最近髪についての

情報がやたら目につきます。

 

今日も

お出かけ先のお話会?で

髪の毛に関する話がでて

 

お!

と思いました。

 

髪は

いのちを守るために抜けるらしいんです。

 

ストレスとか

薬害など

髪が抜けるのは体を守るため、みたいなんですよね。

 

抜け毛が多くて

ちょっとイヤだなあーと思っていた私は

この話を聞いて

 

うわ、なんてありがたいんだ!

と抜け毛に対して感謝の気持ちが生まれました。

 

 

 

最近、髪を切ったのですが

(しかもかなりばっさり)

それも必然の流れだったのかなぁと思ってます。

 

 

立て続けに髪に関する情報が入ってくるということは

私へのメッセージなんでしょうが

 

もしかして

髪について悩んでいる人がいるかもしれないので

ブログをふたつほどご紹介しますね。

 

 

まずひとつめは

吉岡純子さん。

 

「運気が上がる髪の扱い方」←ブログはこちら。

 

内容を少しご紹介すると。

 

**

"髪の毛"については
不思議な話が多いわけです。
 
 
 
 
で、
 
 
"長い髪であればあるほど
霊力.魔力は大きなものになる"
 
 
とされているんだけど、
 
 
 
長い髪が引き寄せるのは
神聖であって陽気なものだけではなく
 
邪気や陰気な念も
おおいに受け取り
溜め込みやすくなるのも事実で、
 
 
だからこそ
「お手入れが大事」なんだって〜。
 
でね
以上のこと等を知った時に、
 
 
ズボラな私が即座に実行したのが
 
「2年間伸ばし続けた髪を
バッサリ切りに行く」
 
という"行動"だったんだけど、
 
 
分かりやすく開運したというか
明らかに流れが変わりました。


だそうですw


もうひとつは
碇 のりこさん。

「運気を変化させる邪気、ネガティヴ、念を払うということ。」←ブログはこちら。

内容を少しシェアすると。

 

**

運気が落ちる時って、

さまざまなことがありますが、

 

ネガティブなことを、

溜め込んでいることが

あるんです。

 

 

それも知らず知らずにねチュー

 

 

それが何かというと、

 

「髪の毛に邪気が溜まってる」

 

ことがあるんです。

 

 

女性の髪の毛って、

霊力が強いと言われていて、

髪の毛に、

 

ネガティブエネルギー

邪気

 

がどんどん溜まっていくんです。

 

 

生活していると、

自然に溜まってしまうもの。

 

 

だから髪が長い人ほど、

邪気は溜まりやすいんですよ。(←私www)

 

 

 

なので、

あまりに運気が上がらない時って、

 

髪を切りたくなる人

 

って多いんです。

 

 

 

実は無意識に、

運気を上げたくなり、

 

髪の毛を切りに行きたい

思いっきり切りたい

 

気持ちになったりするんですね。

 

 

髪の毛を切りに行くと、

気持ちもサッパリするしねチュー

 

 

 

だから、

運気の変化が来ている人ほど、

髪の毛を切りたい衝動に

かられるんです。

 

 

 

運気を上げたい時は、

髪の毛を切りに行くと、

運気が上がります!




と言う事で。


なんかいい事ないなーーと
思っている人がいらっしゃるなら

髪を切りに行く事をおすすめします♪


 

先日、

 

人生初のオーダーメイドスーツを作ったのですが

 

翌日その業者さんから電話がかかってきました。

 

「すみません、ボタンを選んでもらうのを忘れてまして。。

来週またうかがってもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんです!よろしくお願いします」

 

 

 

じつはこのボタンの件、、

 

私、気がついていたんです。

 

 

「ボタンえらんでないなぁ」って。

 

でも、

なんとなーく言いにくくって

だまってて

そのまま帰って。

 

「まーボタンだし、なんでもいいか」

 

と思ってましたら

翌日、電話がかかってきて

わざわざ私のいるお店まで足を運んでくださるという。。

 

 

あー申し訳ない。

私、気づいてたのに言わなくて悪い事したなぁ。

 

言えば良かったなぁ。

なんで遠慮したんだろう?

 

とちょっと後悔してました。

 

 

そして今日。

 

ボタンを持って来てくださいました。

 

濃紺のスーツなので

普通なら同色のボタンが一般的ですが

 

ここはあえての赤紫のボタンをチョイス。

(裏地と同じ色味)

 

お店の人も

「オーダっぽくっていいと思いますよ」

と言ってくれたのでそうすることに(^^)

 

 

そして。

私がスーツを作りに行ったときにはなかった色のスーツや

私の体に合いそうなサイズのスーツや

私の体に合いそうな形のスーツや

スカートをいくつか持ってきてくださって

 

再度サイズ合わせしてくれたんです。

 

 

1回、採寸しているのですが

オーダースーツって

なんていうか

1センチ勝負?っていうの?

 

ウエストをあと1センチつめるか?

とか

スカートの丈をあと1センチ長くするとか短くするとか

 

そういうところあるんですよね。

 

なので

迷っていた微妙なラインや丈を再確認することができて

 

「来てもらって良かった!」

と思いました。

 

 

結果

今日たまたま履いていたスカートを参考に

 

最初に決めていたスカート丈より数センチ短くし

ウエストも1センチつめてもらう事にしました。

 

あと、最初の時には決めてなかった襟裏のカラークロス?

もピンク色にしてもらったり

(たまたま持って来られたスーツがそういう仕様ですごく可愛い!と思ってしまった!)

 

スーツの左側の襟にあるボタン穴(フラワーホールっていうみたい)

の糸の色をピンクにしてもらったり

 

とさらにいろいろオーダし

ますますオーダスーツっぽくなりました♪

 

市販にはまず売っていないスーツになりそう(^^)

(うふ♪)

 

 

でね。

タイトルの件なんですが。

 

 

ボタンのことを気づいていたにも関わらず

言い出せずにいた私。

翌日、電話がかかってきて申し訳ないことをしたと後悔。

来ていただいたとき、ボタン以外にも

サイズ変更やさらにときめく仕様に変更できた。

結果、もっとオーダスーツっぽくなり

もっと体や好みのサイズに変更。

 

ということで

 

ボタンのことを最初に採寸した日に言っていたら

この展開はなかった、と思いました。

 

 

もし、

採寸した日にボタンのことを言えていたら

その場でボタンを選んでいたはず。

もし、

できあがったサイズが体に合わない、または思っていた感じと違ったとしたら

そこはオーダなのでできる範囲で作り直しをしてくれる

と思われる。

 

 

結果、私が思った事は

 

どっちでも良かったんだ。

 

って事でした。

 

 

もし、

今あなたが

 

あっちにしていればよかった、

とか

あのときああしていればよかった、

とか

 

過去の選択にいろいろ思っていたとしたら

 

わたしはこう言いたい。

 

 

結果一緒だから。

 

どっちを選んでも結果同じだよ、って。

 

 

どっちを選んでも一緒

 

ということを知っていれば

 

少なくとも

 

「違うほうを選んだらよかった」

という過去の選択に対する後悔の念は無くなるよね。

 

 

どっちを選んでも

同じように後悔する。

 

どっちを選んでも

同じようになんとかなる。

 

 

そのステージにいる私が

どっちを選んでも

対して変わらないのだ。

 

 

それでも

少しでも後悔を少なくするために

 

選ぶなら

 

お金より

時間より

人の目より

 

怖れからではなく

不安からではなく

 

自分が

気になる方を

やってみたい方を

ときめく方を

気分が上がる方を

嬉しくなる方を

喜ぶ方を

 

選んでいったらいいかなと

私は思うので

 

そうして行こうと思う。

 

 

 

スーツでいろいろ遊びすぎたので

どんなスーツになるか若干不安ではあるんだけど

(ちまたのスーツと違いすぎて恥ずかしくて着れんかもしれん)

 

選んでいる最中が

とっても楽しかったのでそれでオk、ということにしよう♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


かつこさんとのオンラインカウンセリングは夜だったので

そのあとすぐ寝た私は

 

朝、ベッドのなかでうとうとしながら

次のことをぼーっと思っていました。

 

「私が受け入れていないネガティヴがあるとき

周りが代わりに受け入れる」

「私が受け入れたくない否定的ななにかがあるとき

周りが代わりにそれを受け取らされる」

(言いたい事伝わりますか?)

 

 

周りに現れるネガィブな言動は

自分が受け取りたくなくて

否定したもの。

つまり本来は自分のもの。

 

私が拒絶するから

周りの人がそれを受け取ってみせてくれてる。

 

 

ひゃ!!!

 

まじか!!

 

 

だとしたら(仮説)

 

私がそれらを認め受け入れれば

周りの人はそれを受けとらなくてよくなるので

現れることはなくなってくる、ということ?

 

 

なんということでしょう。。

 

 

とりあえず実験してみる価値があると思ったので

 

実験することにします。

 

 

私の実験方法は簡単で

 

たとえば

エラそうにしている人をみて

「なにあの人、エラそうで嫌」と思ったら

 

「エラそうにすること」を認め肯定する、というもの。

 

言葉にするなら

「エラそうでも良い」

「エラそうにしても良い」

とかかな?

 

そんな感じで受け入れる言葉をつぶやく。

 

 

この実験を実際にやるには

自分の反応に敏感になる必要があるんですが

 

最初は

どまどったり動揺するかもしれません。

 

なにしろ

自分の反応ってほぼ自動的だから

いちいち意識してない人の方が多いですからね。

 

なので

最初はどまどうかもしれないけど

なれると楽しいですよ(^^)

 

いままで気づかなかった自分のことが知れるので。

 

 

で。

多分

逆もしかりで。

 

たとえば

自由な人をみてうらやましいなと思ったら

それも自分が受け取ってないから周りに現れているので

 

「私も自由にしてもよい」と認め肯定すればいいんです。

 

甘えている人みてうらやましければ

「私も甘えて良い」とつぶやいてみれば良い。

 

最初は

ムズムズソワソワするかもしれませんが、

そのうち慣れます、笑ニコニコ

 

ということで

実験してみまーす☆

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜、

ご縁がありまして

かつこさん(ブログはこちら)

心屋流カウンセリングをしてもらってました。

 

 

悩み事は

いーーーーーっぱいあるんですけど

 

ほんとにほんとに山ほどあるんですけど

 

とりあえず

その中から

けっこうヘビーなお悩み相談をしました。

 

 

言わされた魔法の言葉で

私的にヒットしたのは

 

「私は受け入れてもらえない」

 

「私は世間体が大事」

 

でした。

 

 

そう、

私はどこかで

私は私のままでは受け入れてもらえない

 

と思っていたんです。

 

そして

自分でもビックリしたのが

世間体に関する事。

 

 

私ね、

常識とか嫌いだし

(くそくらえと思っている)

世間体を気にする人をどこかで軽蔑してたんです。

 

 

だから!

まさか、自分が世間体を気にしていたとは思ってもおらず。

 

でも、

魔法の言葉を言ってみて

実は世間体を気にしていたことに気づいちゃったんですよね。

(なんてこと)

 

うわぁぁ。。えーん

まじか。。えーん

 

なんか降参って感じでした。ゲロー

 

 

 

カウンセリングの後半は

 

「お母さんは、私を受け入れてくれなかった訳じゃない」

「ただ機嫌が悪かっただけ」

「わたしの勘違い」

私の思い込み(=設定)を上書きしてもらい

 

 

そして最後に

 

かつこさんは

「わたしは愛され美魔女ママ♪」

という

とっても恥ずかしい、でも嬉しい魔法の言葉を私にプレゼントしてくれました。

(キャ♪)

 

 

1回言ったくらいじゃ

長年の思い込み(設定)は変わらないので

 

気がついたときや

思い出したときには

 

ぶつぶつと呪文の言葉のように唱えてみようと思います(^^)

 

 

 

かつこさん

おかげでなんか軽くなったよ☆

 

ありがとう!

 

 

 

何度か書いていますが

 

私は2015年に生き方を変えようと決めました。

 

というのも

それまでの日々がしんどすぎて

 

 

このまま行くとある日突然倒れて

植物人間化するのではないか?と思ったからです。

 

 

生き方を変える。

 

これって

簡単そうでとても難しい。(私には)

 

 

なんでかなー?と考えたとき、

 

ひとつは

今までとは違う生き方というのは未知の世界なので怖い。

という恐怖心が出る事。

 

もうひとつは

いままでの自分の生き方を間違っていたと認めないといけないから。

(私のことね)

 

ずっと

歯を食いしばって頑張って来た私にとって

「頑張らない方がうまくいく」

などという意見は

とても驚いたし、興味もありましたが

同じくらい

「そんなわけない!」と否定もしました。

 

どこかで

「じゃあ、ずっと頑張って来た私の今までの人生は

間違いだったというの?」

 

という想いがあったからです。

 

 

 

だから

 

「(もしかしたら)頑張らなくてもいいのかもしれない」

 

と思えるまで5年くらいかかってます、笑。

 

 

というのも自力で頑張ることに

どこかで限界を感じていたからなんですよね。

 

 

 

 

「これ以上もう頑張れない。」

 

あるとき観念しました。

 

 

 

受け入れてしまったら

ちょっと楽になって

 

それからは

「頑張ることだけが素晴らしい」

という偏った価値観から脱出することができました。

 

 

頑張る事は素晴らしい

同じように

頑張らない事も素晴らしい。

 

優劣はなく好みがあるだけ。

 

と言いつつも

 

頑張る事になれている私は

つい頑張ってしまうし

頑張らない人をみるとモヤモヤすることもたびたび。(^^;)

 

 

頑張ってもいい

頑張らなくてもいい

 

どちらでもいい。

 

そして

タイトルに反しますが

 

 

生き方を変えてもいいし変えなくてもいい。

 

 

そのくらいのスタンスが

一番いいのかなと思っています。