くららです。

 

よく「生きているんじゃない、生かされてるんだ」

とか

「生かしていただきありがとうございます」

とか

 

ちょっと宗教ぽいというかお説教ぽいというか

 

そういう言葉聴くんですけど

 

 

ずっと腑におちてこなかったんですね。

 

 

なんか

「感謝しろ」って遠回しに言われてるみたいで、

 

なんか

「生きてる」って思う事は傲慢だから

「生かされている」と思って謙虚になれ

 

って言われてる気が(勝手に)してて

 

「生かされてる」

とか

「生かしていただきありがとうございます」

っていう気持ちに、正直なれなくて

 

ずっとモンモンしてました。

 

 

でね、

 

今日

 

「生かされてる」ってこういう意味だったんじゃないか?

 

と思ったことがあって。

 

 

どういうことかというと

 

 

神様って肉体持たないわけですよ。

(エネルギーの塊?だから)

 

だから、手や足や言葉ももたない。

 

だから、

「どこかへ行きたい」と思うだけで行けちゃうんだけど

プロセスがないんですよね。

 

 

スタートとゴールが一緒ってことになっちゃって

 

なんていうの

プロセスってけっこう楽しいじゃないですか。

 

明日を思ってワクワクしたり

出来上がる過程を楽しんだり

 

3次元ってそういう楽しみ方ができる空間なわけですよね。

 

だから

エネルギーの塊さんは

3次元(肉体)を通して

「体験したい」んだろうって思ったんですよ。

 

だから

「したい体験」をするためには

肉体を「生かしておかないといけない」わけです。

 

エネルギーの塊さんが

「自分がしたい体験をするために肉体を生かしている」

 

これ

私達肉体側からみると

エネルギーの塊さんから「生かされている」ことになります。

 

 

でね。

こう書くと、いいように使われてる感じがするじゃないですか。

 

でも、しくみがうまくできているなーと思うんだけど

 

エネルギーの塊さんがしたいことを「体験」させてあげると

私達がめっちゃ喜ぶように仕組まれているんですよね。

 

逆にしたくない「体験」をさせると

イヤーな気分になるように仕組まれている。

 

肉体(私達)は

エネルギーの塊さんに「したい体験」させてあげるために

「生かされている」

 

これが

「私達は(神に)生かされている」の訳なのではないかと

 

今日はそんなことを思いました。

 

 

 

 

言いたい事伝わりますように。

 

 

 

 

本日もありがとうございました。