずずっと落ち着かなかった。頭だけがクルクルと回転して現実に追いついていない感覚だ。

どうしてだろう、と考えていたが、ここ数日で二つ思いついたことがある。

家でも落ち着かなかった一つ目の理由は、義務教育も終わり保護される対象から外れているということに対しての禁断症状に近いものではないかと思っている。

大学に入るまでは高校生で未成年という感覚も強く、いざとなれば他人が守ってくれるという安心感が潜在意識的にあった。だが、大学生としての一年間は留学していたこともあって自分のことを全て自分で「やらなければ」という意識に駆り立てられていた。

言葉にしてみると自分の面倒を自分で見るというのは当たり前なのだけれど、いざ実行する立場にあるとどうしても不安が先行する。

帰国して家に帰ってきても落ち着かなかったのは、守ってもらっていた古巣に帰ってきてももうあの時と同じように守ってもらうことはなく、自分の足で立って歩き始めたことへの恐れの様なものかもしれない。

二つ目、そしてさらに大きな理由としては、「しなければならないこと」と「したいこと」の判別がつかなくなってしまっていたからではないかということだ。

これは母に指摘されて初めて気が付いたことだが、どうやら期末テストで「いい点を取らなければ単位を落とすかもしれない」、引越しで「荷物を減らさなければ倉庫代がかかる」、部屋の片づけを「しなければ罰金が発生する」といった「しなければ、何か悪いことが起きる」という強迫観念に数週間とらわれていたために、自分のやりたいことがやらなければならないこととすり替わっていたのではないだろうかと思う。

例えば私は「日本に帰国したかった」。これだけに集中していれば楽しい気分で帰国の準備ができただろうが、「4月30日に帰国しなければならない」にすり替わってしまい、帰国準備がすべて「やらなければならないこと」に変化してしまったのだ。

携帯電話の契約を保留にせねば、保険を保留にせねば、スーツケースの重さをはかるのに友人から体重計を借りねば、食糧を食べきらねば…。

一つ一つの「~せねば」に集中するあまり、「帰国する」という楽しい目的が迫りくる危機の様なものに思えてしまった。楽しいはずのイベントの準備にこのような精神状態になってしまっては本末転倒である。

「帰国したい」という当初のポジティブな感情を忘れず、「帰国するためにしたいこと」というリストを作って準備を行うほうが楽であったはず。ポジティブな目的が目の前にあったならばそのためにやらなければならないことも強迫にはならなかったはずなのだ。

今回の経験で学んだことは二つ。

今自分が「しなければならないこと」は本当に「しなければならないこと」なのか、それとも「したいこと」なのか見極めること。どの程度切迫した問題なのか、どの程度の「悪いこと」が起こると思っているのかちゃんと考えること。

そしてスティーブン・コヴィー氏の「七つの習慣」にあるように、何事も「目的を持って始める」ことも大切だが、その目的を見失わないように常に気を付けることも同じくらいか、それ以上に大切だということだ。

ただいま帰国の旅真っ最中で、乗継便をポートランド空港で待ちながらこれを書いている。今日書くことは教訓や成長を感じたことではないが、もう書いて笑い飛ばすしかない。


4段階にも及ぶセキュリティーチェックを無事潜り抜け、バンクーバー空港から小さなプロペラ機に乗り込んだときは本当にほっとした。


長かった。とてつもなく長い戦いだった。

何がかといえば。

早々に家に帰ったルームメイトの後片付けだよ!!


30日に帰国するため、自分の荷物は28日の期末テストが終わる前からまとめて重さもはかっておいたし、捨てる持ち物はテストが終わったその日に全部ゴミ捨て場に捨ててきた。

さあ、29日はゆっくりコーヒーショップでリラックスしようかしら、といつになく余裕の私を追い詰めたのは大量に放置された5人のルームメイトの私物だった。

寮を出るまでに荷物はすべて片づけなければ、掃除料金という名の罰金がかせられる。私のものでもないのに連帯責任になってしまう。

かくして一人残った私の壮絶な戦いが始まった。

キッチンが一番ひどい状態で、鍋やらフォークやら包丁やら、「処分に困ったから一番最後に寮を出る人に押し付けてやろう」という無責任な態度が表れていた。寄付できるようにロビーで回収していたんだけれどなぁ。

冷蔵庫にも大量に食材が残されていて、自分のものでもないのに捨てる時に罪悪感を覚えてつらかった。食べきれないものは買わないようにすればいいのに。ジャム2キロとか豆腐3キロとかどうやって最後の一週間で消費するつもりだったんだろう…。

人生初めて青い米を見たのもいい経験だった。気持ち悪いと思うのを通り越して本当に美しい透き通った空の色のような青の奇跡だった。思わずペニシリンが作れるだろうかと考えてしまった。

シンクには何週間も洗っていない食器が残っていて、排水溝が詰まって腐敗臭がひどかった。息を止めて全部やりましたとも。むしろ排水溝に謝りたかったわ。

バスルームはキッチンよりまだましだったのがせめてもの救いだった。

普段あまり感情の起伏が表に出ないと自分を分析しているのだが、この日ばかりは泣きそうになった。二週間の期末テストを終えて、帰国するための荷物をまとめるというストレスに打ち勝ち、頑張ったにもかかわらずこの仕打ちか!

おのれ、ルームメイトたち…!最後の最後に寮生活の置き土産をしおって…!(笑)


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なんだかんだいって終わったのだからよかったけれど、できれば「立つ鳥跡を濁さず」で片づけていってほしかった…。

お母さん、いつも部屋とか洗濯ものとか「面倒だー」って片づけなくてそこらじゅうに散らかして本当にごめんなさいm(_ _)m


今日書きたいことはちょっと個人的な話かもしれないけれど、世間一般的に見てもあながちはずれていないと思うのでやっぱり書くことにした。

先週、スカイプ電話で家族と会話しながら改めて思ったことなのだけれど、どうも親というのは子供に対して「申し訳ない」と思うことがあるようなのだ。

私からみれば衣食住を提供していて、私という個人を認めてくれて、できる限り人生の選択肢を増やそうとしてくれた父と母には感謝してもしきれない。これ以上の親をどこで探せというのか、と会話するたびに思う。

けれどいくら私が思っていても、言葉にしても、親はそう思わない時があるみたいなのだ。

経済的にもっと豊かであれば、を筆頭に、私が人生で何か苦労するたびに親は「自分たちがもっと何かできればよかったのに」と思ってしまうらしい。

仮にも19年間一緒に生きてきた家族だから、気持ちは痛いほどわかるつもりだ。けれど、何でもかんでも「こうしてあげたら苦労しなかったかもしれないのに」という可能性だけで自分たちを責めないでほしい。

恋愛が苦手なのも、責任感が強いのも、早く自立したくて独立心旺盛なのも、全部が全部親のせいということになってしまったら、「私」はどこに行ったんだ。

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私はよく、成功する人生を富士登山に例えて考える。

こうして考えてみると、親が子供に与えられるのは三つだけだ。

1.五合目までのショートカット。
2.水や食料、フリースなどの装備や必需品。
3.頂上を目指すための精神的準備。

そりゃあ頂上にたどり着くのを限りなく楽にしようと思えば、五合目どころか頂上まで乗り物で運んでもらえばいい。汗一つかかずにたどり着ける。それを登山と呼ぶのかどうかは微妙なところだが、可能であるといえば可能なのだ。

ほとんどの人は登山を楽しむために登るのだからそんなことはしないし望んでいない。「苦労しなければいい」という祈りはわかるけれど、じゃあ実際「最初からゴールまで飛びましょう」といわれると生きる意味がなくなってしまう。みんなが集まる五合目くらいがちょうどいいのだ。中には一合目から始めるチャレンジャーだっている。

二つ目の水や食料、装備は人生で言うところの衣食住に当たると思う。なければ生きていけないし、山を登るんだったら水がないのは非常に危険だ。装備も暖かい服を着ているほうが安全である。しかしはたしてそのブランド物のウィンドブレーカーが必要かと言われれば、答えは否だ。「頂上にたどり着く」という目的がある場合、装備がいかに派手や高価かは関係ない。しのげればいいのだ。私が富士登山をしたときはミニスカートで登っているタフな女性もいた。

「余裕があれば贅沢をさせてあげられたのに」というのは上二つに値すると私は考えている。あればあるほど楽だけれど、正直言って最低限で十分だ。

水、食糧、服があり、なおかつ運よく五合目まで送ってもらえればそれだけで登れる。この「五合目までのショートカット」というのは今まで親が築き上げてきた人間関係・コネかもしれないし、持っている財産、名声、社会的信用かもしれない。たいていの場合は「教育」という形で投資した財産になると思う。


けれど、三つめはほかの二つと違って、これがないと成功する確率がぐっと下がると私は個人的に思っている。

いくら装備がしっかりしていても高山は酸素が薄くてつらいし、九合目くらいになると足が重くて仕方がなくなる。そんなときに前に進もうと思えるのは先人が登ったということを知っているからだ。

一番身近な人間である親が自分なりの成功と幸せに向けて努力していたら、子供はそんな親を尊敬するし、そういう生き方を手にしようと努力する。上手な生き方じゃなくていいけれど、自分に胸を張れる人生を送ればとてもありがたいお手本になるだろう。

人生の心構えは親がいくら言っても子供に受け取る気がなければ意味はないけれど、種をまくくらいはできる。先人の知恵として「こうするといいかも」「こう考えて生きてきた」というようなことを種をまくようにぽろぽろと落としていけば、いずれは役に立つときがくる。

ちなみに私の中で根付いているのは、不思議なことに忙しくてあまり会わない父から受け取ったメッセージも多い。「食わず嫌いはしないこと」「一度やったミスは二度繰り返さないこと」「ゆっくりでもいいから止まらないこと」など、自分に厳しい父らしいメッセージばかりだが、私は気に入って自分の人生に取り入れている。

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長々と書いてしまったけれど、最後に私から父と母に言いたいことは一つ。

確かに「環境がこうであれば苦労しないだろう」と思うことはあるけれど、「楽な人生を送る」ことと「人生で成功する」というのは別物だと思うのです。なぜなら「成功」の定義は私だけが決められるものだからです。

私は自分の人生を成功させるために必要なものはすべてどころか、それ以上に与えてもらいました。

上から目線に思えたら申し訳ないけれど、胸を張って「良い親」であることを誇ってください。