わたしには
世間的には
落ちこぼれで
負け組で
人様に自慢できる要素があまりない息子がおりますが
先日、
その親御さんからみて「どうしょうもない息子」をお持ちのお客様と
お話をしていて
なんとなく自分と重なる部分もあって
共感しつつも
「そうじゃないんだけどなー」
と思いながら話をきいていました。
その方のグチを1時間以上聴いて
後から想ったのは
「お母さんは、僕の味方なの?それとも世の中の味方なの?」
ってことでした。
「人様に迷惑をかけないように」
そう何度もその方は言われて
自分の息子の事を「迷惑をかけ続けるダメな子」
という烙印を押されているようでした。
ああ、自分を観ているようだと想って
私はこう決めました。
「わたしは世間と子ども
そのどちらかを選ばないといけないのなら
子どもの味方でいよう」
世間的に良くないと言われている状態だとしても
子どもがそれを選択するなら
わたしはこどもを支持しよう。
そう決めました。
ずっと、世間の側でした。
人の目を気にして
世間の「正解」に当てはまらない子どもに
イライラし
がっかりし
途方にくれ
責めていました。
私がわたしを大切に生きることを意識するようになって
子どもの気持ちが分かる気がしました。
というか
自分が子どもだった頃の気持ちを思い出すようになりました。
「どうして私はわたしを生きてはいけないのだろうか」
「私はわたしのままではどうしてダメなんだろう?」
ずっとずっと想っていました。
「自分をあるがまま受け入れる。」
「子どもをあるがまま受け入れる。」
私がわたしを受け入れるようになれて
ようやく
そのままの子どもを受け入れる覚悟が整いました。
「ようやくスタートライン。」
そんな心境です。
そうはいっても
これからもブレるだろうし
ふらつくだろうし
迷うだろうと思います。
「やっぱりあの決断は間違っていた」
と想うこともあるかもしれません。
そのときは
「本当はじぶんはどうしたいのだろう?」
「本当はなにを望んでいるのだろう?」
「心の奥底、観たくない本音、観たくない自分はなにを想っているのだろう」
立ち止まって
自分の内側を確かめてみようと思います。
読んでくれてありがとうございました。
kurara